スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
宇野常寛の爽やか一刀両断


「自分の総理の椅子を守りたいから、ミサイルが飛んでくる時に選挙するバカと、そして総理になりたいからといって烏合の衆を適当に集めて、都政を放り出すバカ。この二択ですよね。」
「本当に小池百合子とかどうしようもないやつだと思いますよ。頭の中身なんてネット右翼とあんまり変わんないし、安倍晋三とどっちがタカ派かわかんない。」


ずばりこの通りだ。宇野常寛、最後なので飛ばしている。これだけのシャープな正論をこれだけ面白く言える人はそうはいない。時々突っ込みすぎるきらいはあるが、僕は概ねこの人の意見に賛同しているし、いつも健やかに笑わしてくれる。この人の意見を聞いているときわめて健やかになれるのだ。
日本テレビはこれでクビになったが、TBSかテレ朝からオファーが無いようでは、日本のマスコミは今度こそ本当に終わりかもしれない。
スポンサーサイト
終戦の日を前に
ウィンザー通信:「特攻は美しいことではなく、残酷で、二度とあってはいけないこと」大竹しのぶさん

吉永小百合など芸能人が原爆忌や終戦の日に何か言うことはロクでもないことが多いのだけど、だいたい日本国民が被害者でアメリカと日本政府軍部が加害者という構図。これを外すことは過去絶対に無かった。いつもうんざりだった。そうやっていつも被害者面するリベラルの典型的な厚顔無恥の意見。中国、韓国や近隣諸国からみたらさぞかしむかついただろう。加害者のくせして被害者になりきってやがると。
しかしこの大竹しのぶさんは外した。僕が見てきた中では初めてだ。
前半の特攻隊の部分は平凡だが、肝心なのは後半。

私たちが、どんな思いで生きてきたか、どこで間違って、どこでその間違いから出直したか、今のうちに書いておかなくてはね。私たちが、自分で地獄をつくったということを。
大竹しのぶ


そうだ、我々日本国民が地獄を作りだしたのだ。とことん加害者なのである。近隣諸国に対する、そして日本人の被害者に対しても、我々日本国民が加害者なのである。南京がなければ広島は無かったのだから。このことを考えずしてあの戦争を考えることは許されない、断じて。被害者面はもういい加減やめてほしい。世界中から笑われている。
地球は寒冷化に向かうのか
氷河期に向う地球②「まやかしの温暖化説」

地球温暖化警告の書『不都合な真実』を著したアル・ゴア氏が原子力発電を推進する(二酸化炭素を排出する火力発電からの切り替えを主張する)グループの回し者だという陰謀論はさておき、太陽黒点が異様に少なくなっているということ、つまり、太陽の活動が活発でなくなっていて、江戸時代の飢饉の時期にあったような「マウンダー極小期」みたいなのが来て、地球が少し寒冷化するじゃないかという説は科学的にある程度の説得力を持っている。

また一方、過去、10万年続く氷河期と1万年の間氷期の繰り返しサイクルの中にあって現在は1万年の間氷期の終わりに位置しているというデータはデータが正しければなかなか否定できるものではない。つまりこれから10万年続く氷河期が来るという説もある程度の説得力を持ってはいるが、それは1万年ぐらい後かもしれないわけで。

確かに最近、冬が寒い。これは温暖化によって高緯度地域の氷が融けて一時的に寒くなっているのではという説も一応説得力を持ってはいる。

氷河期はもちろんご免だが、これだけ夏が暑いと、「マウンダー極小期」で数10年ぐらい涼しい時期が来るのはいいんじゃないの、と思ってしまう。もちろん食糧危機やエネルギー危機は避けられないだろうが。しかしこれ以上温暖化が激しくなれば、アフリカ、インドなど食糧危機がもっと深刻になり、紛争も激化するだろう。そしてそれが世界中に波及する。

いい加減これぐらいで少し地球が冷やされるのはいいのかもしれない、と僕のような楽観主義者は無責任に思ってしまうのだが。
日本を救った菅直人元首相
半歩前へⅡ:日本を救った菅直人に「対応がまずい」?

