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自己責任論の無責任を問う
恥ずかしい日本の自己責任論の無責任を問う20181026NEWS23

要するに外国で何が起ころうが知るかい、何で知らなあかんねん、という人が「自己責任」を言うわけ。
日本さえよければいいと思っている、まさに無責任。
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歴史の史実と解釈
靖国神社職員有志の主張

靖国神社職員有志の主張
「大東亜戦争は、欧米列強によるアジア植民地支配からの解放を成し遂げるための、正義の戦いでした。」
「私たちとしてはこの正義の戦いである大東亜戦争について、日本国家には一切謝罪も反省も必要ないと考えています。一切の戦争責任を負う必要ないと考えています。」


ではなぜ東アジアや東南アジアで旧日本軍が少なく見積もっても1500万人もの人を殺す必要があったのでしょうか。
歴史は解釈は如何様にもできますが、史実はたった一つですから。旧日本軍がアジアで大量虐殺したという史実は揺るがないのです。歴史は科学だという所以はここです。
僕の解釈では、欧米列強からアジアを守るためというのは1割ぐらいはあったかもしれないけど後の9割は侵略だったということです。その1割をまるで10割のごとく言ってくるのが歴史修正主義者のいつもの言い分。史実をまず受け止めてから解釈に移ってほしい。史実を受け止めない解釈は無意味でしょう。
利己的な民族
麻生氏が不適切発言=医療費負担「あほらしい」に同調

珍しく、麻生の言ってることはそんなにはおかしくないと思った。
不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは「あほらしい」つまり不平等だ、と言ったわけだが、「人間は生まれつきがある。一概に言える簡単な話ではない」と言って慎重に炎上を避けてるし。

ただ麻生はもちろん何もわかってない。国費で賄う健康保険は本来個人の損得で考えるものではないからだ。自分も社会の一員でみんなでみんなの面倒を見てるんだ、という意識が必要。
安全保障でいう集団自衛に似ている。みんなでみんなを平和にするのが集団自衛。自分とこは平和なのに派兵して損してるなんて思いだしたら世界平和は成り立たない。それと一緒で自分は健康なのに不健康な人のために掛け金を払ってて損してる、なんて思ったら健康保険そのものが成り立たなくなる。

日本人は欧米と違ってみんなで元気で平和になろうという意識がない。利己的なのかもしれない。だから麻生に同調する人は多いだろうと思う。
杉田水脈衆議院議員の「LGBT生産性なし」発言について
杉田水脈衆議院議員の「LGBT生産性なし」発言について、こんなバカバカしい発言はすぐに収まるだろうと思ってて、スルーしていたのだけど、そうもいかなくなったようで、少しちゃんと書こうと思う。

