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徴用工問題めぐる橋下徹のスタンス
Abema Times:橋下氏、徴用工問題めぐる日韓の応酬に「日本と韓国も、僕と百田尚樹さんのようになればいい」

政治家を辞めたせいか、橋下徹は時に冷静に物事を見ている。
今度の対韓輸出規制も彼なりに冷静で一読の価値あり。リベラル側ではない客観的な意見として十分読める。

皆は"1965年の日韓基本条約で全て終わりだ"と言うんだけど、法律的に厳密に考えたら問題もある。例えば締結に至る前に韓国側が要求してきた8項目の中には、未払い賃金を労働者にちゃんと払いなさいよ、というものが含まれていた。結局それらは日本側が8億ドルの経済支援を行うことでチャラにしましょうということで合意したんだけど、慰謝料は含まれてはいなかった。そこが今回の韓国側の言い分。

また、1910年の日韓併合条約締結後の植民地政策について、日本は合法だったという立場だけれど、韓国は絶対に認めず、違法だったという立場を取っている。これも揉めた結果、とりあえず玉虫色にしてしまった。そこから、「1910年以降の違法な植民地政策の中で徴用工の問題が出てきたので、慰謝料は請求できる」という韓国側の理屈が出てくる。これらの言い分は、確かに一理ある。

だからこそ、"日韓基本条約で全て終っている"で終わらせるのではなく、相手の言い分を理解した上で、法的に詰めていかないと。

僕は靖国神社の問題をめぐって、百田尚樹さんとツイッターでかなり激しくやりあった。でも根底にあったのは、ギリギリのところで侮辱にならないよう、お互い調整しながら、抑えながら、ということ。最終的には百田さが"橋下さんが戦争指導者を分祀するべきだと言うんだったら、僕はこれからもどんどん非難していく"と言って、僕も"いいですよ、こっちも反論しますからね"となった。見ている皆にそれぞれの意見を知ってもらって、それでいいよねと。
 日韓関係だって、そんな風にならなきゃいけないと思う。朝日新聞的な、綺麗事を言う人たちは、"仲良くしろ、お互いに言い合うな"と言うけれど、違うと思う。最低限、侮辱はしないというところは守っていれば、プライドをかけて激しく言い合って良い。韓国は隣国である日本をライバル視しているし、日韓併合と植民地支配の歴史がある以上、歴史認識などでは絶対に一致することはない。

百田さんたちは、「日本が韓国を近代化させたんだ」と言う。確かにそういう面があるかもしれないけれど、やっぱり主権を侵害されるということは、国のプライドに触れる部分だからね。

変な喧嘩をして、泥仕合にならないような関係を作り、貿易をしっかりやって、観光でも交流して、やれることをやればいい。変に仲良くする必要はないと思う。子どもの世代になれば、交流しながら対立も薄れていくかもしれないし。


日本人に歴史認識を徹底的に糺さす、というのが到底無理なら、橋下の言うことが現実的だ。右にも左にも与しない中立の姿勢には好感が持てた。
国際関係において何よりも大切なのは、橋下の言う通り、相手国を侮辱しない、という節度だ。今回の安倍首相や外相の言動や態度はその節度がまるでなかった。ひどいものだった。だから憂慮するわけで。
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国歌斉唱で胸に手を当てる、なでしこジャパンに違和感
Newsweek:国歌斉唱で胸に手を当てる、なでしこジャパンに違和感

世界には2種類の人間がいる。世界を2種類の人間に分ける人間と、分けない人間だ。

イングランドのサッカー選手を見てみれば、国歌を歌う選手もいれば、歌わない選手もいて、真剣な表情の選手も、笑顔の選手も、しきりに足踏みしている選手も(そわそわしているのか、試合に備えて体を動かしているのだろう)、注意深く耳を傾けて立つ選手も、ガムをクチャクチャしている選手もいる。こうした行動によって、画一的な行動規範に隠れて全選手が「埋没」するかわりに、選手の個性をいくらか「見る」ことができると思う。