原発事故時、管直人首相は国民からめちゃくちゃ非難されたが、大惨事にならずに済んだのはこの首相のおかげだったはずだ。
格納容器をベントしたから建屋が爆発したんだけど、ベントしてなかったら格納容器そのものが爆発してただろう、間違いなく。その判断は理系出身で、最終決断ができる立場にいた、管首相の判断によるものだった。もしこの時の首相が安倍ならと思うとぞっとする。もし建屋の爆発をためらって格納容器を爆発させていたら、東日本は住めない状況になっていた。当時東京にいた人はすべて重度の放射能汚染に見舞われただろう。一体、管首相以外で決定権のあるだれが、建屋は爆発してもいいから格納容器だけは守れ、と判断できただろうか。相当な知的レベルと勇気ある決断力が要求されるのだから。
なのに、日本国民は管首相を罷免したのだ。なんと愚かだろうか。これ以上愚かなことがあるだろうか。
せめて後からでいいから管直人氏の名誉を回復させてほしいものだ。歴史に残る偉業なのだから。
反戦リベラルの限界と歴史修正主義
他の僕の日記でSEALDsを批判したことに批判があった。僕の書くことはどうも誤解されやすいので、誤解の無いように書くにはコメント欄では短すぎると思い、新たに日記を起こすことにした。以下、僕を批判した人に対してではなく一般論として書く。

SEALDsというよりはSEALDsも含めた一般的な反戦リベラルに対する批判として書くことにする。こういった考え方は一般の日本人にはほぼないらしいのでちょうどいい機会ととらえて。

まず安倍自民党に対して僕個人が最も許せないのは、歴史修正主義である。歴史は科学だ。その科学を否定することはできない。それを否定したら議論にならないからだ。リンゴは明らかに万有引力で木から落ちるのである。それと同じように日本は中国をはじめアジアを侵略した歴史は到底覆らない。
SEALDsも含め反戦リベラルの多くは歴史修正主義には言及しない。安倍自民党の歴史修正主義を糺さないことには東アジアの安全保障は全く立ち行かないというのに。なのに戦争反対の一点張りだ。戦争なんか誰だって反対に決まっているのだ。どうやったら戦争が防げるのか、それが安全保障問題の核心である。その「どうやったら」を全く言わずに、単に戦争反対では埒が明かない。少なくとも世界は日本に対してあきれているに違いない。

その理由は反戦リベラルの多くも右派とはまた違った歴史修正主義に陥っているからだろう。日本はアメリカと戦争したわけではない。中国と戦争したのだ。その中国への侵略をアメリカに邪魔されたからアメリカに突っかかっていったのである。今の北朝鮮の世界に対する態度と同じだ。それよりもずっと大規模だし、性質が悪かったと僕は思う。
ところが日本人の多くは中国への侵略をきれいに忘れてしまっていて、ヒロシマ、ナガサキで日本人は被害者なんだと思い込んでしまっているのが現状。明らかに加害者なのに。南京がなければヒロシマはなかったわけで。これを言うと非国民扱いされるに違いない。リベラルからも。
それだけでなく、中国への加害状況を全く顧みることなく、日本の兵隊さんたちがいかに苦労したか、戦争に対してはそればかりだ。
南京だけではない。南京は単なる象徴に過ぎないわけで、中国全土を荒らしまわったのだから。ナチスドイツの戦争犯罪以上か少なくとも同じレベルだ。これも言うとやはり非国民扱いされるだろう。
あの戦争による死者はいろいろな説があるがだいたい、中国人の民間人が800万人。軍部も含めて1千万人~1200万人。アジア全体でおよそ2千万人。そのほとんどすべてが日本人による仕業だ。一方、日本人の軍部民間被害はあわせて死者およそ310万人である。数がすべてではないが、数を把握することも重要だし、そこから逃げてはいけない。
日本人は日本人だけを慰霊するのではなく、中国を中心としたアジアの被害者に対して、加害者として心から慰霊の気持ちを表さないといけないというのに、日本人の兵隊さんやヒロシマ、東京大空襲などの被害者ばかりに慰霊を一生懸命毎年行っている。なんと利己的な民族なんだろうと誰もぞっとしないのだろうか。

それと朝鮮民族に対する態度。日韓併合後、日本は朝鮮民族を食い物にしてきた。搾取しまくったのである。朝鮮民族は日本民族の奴隷だった。それが日韓併合の目的だったのだから。従軍慰安婦だけではない。特に昭和19年以降、強制徴用された人たちは100万人を超える。日本の若者が徴兵でいなくなった後の労働問題を補うべく強制的に朝鮮半島から徴用されたのだ。彼らがなぜ自国のためではなく日本のために劣悪な労働環境の中で働かなければいけなかったのか。ほとんどのリベラルはその理不尽さを考えようともしない。慰安婦問題もその延長上にある。慰安婦問題を理解するにはまず日韓併合を理解しないと始まらない。慰安婦像は本来日本に抗議するためのものではなく、朝鮮民族にとっての民族の傷みの歴史を民族で共有していこうという試みでしかないはずだ。だからそれに対して加害国である日本が、その隣人の傷みをどれだけ共有できるかが問われる。だから慰安婦像に目くじらを立てるということは最初から傷みを共有するつもりはさらさらない、ということをはっきり言っているにすぎない。それだと隣人との協力ははなからできないだろう。そして韓国との安全保障も立ち行かない。

