スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
日本の近代の本質をなす愚劣さ

「日本の近代の本質をなす愚劣さは、我々がアジア他民族との交流から何ひとつ学ばなかったことだ。」
村上春樹『羊をめぐる冒険』より


この観点は僕には無かったし、誰も言ってこなかったような。

確かに朝鮮民族は労働力としてしか見てこなかったし、中国人は全員殺すはずだったし、そのほかの東南アジアはそれ以下の「土人」でしかなかった。そしてその女性達はレイプか性奴隷の対象でしかなかった。なんという愚劣さだろう。これほどの愚劣さが他にあるだろうか。

日本人は日本人以外のアジア諸民族を完全に人間以下の動物レベルでしか見てこなかったようだ。日本人の利点といえば近代化がほんの少し多民族より早かっただけにすぎないというのに。
そして結果、戦時中は彼らから何も学ばなかったのだ。そう言われれば聞いたことがない。あったら教えてほしい。魯迅等は戦後の教育だし。戦後教育には少ないながらもいろいろとあるとは思うけど、でも少ないな。

そしてこのいわゆるレイシズムは今もゆるくではあるがずっと続いている。日本人がこのアジアで最も優秀で文化的素養も教養もハイレベルだと。
自分が一番優秀だと思うことの、他者から見てなんと恥ずかしいことか。あらゆる差別はこの恥ずかしい心根から始まるのだから。
スポンサーサイト
世界の腐敗度ランキング
Huffington Post Japan:世界の腐敗度ランキング、最悪の国はアフリカとアジアのあの国 日本は?

「腐敗」を、公務員や政治家が「与えられた権限を濫用して私的利益を得ること」と定義している。

日本の腐敗指数は76点で175国中15位とかなり清廉である。この程度で清廉というのが人類という種の現実として受け止めれば、今の日本、いろいろとあるけど、いいんじゃない、という気持ちにもなってくる。もっとも、これから順位が落ちていく可能性もあるけど。

大国の中ではドイツ、イギリス、アメリカと日本は70点台でほぼ横一線。カナダとオーストラリアは80点台前半なので大国の中では最優秀。
小国の中では北欧4カ国全部ととスイス、ニュージーランドが80代後半~90代前半とかなり優秀。小さい国は統治しやすいからね、大国とは単純比較できない。

一方、ロシア、中国、ウクライナ、インド、メキシコが20~30点台とかなり腐敗が進んでいる。
イタリア、トルコ、ブラジルが40点台。フランス、スペイン、ポーランドが60点台、韓国が55点ということと比べれば日本はかなりいい線いってる。こういうことは誇っていいと思う。民度を反映しているだろうから。ただし他国と同じように腐敗が進む可能性もあるということ。

北朝鮮は8点と全175国中最下位。ソマリアと並んで。これは民主主義が全くないということでこれもまた単純比較できないが、深刻だわ。
早明浦ダム
長年付き合いのある仕事関係の人で高知出身の人がいるんだけど、いやー、ものすごく降りましたねー、と今日その人と雨の話をしてて、高知の人なんで、早明浦ダムも渇水って言ってたのにこの雨で満水になって逆に放流してますよ、なんてこと話してたら、ぼくはそこの出身でね、ということになり、ホエー、とびっくりしてしまい、いろいろと早明浦ダムの話を聞いた。

その人は早明浦ダムのすぐ近くの本山町の出身で、なんとお母さんの実家がその早明浦ダムに水没したということだ。エー!これにはかなりびっくりした。

県道があって、トンネルがあってそれを早明浦トンネルというたんやけど、それもみんな水の下でね、と苦笑い。子供の時の大切な思い出が水の下というのもたしかにせつない。

ダム建設時は相当反対運動があったらしく、大変だったとのこと。何しろ水は香川と徳島。水力発電で得られた電気は愛媛で、高知は何にもなし、場所貸すだけで、そりゃあ反対するわ。

それで完成後すぐに、豪雨にあい、ダムが溢れそうになったので、吉野川に大放流したら、徳島で大洪水になった、という大変なこともあって、何とかそれを乗り切って今があるんだとか。先人は苦労してるんだ、やっぱり。

帰ってからWikiで調べたら、水利用は、徳島県:48%、香川県:29%、愛媛県:19%、高知県:4%。ほとんどその人が言った通り。
水力発電は最終的に愛媛県西条市の伊予変電所に送電されている。これも言った通り。
しかし治水の威力も相当らしく、Wikiでは具体的には分からなかったが、その人が言うには、水害ははっきりと減ったらしい。

Wikiに「吉野川水系における水資源施設の中核をなす四国地方最大のダムである。吉野川の治水と四国地方全域の利水を目的に建設され、このダムの水運用は四国地方の経済・市民生活に極めて多大な影響を及ぼす。このため「四国のいのち」とも呼ばれ、四国地方の心臓的な役割を果たす。」