「LGBT生産性なし」発言ばかりが目をむくのでこちらにばかり目が行きがちだが、これは単なる釣りだと言ってる人が多い。確かにそんな感じで、この議員はLGBTに対する税金投入が必要ないと言ってるのだ。それを言いたいがために、「LGBT生産性なし」というとんでも発言にまず及んだのだろうと思われる。普通に言っても注目されないので人目を引く作戦に出たのだろう。要するに注目されて党内の地位を上げようという魂胆だ。
だがそこでちょっと待てよだ。LGBT支援に対する税金投入がはたしてどれほどか。杉田議員の発言だとまるでLGBTは何か特権があるかのごとくである。でも実際は普通の異性カップルと同等な権利があるようにするためにおそらく税金と言えるほどではない微々たる金額で法整備していこうとしているだけだと思う。LGBT特権なんてもちろん聞いたこともない。
ここで在特会が思い起こされる。正式名称は「在日特権を許さない市民の会」でこの名の通り、在日朝鮮人韓国人にまるで何かの特権があるかのごとく吹聴している。しかし彼ら在日の人には日本人と同等の権利を有する権利が当然あるだけのことで、日本人以上の権利はもちろんない。それがまるで日本人以上の特権があってそれは許さん、という構図に持っていこうとする。そして徹底的に在日の人を叩くのである。もちろんだからこの場合「在日特権」は釣りで、本当に言いたいことは差別発言であることは言うまでもない。嘘でもいいから何かに言いがかりをつけて徹底的に差別したいわけだ。この今の日本で最も醜悪な団体である。
そこで杉田発言に戻るが、「釣り」と「本論」が実は逆転してしまっている。「LGBT生産性なし」が釣りだと言ってる人が多いし僕も最初そう思ったが、実はこっちが本論だろう。ありもしないLGBT特権なるものをさも正論のように言っといて、最初、釣りとして言ってた「LGBT生産性なし」を結局言いたいのではないだろうか。在特会と一緒で何かありもしない嘘でもいいから理由をでっち上げて、徹底的に差別したいのだろう。叩きたいのだ。「LGBT生産性なし」も科学的にFakeだし、LGBT特権も社会的に全くの大嘘だ。二つとも嘘なのだ。この今の日本で最も醜悪な女性である。
高知県本山町
今度の豪雨で最も降水量が多かったのは高知県の本山町だけど、あの早明浦ダムのすぐ東隣の町。1,700㎜程ふったらしい。想像できない量だ。でも被害は報道されていない。
その本山町出身の人に今日たまたま会ったのでおそるおそる聞いてみた。どうでしたかと。
心配で電話したけど、大丈夫だった、避難はしたらしいけどね、とのこと。
その人が言うには、その町は以前から雨が多いところでしばしば土砂崩れがあり、それを避けるために絶妙に家を建ててるらしい。たとえば両サイドが土砂で崩れても間のその家だけは大丈夫とか。土砂の抜け道を長年の経験で言い伝えてあり、危ないところには家を建てないらしいのだ。
う~んなるほど。未曽有の降雨量だったけど、こんな場合でも先人の言うことはやはり聞いといたほうがいいということだ。古くからの町にはなにかといいことがある。新しいものは確かにいいかもしれないが、伝統も大切にしていきたい。
スポーツの価値
今日の毎日新聞の余禄(朝日新聞における天声人語)は永久保存版かなと思ったので以下に全文コピペした。

「見よ。ひとりの男が裸身で跳ぶ。他の男が力を込めて円盤を投げる。これが何の名誉か。私はこれを愚行と名づける。子供だましの意味ない遊びだ。キリスト教信者はこの中身のない、無意味な見せ物を避けよ」▲3世紀のカルタゴの司教シプリアヌスはこう述べたが、スポーツ嫌いはいつの世にもいる。ただその言葉に一面の真実がないわけではない。なるほど人為的な決まりごとから生まれるスポーツの勝敗に現実的意味があるわけではない▲だがその無意味こそが、人々の抱く夢や栄光、感動や失意などあらゆる物語を盛り込める空(から)の器となる。まさしくスポーツは文明の一大発明だが、人々の心を引きつけるこの器、競技の決まりごとが破られればすぐさま壊れてしまう▲対関学大戦での日大アメフット部のラフプレーの波紋が広がっている。危険なタックルで無防備な相手を負傷させた反則への批判がネット動画を介して拡散し、対日大戦中止の動きやスポーツ庁長官による危険行為非難が報じられた▲この反則、監督が指示したなどという聞き捨てならない話も伝わっている。日大アメフット部はホームページに謝罪文をのせたが、危険行為の背景説明はない。今後の真相解明は大学アメフット界の命運がかかったものになるだろう▲ラフプレーもいったん「暴力」という現実的意味を帯びれば、スポーツの栄光も夢も感動もすべて雲散霧消する。スポーツにかかわるすべての人が宝物のように大切に扱うべき「無意味の器」である。