さすがイングランド。これが彼らの矜持なのだろう。世界を二種類の人間に絶対に分けようとしないという矜持。各自バラバラ好き勝手。

しかし、女子は全員が胸に手を当てていたのか。何年か前の男子代表は違ってたような気がするけど。全く歌ってない選手もいたし。また一段とナショナリズムが進んだのだろうか。
振り込め詐欺は最悪の非道
宮迫、ロンブー亮ら闇営業「謝罪文」でさらに炎上、問題点を謝罪のプロに聞いた

この問題に潜む最大の社会的問題点は、振り込め詐欺グループからお金をもらったということ。
これは通常の暴力団が、たとえば覚醒剤など社会の闇の住人に対して罪を犯しているのとはわけが違って、一般善良な市民を相手にだましてお金を稼いでいる。
つまり玄人が多少は罪のある玄人を脅したりだましたりしているのとはわけが違う。玄人が何の罪もない善良な素人をだましているのである。これをまさに「非道」という。
そんな非道なお金の一部を芸を披露することによって貰っている。
一般的な反社会集団とは違う「許せない」という感情をだれもが持つはずだ。
かつての紳助よりも社会倫理的には罪が重いかもしれない。
事務所や世間の判断がまだ甘いように感じる。1年の謹慎ぐらいでは済まないはずだ。芸能事務所はまず事務所から追放すべきだろう。
引きこもりと殺人を結びつけるメディアの反知性主義
ハフポス:川崎殺傷事件「ひきこもりではなく、"孤立"に目を向けて」 ひきこもり当事者団体がメディアの報道に注文

人を刺し殺すということをたいていの人はまずできないはずだ。それをやろうとすれば内面に激しい抵抗が生じるだろう。
それが生じない人が殺人を犯す。そんな人はごく僅かなはず。
なのに引きこもりだから鬱憤がたまって殺してしまった、という引きこもりと殺人を短絡的に結び付ける報道にはうんざりを通り越して単なる馬鹿じゃないのと思ってしまう。
これこそ反知性主義。
実際考えてみて、引きこもるような人は外部にはけ口を最初から求めていないのではないか。

この川崎殺傷事件の犯人はまず引きこもってたかどうかも怪しいが、池田小学校事件のようなルサンチマンかどうかもまだわからない。
なぜカリタス小学校だったのか、これが動機のカギだろう。おそらくこの小学校でないとだめだった可能性が高い。
どんな人にも陳腐に一般化できない個別の事情があって当たり前。ひょっとしたらこの事件は単に特定の個人に対する単なる復讐だったのかもしれない。
それは従兄姉なのか伯父伯母夫婦なのかわからないが、保険証を持って人を殺しに行きそして自死する人がいるだろうか。身元をきちんとしたかったとしか思えないわけで。
自分の身元をはっきりさせることでマスコミの興味を彼らに向けたかったのかもしれない。彼らをマスコミの餌食にすることで復讐を果たすというか。
と思うことすらも陳腐なのかもしれなくて、もっと誰も思いつかない動機があったのかもしれない。
とにかく動機の解明が待たれる。
世にも奇妙な物語 《戦争はなかった》


1991年のドラマ。こんなのがあったとは。
誰もがあの戦争を忘れかけていた平和な時代。だから忘れてはいけないと啓発の意味で作られたのだろうか。
ここでは太平洋戦争がなかった、となっているがしかし、これを日中戦争に置き換えたら、決して奇妙な話ではなくて、真実の話になってしまっている。
日本人はアメリカとだけ戦争をしたと思い込んでて、本当は中国と戦争をしてそれをやめなかったからアメリカと戦争をする羽目になったのだ。
実質、アメリカと戦争している間もずっと中国を攻め続けていた。昭和6年の満州事変からの15年戦争。昭和20年8月15日の終戦までずっと中国を攻め続けていた。これこそがあの戦争の実態。
それを日本人は完全に忘れてしまっている。というか認知してない。中国と戦争をしたんだよと言っても、こいつはただの頭のおかしい極左かと思われるのがおちだ。
全くこの現実世界が「世にも奇妙な物語 」になってしまっている。ドラマでの林隆三の気持ちが親身になって迫ってくる。日本は中国と戦争したんだよ、と叫びたくなる。あの戦争を忘れてはだめなんだと。忘れたらまた戦争を始めるよと。叫ばなくてはいけない。歴史をみんなで寄ってたかって勝手に改竄するなと。
bülow(ビューロー) - Euphoria(ユーフォリア)