とあるように、四国の人にとっては今やなくてはならない存在。よくそれまでダムなしで生活してこれたんだな、と思うぐらい。

毎年必ず一回は本山町に帰省されるとのこと。ぼくも一度行きたくなってきた。早明浦ダムと本山町に。少しは縁のある土地として。
ソマリアより
ソマリアと言えば内戦、内戦と言えばソマリア、というぐらい内戦の代名詞のような国からやってきた歌手、ケイナーンという人が今度のワールドカップサッカーのキャンペーンソングを歌うということだ。彼はそのつらい体験を打ち消す明るさを常に求めていたという。いわゆるPTSDを打ち消す明るさを、強さを。それだけに文明国の歌手の単に明るいだけの楽曲とは違うようだ。

というか、来週ワールドカップなんだ、忘れてた。それも初のアフリカ開催。これもその意味を認識していなかった。

しばし、目先の選挙しか考えない了見の狭い政治から目を離し、ワールドカップをアフリカをちゃんと見ていこうと思う。人類みんなの祖国アフリカを。
邪馬台国北九州説
箸墓古墳(奈良県桜井市)の築造時期について、国立歴史民俗博物館の研究グループが放射性炭素年代測定法で測定した結果、西暦240~260年とする調査結果をまとめた。以前の測定方法より技術が進歩し、格段に年代を絞り込むことに成功したとしている。

というだけのニュースである。箸墓古墳の築造年代が今までと違って格段に絞り込まれた、というだけのことで、古代史ファンはロマンを掻き立てられる、という事なだけで、なぜこれだけのことで、単に年代が合致しただけで、なぜこの古墳が西暦247年死亡したとされる卑弥呼の墓になるのか、あまりに突拍子もない。

春成秀爾・歴博名誉教授は「この時代、他に有力者はおらず、卑弥呼の墓であることが確定的になった」と述べた、とあるが、いやいや待てよ、3世紀という時代に、卑弥呼以外に有力者がいなかった、という証拠はどこにもないし、逆に、卑弥呼が巨大な墓を造営するだけの有力な王だったという証拠もこれまたどこにもない。

3世紀の日本列島はおそらくいたるところに豪族がいて、それぞれの地域を治めていて、彼らが中央集権的な強大な王、つまり後の大和朝廷のような王をいただいていたとはとても考えにくい。まだある程度ばらばらだったのではないか。それの一つの証明として、5世紀の吉備古墳群がある。同じ頃畿内では応神王朝がヤマト王権として強大な権力を誇っていたが、5世紀後半にいたってようやくこのヤマト王権は最大のライバルだった吉備王朝を服従させたとある。それでやっとヤマト王権は九州とつながったはずだ。その200年前に北九州までとどろく政権が畿内にあったとはおよそ考えにくい。プロの考古学者はいったいどこをどう研究しているのだろうと思う。それとも邪馬台国は畿内にないと都合の悪いことでもあるのだろうか。卑弥呼人気は絶大なるもので、皇室の系譜に卑弥呼を組み入れることで、その卑弥呼人気にいまの皇室もあやからせたいのか、そんな理不尽で下衆な想像さえ思い浮かぶ。

以下はほとんどが松本清張の『清張通史1・邪馬台国』(講談社文庫)の受け売りだが、まず、3世紀前半、当時の北九州は朝鮮半島南部と同一文化圏に属していた。当時は陸路よりも海路のほうが容易で、世界中で海洋文明が盛んだった。典型的なのがエーゲ海文明である。今の国境に何の関係もなく一つの国家連合が形成されていた。小規模だがこれと同じく対馬海峡も、対馬、壱岐、五島列島、済州島などを挟んで、両岸は共通の言語、文化、人種で一つの文明を築き上げていたのだ。そして当時の「倭」という地域はまさにこの海洋文明地域全体のことで、北九州は正確には倭国南部となる。そこから南方や東方は中国本土からはまったく認識されていず、もちろん強大な豪族はいくつもあったわけだが(その領主の一人が箸墓古墳の被葬者であったことは間違いない)、中国本土から見て、朝鮮半島までが東夷であり、北九州はその延長に過ぎない。つまり日本列島そのものは認識されていなかったわけだ。

古代史を考えるとき、今の国境で考えるのはどの地域も無意味となる。宮台真司ではないが、「境界線の恣意性」を常に(というか無意識に)念頭に置かなければ古代史は絶対に読み解けない。