スポーツというのは確かに人が勝手に作ったルールの中だけで成り立つわけで、そこで勝とうが負けようがどんなに優秀な成績を上げようが、本来全く無意味なのだ。現実とは遊離した完全に閉じた別世界だけの話で、だから大谷選手がどんなに野球で活躍しようが所詮スポーツはスポーツでしかないわけで、現実世界から見ればたしかに全く無意味だ。スポーツ嫌いは主にここに由来すると思う。本来ひどくつまらなくて無駄なものなのである。
しかしその「空の器」に様々な夢や感動や教訓が盛り込まれていて、無駄だからこそ、素晴らしい、という逆説が成り立ってくる。そこで初めてスポーツに価値が出てくるわけで、「空の器」だからこそ素晴らしいのである。しかしそのルールを暴力的に破ればたちまちにその「空の器」は空だからこそいとも簡単に崩れてしまい、スポーツそのものが存在の危機に瀕する。そのことをわかってやってるスポーツの当事者がいったいどれだけいるだろう、と今回の事件で思った。それは鈴木大地スポーツ庁長官も含めてである。
麻生財務相「セクハラ罪という罪はない」
麻生財務相「セクハラ罪という罪はない」。識者ら「何から何までおかしい」と批判や戸惑い

セクハラを殺人罪と比較するというだけで、確かに想像の斜め上を超えてくる。
セクハラとかあらゆるハラスメントは犯罪とかいう以前に道義上の問題でその人の品性が問われる問題。相手が嫌がることを嫌がっているということを承知で実行することをハラスメントという。本来、犯罪ではないが、上に立つ人間としては全く不適格。
で、こういう麻生みたいなハラスメントが何たるかを把握できない人のように嫌がることをやってもいいんだという最悪の人間がうようよいるから、それだと社会の空気が悪くなるので最近ハラスメントは犯罪化しただけで、もちろん重罪でなんかあるはずはない。
とにかく早くこの男を辞めさせてほしい。麻生財閥の財力と吉田茂の孫だという血統だけで威張っている、この二つをはぎ取ったら何も残らない単なるチンピラでしかないこの男に早く辞めてもらわないと不愉快で仕方ない。この男が政界にいるだけで我々国民にはハラスメントだ!
公文書改ざん、加計問題、日報隠し 「倒閣」だけでは解決せず
特集ワイド:公文書改ざん、加計問題、日報隠し 「倒閣」だけでは解決せず 東浩紀さんに聞く

最初写真を見たとき誰なのか全く気が付かなかった。東浩紀である。いつの間にこんなに太ったんだろう。しかしどんなに太っても東浩紀はぶれない。東浩紀は相変わらず東浩紀である。安心した。しかしちょっとはやせたほうがいいが。
以下記事より、カッコ内が東浩紀氏の文言。

去年の時点では「忖度にこだわる野党の戦略は『反安倍感情』に依存したポピュリズムにしか見えなかった。」ところが今年3月。公文書改ざん問題が明らかになり「事態は一変した」。政府が国会に偽造した文書を提出したことはあまりにも衝撃的だった。
「国会が、行政府に求めて差し出させた文書に改ざんがあったということは、立法府による行政府の監視が働いていないということ。つまり三権分立が機能していないという状態であり、民主主義の危機なのです。」
「安倍首相が退陣しても問題の解決にはならない」「行政府を預かる官僚の体質が問われています。これを機会に文書改ざんができてしまう体質を変えなければならない」
「今回の件は、官僚の誰かが実際に文書を改ざんしたわけです。キーボードを打ったこと自体が国民への裏切りであり、その人が特定され処罰されない限り、同じことは繰り返されてしまう。組織のトップを処罰するのは当然ですが、末端の現場を処罰することも大切です。安倍政権を倒すことに注力するあまり、改ざんに手を下した現場の官僚を免責にしてはなりません」
「もし上司から『コンビニで食べ物を盗んでこい』と命令されたら実行しますか? しないでしょう。なぜなら自分が処罰されると分かっていますから。処罰されると分かっていれば人は不当な命令に従いません。従って上司も命令できなくなる。逆に命令できるということは、犯罪に手を染めても、上司がかばってくれるという“信頼”があるということですよ」
「公文書は国民の財産であり、民主主義の根幹をなす文書です。それを偽造するのは許されません。だから現場で携わった人を特定して、具体的に命令方法などを明らかにする必要がある。佐川宣寿前理財局長ら財務省幹部が関与したか否かだけでなく、改ざんの場所はどこか、時間はいつか、命令は口頭だったのかメールだったのか、全て明らかにしていく。ボトムアップで細部を解明していく姿勢こそ必要です」
「大事なのは未来です。今回の件でしっかり処罰しておけば今後の抑止力になります。いざとなったらしっぽを切られる、自分たちは守ってもらえないと官僚が気づけばいい。官僚の体質が変わって、自分たちの仕事を国民が見ていると思うような状況をつくることが重要なのです」
倒閣運動だけに終わるのか、それとも官僚組織を変えるきっかけになるのか。この国は岐路に立たされているのかもしれない。