ロックはもう聞かない、と思ってたけど、ニュージーランドのBroods(ブルーズ)に続いて、この bülow(ビューロー)。
オランダを中心に活動しているドイツ生まれの19歳、誕生日が来てれば20歳。
日本ではおそらく全くの無名。
5~6曲聴いたけど、この曲が抜きんでてよい。
けだるさの中にある多幸感。曲名のEuphoria(ユーフォリア)とは多幸感のことらしい。
これが現代の多幸感なのだろう。これは病みつきになる。
新元号「令和」の意味や背景を探ってみた
「令和」
冷たい印象を持つが清らかな感じでいい命名だと思った。だがどうも気に入らない。
「令」はやはり本来、言いつけ、とか、上から下へのお達しの意味合いだ。
よい、とか、美しい、という意味があるらしいが、それはおそらく後付けで文字本来の意味ではなさそうだ。
例えば「令嬢」は本来、他人のお嬢さん、という意味で、それが高じて、良家のお嬢さん、という意味に派生しただけで、よいお嬢さんでも美しいお嬢さんでもない。社会的に良い、立派なというニュアンスだろう。
「令名」はよい評判、名声という意味で、「令名が高い」と使う。つまり社会的に名前がよいということだ。よいかどうかは社会が決めるというニュアンスがこの場合でもはっきりとある。
「令月」はよい月、というより、何事をするにもよい月、めでたい月、というこれも社会的によい月という意味だろう。というか、この万葉集では単に陰暦2月の異称でしかないが。
つまり、上がよいと決めたことは誰が何と言おうがよいのである。美しいのである。それが本来の「令」の持つニュアンスだろうと思う。昔は全部上が決めてそれに従ったわけで、そのことがよいこととされていたから、「令」に「よい」というニュアンスができたのだろうと思う。
だから「令和」は上からのお達しで国民みんな和を持って貴しとなります、だからお上の言うことには従いましょう、という意味にどうしてもなってきてしまう。

たとえこの解釈が強引だとしても、今日の元号発表の場は少し驚いた、というか当然というべきか。菅官房長官の時も安倍首相の時も、最初の質問者は産経新聞だった。官邸ご用達のメディアだということがこれでよくわかった。

それと事前の有識者懇談会のメンバーに作家の林真理子がいる。有名な安倍応援団である。女性の文学関係者ならほかにいくらでもいるだろうに、ちょっと思いつくだけで、芥川賞作家の小川洋子、川上弘美、歌人の小島ゆかり、と他に十数人はふさわしい人がいるはずだ。博識で感受性の素晴らしい人が。それがよりにもよってなぜゲスな不倫小説を書くような作家なのか。

以上のことを統合すれば、今回の元号決定において、安倍首相が根回しをして、自分が気にいった元号にしたのではないか、とどうしても思えてくる。

まだまだ安倍の時代は続いてゆくらしい。
敬意は強制されるものではない
「天皇は謝罪を」のどこが「不適切」「無礼」なのか

天皇も同じ人間なのだから、「あんたあの裕仁の息子やろ。かわりに誤ったってもええんちゃうん。」ぐらいは言ってかまわないと思う。強制じゃないんだし。無礼でも非礼でもないし、ましてや前時代的な「不敬」であるわけがない。もし日本側が文議長の発言を「不敬」だなどと感じているのならそっちの方がはるかに大問題。不敬罪は戦前の法律だし、「不敬」という概念自体が今は存在してはいけないからだ。なぜならある特別な人間だけを敬わなければならない、敬わなければ不敬だなどとは逆に人権問題になってくる。人は自分の自由意思で人を敬うからだ。それこそが敬うということに他ならない。誰をどう敬うかという個人個人の権利を侵害している人権問題だろう、立派にこれは。
敬意を強制されることこそ無礼な話だろう。
現代の異常な暴力性
AERAdot.野田市虐待死 栗原心愛さんと船戸結愛ちゃん事件に共通する父親の過剰な家族依存