3世紀前半、北九州は飛びぬけた国がなく、大乱となり、このままでは各国が消耗戦となるので平和協定を結び、その中の一番の大国だった伊都国が中心となり、占いのよく当たる少女・卑弥呼に自分たちの政治の決定権をあたえ、一応、平穏を見たわけだ。その卑弥呼が居住した場所が「ヤマタイ」と呼ばれるところで、この意味は諸説あるが、単に「山の麓」を当時の朝鮮語で「ヤマタイ」と呼んだ、という説もあり、いまの福岡県に似た地名があってそこではないか、と諸説があって、謎のままだが、畿内の「大和」と別に直接関係があるわけではない。ヤマタイやヤマトは古代には、どこにでもある地名だったのだろう。

そして邪馬台国という国は無かったとも言える。単に周辺諸国の政治決定所だったわけで。また卑弥呼が女王なんかではなく、単に巫女の親玉ぐらいだと見たほうが妥当だろう。当時は科学知見が全く無く、実際に重要な政治の決定が普通に占いで行われていた。だから予知能力があるんじゃないか、と思われるぐらい占いがよく当たる少女が大変重宝されたらしい。この占い師と執政官の関係は飛鳥時代の推古女帝と蘇我馬子との関係に形骸化された形で受け継がれていて、卑弥呼が制度的には天皇制の原型に当たらないわけではない。しかしそれはあくまで制度としてである。

他にも邪馬台国九州説を裏付ける物的証拠がたくさんあったが、15年ほど前に読んだ本なのでほとんど記憶になく、今まで書いたことをまとめると、当時北九州にあった伊都国を中心とした倭国南部の国家連合の政治決定所であった邪馬台という場所が、畿内にあるはずはなく、同じ北九州にあったのは否定しようがない。なぜプロの古代史学者が畿内説にこだわるのか、どう考えてもわからないのだ。
日本の少数民族
チベット問題をきっかけに、前から興味があった中国の少数民族のことをネットで調べていると、日本の少数民族というのが出てきた。アイヌと琉球以外あったかなぁ、と見ていると、ヴィルタとニヴフ、という聞きなれない民族名が飛び込んできた。両方とも樺太の先住民族で、ヴィルタの場合、樺太がソ連領になってから日本に協力した民族として多くが追放になり、北海道(主に網走市)に強制移住させられたそうだ。ニヴフの場合はその多くが今もロシア領内に住むが、一部はやはり北海道(主に網走市)に強制移住させられたそうである。
知らんかった。全く知らんかった。世の中まだまだ知らないことが山ほどありそうだ。

で、その後彼らはどうなったんだろう。日本民族に吸収させられたのかな。アイヌのように。
中国からやってくるもの
産経新聞に連載の『日本人解剖』が面白い。最近主に科学的に解明された歴史事実を縄文時代よりずっと説明していて古代史ファンにとっては大変興味深い。

今日は稲作の伝来についてで、中国の長江流域は8000年以上前から稲作が行われていたとのこと。この古代中国では黄河流域の畑作文明と長江流域の稲作文明の二つの文明が並列にあったとのこと。それが4200年前の気候の大変動(寒冷化と旱魃)で黄河文明は危機に瀕し、長江に南下して当時の長江文明の担い手だった苗(ミャオ)族らを追い出したとのこと。そのときの一派が日本に流れ着いて、稲作文化が伝わったのではないか、という考察がされていた。2500年~3000年前に朝鮮半島を通じて伝わったのと2ルートあったのでは、という見方だ。4200年前というのは僕にとって全く新しい知見で少し興奮しながら読んだ。

そんなことを、これも歴史好きの母と少し話していたら、母が、

「稲作も中国からやってきたんやね。あの餃子も。。。」

と唐突に歴史と関係ないことを言う。いやだからね(稲作と毒入り餃子を一緒にするなよー)、当時の日本は縄文と言っても人口少なくて、このときの苗(ミャオ)族の一派が日本に住み着いて日本人つまり縄文人になったのかもしれないし、とか、その証拠にビルマの山岳地帯に逃げ込んだ別の苗(ミャオ)族の一派は今もそのときの文化を守っていて、正月には門松を立てたり、竹馬の習慣があったりとか、日本の文化とすっごく似てるんだ、とか漢民族だけが住んでる今の中国がおかしいんだ、とか、あせって言ったけど、こんなふうに中国のことを悪く思っている人はほんと多いんだろうな、とだるい気持ちになった。何でも中国からやってくるものに嫌気がさすのである。しかも笑い話にもならないのである。

だが、中国をどちらかというと擁護してきたつもりのぼくでも、この餃子の件での最近の中国の対応にはさすがに腹を立ててしまった。客観的に見ようと全くしない。でも中国人が悪いのではない。中国の体制に問題があるのだ。とりあえず民主主義であることが大前提だろう今の国際社会は。何も民主主義を礼賛したりはしないが、民意が反映されるからといっても必ずしも客観的に見るとは限らないが、とりあえずまず民主主義になってほしい。でないとちゃんと話ができないのである。今回の件、もし韓国が相手なら、少なくともちゃんと話はできただろうと思うのだ。
世界史は退屈ですか
以下、とりとめもない妄想のような文です。人類学や、高校未履修で有名になった世界史の話で、興味のない方は読まないでください。退屈極まりないですから。