こういった歴史を正確に把握しようとする態度を示すだけで、どんなに東アジア(北朝鮮を除く)の安全保障が改善されるか、反戦リベラルたちは全く考えようともしない。どころか日本が悪いとは思っていないのだから。日本はあの戦争の最大の加害者なのに、原爆のせいで最大の被害者だと思っているのが、SEALDsも含めた反戦リベラルの現状である。ここから糺していくのは相当骨が折れる、というより絶望するしかない。

さてもう一つの批判である、南スーダン問題だが、僕の知る限りでは、日本だけでなく、中国、韓国、イギリス、インドその他アフリカ諸国、全部で十数か国が援助に行っている。南スーダンは相当悲惨な状態で、男どもは虐殺され、女どもはレイプされ、子供たちは飢えて死ぬしかない状況らしい。かつての中国である。日本は中国に対して各村々を襲い、食料を強奪し、男どもは処刑し、女どもはレイプして最後は家々を焼き払って後には何も残さない、という戦法をとったのだ。同じレベルだと僕は思っている。そこへ援助に行くことになぜ躊躇することがあるのだろう。世界第3位の経済大国がお金さえ出したら済むとでも思っているのか。戦闘に巻き込まれるのはできる限り避けながらも援助は続けていくべきだろう。僕の知る限り、日本以外で撤収を決めた国はない。日本だけが逃げていくのだ。世界の笑いものである。

日本も戦後70年、もういい加減、世界レベルで安全保障問題を考えられるようならないといけないと僕は思うのだ。そのためにはまず右派左派ともに陥っている歴史修正主義を自覚することからだが、道は遥か遠い。そしてその次は右派左派ともに陥っている内向きのナショナリズムからの脱却である。右派左派共に自国の平和と豊かさしか考えていない。右派左派共にジャパン・ファースト、ジャパニーズ・ファーストなのだから、おぞましい国である。
一億総ナショナリスト
危機の20年:北田暁大が聞く 第12回 ゲスト・萱野稔人さん 論壇、言論と政治

萱野稔人: この20年ほどの論壇は、理論への敬意が低くなったと感じます。代わりに、物事を善悪や道徳で判断する傾向が強まった。安倍晋三政権の高支持率もトランプ現象も、「許せない」だけ。どんな理不尽な動きにも、背景となる「合理性」があるのに、それを見ない。そもそも、国家は良しあしではなく、現に存在するものです。「9条を守れ」だって、「我々の憲法を我々で守る」というナショナリズムですよ。

北田暁大: 国家単位での物事を気にするのは、広い意味で「ナショナリスト」。そう自覚したうえでレイシズム(人種などの差別)にはまってはならない。憲法9条も、よほどナショナルな信念がないと守れない。国際法との整合性や交戦権の解釈など、国際社会で通らない理屈に基づきますから。日本は、偶然と米国の戦略に守られて戦争をせず、矛盾を沖縄に押しつけてきた。単一民族国家神話を批判しつつ「9条を守れ」と言う両義性をしっかり意識しないと。


リベラルがあまりにバカすぎると、萱野のようにだんだん自分が右傾化していくことに気がつく。世界レベルでの安全保障が現にあるわけで、それは集団的自衛なのは言うまでもない。個別的自衛が前近代的で極めて危険なのに比べて、集団的自衛は加盟国で負担を分担できることだけでなく加盟国間で監視できる、という決定的な利点がある。この利点こそが安全保障なのだから。こういうこともわかってない人が多い。日本は北田が言うとおり、偶然今までアメリカに守られてきただけで、これからもこの偶然が続くと思うわけにはいかないわけで。日米安保がなくなった後のことを考えないといけない。個別的自衛だけは絶対に避けないといけないわけで。消去法で集団的自衛しか残らない。つまりNATOへの加盟だ。
人を査定する資格
TVドラマ「カルテット」第8話より

カルテットの他の3人との交際を辞めさせて兄・別府司にまともな職に就いてもらおうと弟が乗り込んでくる。カルテットが住みついている軽井沢の別荘に。そこは弟が管理していて、それを売るために不動産鑑定士に査定させた後、兄弟の会話。

別府司の弟「無職とかゴミ出ししないとか、全然だめでしょ。ダメ人間じゃん。」
別府司(松田龍平)「人を査定しに来たの?どういう資格で?」


人を査定する資格を持っている人はこの世にだれ一人いない。人は不動産ではないのだから。
という当たり前のことにいまさら気づかされるほど、我々は無意識に人を査定していないだろうか。津久井やまゆり園の殺人犯や長谷川豊のような極端なケースじゃなくても。
そしてその査定基準は大抵の場合その人の収入である。無意識にお金を世界の中心に置いてしまっている。そこから逃れるためにも文学や芸術は必要なのかもしれない。全ての人に。
在日朝鮮人 歴史と現在 (岩波新書)
在日朝鮮人 歴史と現在 (岩波新書)