日本の社会は特に男性たちに対して、存在を否定するようなマイナスの突き上げが強く、DVも虐待も顕在化しています。恥や屈辱といった感情を抑え込めず、自分の正しさを証明しようとすることで、暴力をふるい、困窮をし、転居、転職、転校を繰り返すようなケースは今後さらに増えるのではないでしょうか。このままでは子どもなど家族の中でも一番弱いところに被害が出てしまうと危惧しています。これらの事件は社会の縮図のように感じます。
社会から排除され、存在を否定されたと感じた加害者が、子どもの教育や将来のためにと“しつけ”に執着したり、子どもに関する問題には特に威圧的な態度で公的機関に乗り込んでくる。
カナダでは、セルフ・エスティーム(自尊感情)を揺るがされた人が抱えた怒りを取り除く加害者治療に取り組む。


児童虐待や煽り運転での異常な暴力性は男どもが自尊感情を傷つけられることに起因するのだろうか。それはきっとフェミニズムの台頭と反比例しているのかもしれない。あちらを立てればこちらが立たないのだ。それは最初から男の方が偉いと思い込んでいるからなのかもしれないが。最初から対等だと思っていれば、何も自尊感情が傷つけられることもないはずだが。
こういった振幅の繰り返しで真の多様化が進んでいくのかもしれない。要はこれからは振幅の振れ幅を小さくしていくことだろう。
小津安二郎に完全にはまってしまって困っている
この年末年始は小津安二郎に完全にはまってしまって困ってしまっている。僕の短歌の方向とは真逆だからだ。おかげで短歌が全くできなくなってしまった。
全部で14本見た。
『晩春』を皮切りに『麦秋』『東京物語』『宗方姉妹』『風の中の牝雞』『早春』『東京暮色』『お茶漬の味』『東京の合唱』『東京の女』『一人息子』『淑女は何を忘れたか』『戸田家の兄妹』『父ありき』とよくぞこれだけ見たなというぐらい見た。おそらく著作権切れが多いのだろう。YouTubeなどで簡単にみられる。
戦前の無声映画はちょっときつかったのでさすがに二本でやめた。小津が兵役から帰ってきてからの昭和16年から途端に質が上がる。特に戦後の白黒映画は至高だろうと思う。
ここまで見て小津の映画を僕なりに総括すると、ありふれた人情もの、ホームドラマが多いながらも冷ややかなリアリズムを基底とした静かで穏やかな悲劇と言える。時代を超えた普遍性をこれでもかと突きつけられる。これでもかこれでもかと何本見ても。その普遍性に圧倒されるのだ。

で、カラー映画はまだ心の準備ができてなくて、戦後の白黒映画で最後に残されていた『長屋紳士録』を今日見た。最後の楽しみに残してとっておいたのではなくて、人情喜劇だということで小津らしくないなと思い、あまり気がすすまなくて結局最後になってしまっただけだ。評判もあまりよくなかったし。
しかしこれが意に反して大変面白かった。笑いのツボがあの時代だというのに全くずれてない。ここに驚いた。そして泣ける。最後は辛い終わり方で、ああやっぱり小津は悲劇にもっていかないと気が済まないのだな、とは思ったが、これは『男はつらいよ』の原型かもしれない。

この動画の笠智衆は歌が半端なく上手い。リズム感が今のロックなんかよりいいんじゃないかとさえ思えてくる。これだけでも見る価値はあると思う。笠智衆さんが謙遜気味に言ったことには小津監督にただ一つ褒められたのがこの歌だったとか。厳しいらしかったからね。
のぞきカラクリの唄 映画「長屋紳士録」より 歌:笠 智衆

『長屋紳士録』の本篇はこちらです。
長屋紳士録 - Nagaya shinshiroku - Record of a Tenement Gentleman (1947) Yasujirô Ozu
昭和22年なので完全に著作権切れでしょう。安心してみてください。