このブログのアクセス解析をしたら検索ワードに「黒髪 人類学 謎 アイスランド」があって、アイスランドに東洋系が突然変異のように顕れるのは人類学上の謎とされていることを思い出し、そうだビョークが東洋系なのはエスキモーのイヌイットの関係じゃないのかな、と気になりググルとアイスランドにエスキモーは住んだことがないということがわかった。その代わりグリーンランドの原住民はエスキモーであることがわかり、結局ノルウェー系のヴァイキングがグリーンランドとアイスランドを行ったり来たりしていて、その関係でビョークは東洋系の柔らかな顔立ちなのだろう、という結論に勝手に至った。

その後ネットサーフィンにはまった。いろいろと今まで知らない世界史のことが出てきた。
まずノルウェー系のヴァイキングは西方へ遠征した一派があり、グリーンランドを経て北米大陸に至っている。それは西暦1000年ごろで、コロンブスの新大陸発見より500年も前だ。これは聞いたことがある。今のカナダのバッフィン島にまず到着しその氷の世界に嫌気が差し南下してラブラドル半島からニューファンドランド島に流れ着き、緑あふれる世界に感動し定着を考えて住み始めるも、原住民のインディアンに攻撃されほうほうの体でアイスランドに逃げ帰ったのだそうだ。そのヴァイキングの遺跡が1960年ごろにニューファンドランド島で発見され、当時欧米ではかなり話題になったそうだ。(こういう話大好き)

で興味はなぜかインディアンに。1万3千年まえぐらいにシベリアとアラスカとの間のベーリング海峡をわたったモンゴロイド(つまり東洋人)が始まりで、以後4千年間の間に南米の先っぽまで至っている。最初は狩猟生活だったが、紀元前5000年頃、ミシシッピ河沿岸の中央平原で農耕生活が始まった。一方、700年頃には北米に初めて弓矢が登場して大型獣の狩猟がより効率的になり、その間に農耕生活が栄え、11世紀半ばにはミシシッピ河上流では都市的集落が発達し、イリノイ州カホキアでは人口3万に達する都市や120に及ぶ古墳が建設された。北米インディアンもかなり発達した文化があったのだ。ただ狩猟採集生活も主流を続け、人口は16世紀の時点で北米大陸にはおよそ100万人が住んでいたというが、これは同じアメリカ大陸のアステカ帝国の1200万、南米のインカ帝国の600万という人口に比べても少ない。
確かに北米中南米を含めたこの新大陸は、他の大陸に比べて文明の発達度は遅いが、着実に独自文化の成熟を見せつつあっただけに、16世紀以降のヨーロッパ人の新大陸に対する蛮行は、つまりあの文明破壊はおそらく世界史上最大のものと言っていいだろう。

で、なぜか興味はそのモンゴロイドに。というかインディアンの元になった北アジアの人類学や考古学に。そこでまたググル。
僕が以前から気になっていたのはアイヌ人を含む、環オホーツク海古代文化である。オホーツク海沿岸の大陸側はおそらく北方モンゴロイドのはずだ。それに対して北海道のアイヌは縄文人の一派で、南方モンゴロイドである。沖縄人とアイヌ人が遺伝子レベルで全く同じことが分子人類学で証明されているのだから。これは以前から知っていた。一体オホーツク海で彼らがどういった交流をしてどういった文化を育んでいたのだろう。大変興味ある。
で出てきたのが、菊池俊彦著「環オホーツク海古代文化の研究」[北海道大学大学院文学研究科研究叢書6]という大部の本である。これしか出なかった。これを読めば相当わかるだろう。だが今そこまで読む気はしない。老後の楽しみに取っておくとしよう。
僕が今もし学生で自由な身分なら、北大に行って、この研究をするかもしれないし、しないかもしれない。ま、しないだろうな。本は読むけど。他にも興味があることはいっぱいあるから。

とにかく人類学や世界史をひもとくと、すっきりする。気持ちいいのだ。なぜかって言うと、先入観なく科学的に民族などを分析できるからだ。あのうっとおしいナショナリズムから開放されるからである。日本人も結局、縄文人(南方モンゴロイド)と弥生人(北方モンゴロイド)との混血でしかないのだから。それに宗谷岬と樺太の間に線を引き出したのは最近だし、対馬海峡に線を引き出したのも中世以降だ。古代には環オホーツク海文明や、南鮮(当時の伽耶国)と北九州をぐるっと囲った海洋文明が栄え、それぞれ似た文化、似た言語があったはずだ。そうやって学校で教わった歴史での国境を一度取っ払わないと、本当の客観的な歴史はわかりっこないだろう。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。