なんとなく知った気でいたつもりが何もわかっていなかったことを思い知らされる。これまで断片的に読んだり見聞きしたりしていた「点」が「線」につながる感じ。すっきりする。

明治以降の移民、戦時中の強制連行、戦後の占領軍と共産党との関係、南北朝鮮分断、帰国か日本人として生きるか、朝鮮人学校、日本人の謝罪意識とナショナリズムの台頭、パチンコ産業、ニューカマーによるコリアンタウン活性化、参政権、などなど。ただ、各団体や個人名など煩雑でわかりにくい面もあった。関係図などあったらもっとわかりやすかったが。

特に留意したのは、昭和19年より始まった、完全な強制徴用による朝鮮人の来日。日本人男性の多くが徴兵で戦地に赴く中、国内産業の空洞化を補う形で有無を言わせず朝鮮半島から100万人以上だろうか、炭鉱や工場など劣悪な強制労働に強制的に駆り出された。これからわかるように、当時の朝鮮人は日本人が困った時の補完要員として日本人がいいように考えていたいわば奴隷だったのだ。このノリから従軍慰安婦も日本人を慰安婦にするのは抵抗が激しかったから、その補完として朝鮮人に乗り換えた、ということがよくわかる。徴用と違って、仕事の内容から、完全な強制というわけにもいかず、従軍看護婦だとか兵隊さんの身の回りの世話だとか言って嘘をついて連れてったのだ。だから慰安婦問題だけでなく、当時の朝鮮人は日本人にとって当たり前のように奴隷扱いだったことを理解しなければいけない。当時の日本人はおそらくこのことになんの疑問も感じていなかったのだろうということも。こういった当時の人々の感情に根差した歴史認識が重要なのだ。

あと目から鱗だったのは、在日朝鮮人韓国人の中で、故郷への帰郷か日本へ帰化しての同化か、という二者択一的なものから、1980年代以降、日本に定住しつつも同化はせず朝鮮民族としてのアイデンティティは守る。つまり在日朝鮮人韓国人としての帰属、できれば在日〈統一コリアン〉としての帰属という第3の道を選ぶということ。そういう道を選ぶ人が多くなってきたということは新しい知見だった。
とにかく、日本人ももちろん多様化しているこの現代において、在日朝鮮人韓国人も価値観は多様化していることは間違いない。だから一律にくくらないことなのだろう。一人一人違ってて当たり前なのだ。

「どうせ国境なんかだれかの落書きだろう」とジニが言ったように、僕も落書きだと思うし、それぐらいでちょうどいいとは思う。だが困ったことに民族は頑固に存在する。思うに民族の違いとは背負ってる歴史の違いなのではないか。そのお互いの歴史を理解しあうということ。それがお互いの民族を理解しあうということに繋がる。そしてその上で「どうせ国境なんかだれかの落書きだろう」とつぶやいてみたい。
在日朝鮮人韓国人がそのための柔らかな接着剤のような存在になればいいと僕はこの本を読んで思った。
人口減のスピードを緩めるための少子化対策
毎日新聞:社説 歴史の転機 人口減少 深刻な危機が国を襲う

世界的には人口爆発で大問題なのに先進国だけ少子化対策することは自分勝手な話だとずっと前から思っていたが、これを読んで考え方が少し変わった。

人口減は「地球にやさしく経済成長を目標としない社会の到来を歓迎する意見もあるが、問題なのは減少のスピードといびつな年齢構成である。100年間で3分の1にまでなる急激なしぼみ方は社会に深刻な影響をもたらすだろう。」
そして特に社会保障制度に深刻な影響をもたらすらしい。

要は、減少のスピードが問題なのであって人口減自体はやはり歓迎すべきことなのだ。現象のスピードを緩めるための少子化対策は必要なのだと思い到った。

でも個人的にはこんな無理な世の中に自分の子供を送り出すことには罪の意識すら感じる。たとえ今自分が若くても子供は産まないだろうな、と卑怯かもしれないが心底思ってしまう。
慰安婦像の意義
毎日新聞:日本政府、駐韓大使ら一時帰国…少女像設置に対抗

慰安婦像は本来日本に抗議するためのものではなく、朝鮮民族にとっての民族の傷みの歴史を民族で共有していこうという試みでしかないはずだ。だからそれに対して加害国である日本が、その隣人の思いをどれだけ共有できるかが問われる。

だから慰安婦像に目くじらを立てるということは最初から痛みを共有するつもりはさらさらない、ということをはっきり言っているにすぎない。それだと隣人との協力ははなからできないだろう。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。