保守性から多様性受容へ進化する人類
「右寄り」の人を突き動かしているのは疾病恐怖 (the telegraph)

「強い右寄りの意見を持つ人々は、疾病への恐怖や衛生に関する懸念に突き動かされている可能性がある」
「さまざまな集団がそのルーツとなる場所にとどまり続けるような社会では、異なる集団同士の接触が減り、少なくとも理論的には病気になる確率も減少する」
「口臭や体臭といった強い臭気は、隠れた病気を示している場合があり、それを人々は無意識のうちに避けようとしている可能性がある。こうした感情があったからこそ、人の祖先は危険や伝染性のあるものを回避できた。嫌悪感は、人が生き延びる確率を伸ばすために進化してきた感情だと言える。」
「不快な臭いから遠ざかりたいという強い本能を持つ人々は、自分にとって「文化的になじみのない」集団が分離されている社会を好むため、右寄りの権威主義的な意見が助長される可能性が高い」


要するに、多様性に対して嫌悪を感じて保守的になることで、自分やその家族親族だけが生き残ることを最優先することになり結果、人類は生き延びてきたわけで。この考え方は確かに理にかなっている。

しかし公衆衛生が確立した現在において、そういった保守性はそんなに必要なことではなくて、「嫌悪感は、鼻にしわを寄せたり目を細めたりするなどの身体的変化を引き起こし、世界に対する知覚能力を低下させる。」わけで、そっちの方がむしろ問題になってくる。

今はだから多様性を嫌う必要のない世界になりつつあり、それを敏感に感じて多様性を受け入れる人の方が進化しているのではないだろうか。
金与正氏とは
金正恩氏の妹・金与正氏の「恋愛事情」と兄妹の本当の関係

金与正氏、ふんぞり返ってて印象すこぶる悪かったが、あれは北朝鮮国内向けのパフォーマンスかもしれない。北朝鮮は韓国より偉いのだと北朝鮮国民に思わせる必要はあるだろうから。しかし単なる育ちからくる高慢さかもしれないが。
いずれにしろ、我々西側の人間は正真正銘のプリンセスを初めて見たのかもしれない。なぜかというと、王制は日本の皇室も含めてどこも今やお飾りでしかない。だからその王の娘もお飾りのプリンセスだ。だが、中世では王は本物の権力者であり、その王の息子や娘は今のように国民に媚びる必要がない本物のプリンス、プリンセスだったはずだ。そういった意味でのプリンセスは僕は初めて見た。これは本物のプリンセスなんだと変に感動さえした。北朝鮮の金王朝は比喩ではなく本物の王朝なのだから。共産主義という外見はお飾りでしかない。今の時代に権力が世襲されるというのはここだけだろうから。

しかし、韓国の文在寅大統領にふんぞり返って挨拶をしていたこの北朝鮮の先代の王のプリンセスに僕はわずかに期待している。独裁者の兄の暴走を諌めることができる唯一の存在。平和裏に南北朝鮮が真に親睦を深めることができるとしたら、彼女をもってしか他にないだろうから。彼女がより聡明であり、より先進的であれと期待するしかない。