橋下市長、大阪市特区の地方税ゼロ検討
■橋下市長、大阪市特区の地方税ゼロ検討 (読売新聞 - 01月12日)

これは大変いいことだと思う。大阪や関西がどんどん活性化するわけで。

成功した韓国・仁川経済自由区域の真似なんだろうけど。

この人は良いことも悪いこともするので、なんとか良いことだけをふるいにかけれないかな、とか思う。でも合わせ呑むしかないんだろうな。
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経済格差の根源
世界で一斉に「反ウォール街デモ」、日本では反原発の訴えも

だから経済格差は資本主義がグローバル化されたからだ、ということがわかってるのかわかってないのか、デモの人たちは。自分の国だけ格差が是正されても、他国に経済侵略されればひとたまりもないわけで。

世界を統べる経済ルールをもっと整備することが先決なんだけど。それを格差を是正する方向に向けるためには、このデモは有効かもしれない。

ということをわかってデモをやってほしい。つまり世界中の経済格差を一斉に是正するしか方法はないと思う。

格差が是正されることを切に祈ります。
分配の平等
池田信夫 blog より

分配の平等を求める感情はじつは人間の古い脳に埋め込まれた本能なのだという。信じられないけど、あるかな、とも思う。皆が平等であればその集団は結果として繁栄するはずだからか。文化の違いにかかわらず、これはどこでも見られるのだという。

しかし本当にこの感情を具体的に実現するためには様々な経済学的努力が必要だとのこと。日本では戦後から80年代まで、年率10%を超える経済成長があり、これが終身雇用を保証し、それによってこの経済学的努力を怠ることになったのだという。つまり経済学的努力をせずとも分配の平等は実現できたわけで。その努力を怠ったことにより、成長の止まった90年代に一気に様々な問題点が露呈し、利害関係の対立が顕在化したということだ。

やはりニューウェイブ(80年代)とロストジェネレーション(90年代)のそれぞれの意識における世代間落差は想像以上に大きいと思わねばならないのだろうか。
百年に一度
日経平均が1万円を超え、景気の底を打った感の強い相場が最近続いていて、これからも雇用に不安を残しながらも続伸していくらしい。アメリカの住宅問題は解決していないし、欧州は不安だらけで、特にラトビア危機はかなりやばいらしいけど。

「百年に一度」の恐慌と言われたわりには回復が早かったように思うが、それも日米中などが政府丸抱えの財政出動を積極果敢に行ったおかげらしい。それは財政赤字を生むことになり、今後が心配だが、もう一つ心配なことが、昨日の日経新聞朝刊の一面に載っていた。景気回復により、世界中のマネーが市場に急速に再流入してくるのではないか、という懸念だ。つまり相場が(今すぐにではないが)急速に上昇するのでは、ということで、またぞろバブル相場になるのでないかという懸念である。

思うに、百年前の世界恐慌は今と違って、経済のグローバル化はさほど進んでいなかったはずだし、市場の規模も違う。だから百年前に今の規模の恐慌があればそれは本当に大変だったわけだけど、今ならグローバル化が進んだことにより、わりと一気にこのレベルの破綻になるわけで、またこの速さで回復基調にもなる。これからはこの「百年に一度」のレベルの恐慌が5年か10年に一度ぐらいは起こるのではないか、という懸念が逆に出てきた。それはちっとも「百年に一度」ではないわけだけど、こんなバブル崩壊が何度もやってきたらこっちはやはりたまらない。

チャーチルはかつて「民主主義は最悪の政治システムと言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治システムを除けば」と言った。言い換えると「民主主義はよくないけどそれしかないんだよ」という意味だろう。この民主主義を資本主義に置き換えても同じことだろうと思う。つまり資本主義は最悪の経済システムだけど、それしかないわけだ。

資本主義しかないわけだから、だからこの資本主義を改訂していくしかないわけで、この「百年に一度」と大騒ぎしたことを機に、そこから学んで、資本主義を少しでも良いものに改めていくしかないのだろう。そしてバブルがさほど大きくならないように調整していければと願う。それこそこれからの経済学者の仕事なのだろうな、と素人ながら思うのだ。
ゆっくりとした衰退
池田信夫氏のブログから

つまりわれわれは「不自然で不平等な市民社会が、物質的な富を実現する上ではもっとも効率的だ」という居心地の悪いパラドックスに直面しているのだ。これを拒否するか受け入れるかは、ある意味で歴史的な選択である。「新自由主義」を否定して、政府が不況で困った個人や企業をすべて救済し、それによる財政赤字をまかなうために税率を70%ぐらいに引き上げる国家社会主義も、一つの政策だろう。そうやってゆっくり衰退してゆくことが、日本にとって現実的に可能な唯一の選択肢であるような気もする。


上がり下がりを繰り返しながら経済はゆっくりと衰退してゆくのだろう。資本主義を統制して、困窮した個人や企業などを救済してゆくためには、財源を得るための、消費税率アップが避けられないのがよくわかった。そうやって急激な衰退を避けるために、社会はその場しのぎの国家社会主義へと移行していく。その先は見えてこないが。
マーケットが壊れている
サブプライムローンに端を発したアメリカ発の金融危機。危機はついに破綻へと転じた。底割れの状態で、底がまだまだ見えない状態である。

今日のNHKのニュースを見ていると、一日数千万円を動かすという、デイトレーダーが冷静にインタビューに応じていた。
「どうにも動きようがない。マーケットが壊れている。多額の損失を抱えた人がたくさんいて身動きできなくなっているのでは。」

そう、マーケットが壊れている。まさにそんな状態なのだろう。壊れた金融マーケットの中でこれからわれわれは生活していかなければならない。それがどういうことなのか、僕にも全くわからない。

おそらくあのバブル崩壊直後の最安値7600円を下回るのは時間の問題だろう。あの時、日本がやった処方箋をアメリカもやってくれるのか、いや、その処方箋が今の状況に通じるのかどうかもわからないが。とにかくわかっていることは、あの日本のバブル崩壊をはるかに上回る金融恐慌が今世界規模で始まったということだ。
アメリカンドリームの破綻
ほんとうに怖ろしいのはアメリカという”ドリーム“が破綻することだろうか。

かつて池澤夏樹は、常にプラス成長を強いられる、つまりプラス成長の上にはじめて成り立つこの資本主義は巨大なねずみ講に過ぎないと断じた。だとするならいずれ遅かれ早かれこの資本主義は破綻するわけだ。

全く収束する気配どころかますます増幅していくサブプライム問題がその破綻の端緒ではないと誰か言い切れるだろうか。

低所得者層に庭付き一戸建てという夢を具現化させたサブプライムローンはアメリカという”ドリーム“が如実に眼を剥いたあげくの終着点のような気がする。それが破綻した。

アメリカの破綻はおそらく資本主義の破綻である。いやもちろんアメリカが破綻してもロシヤや中国あるいはECに資本主義の覇権が移るだけかもしれない。しかし資本主義の権化と化したアメリカが破綻したとき、資本主義そのものが”ドリーム“だったのだとわかるはずだ。
金儲けして何が悪い!
なかなか過激なタイトルである。筆者の人格が間違いなく疑われる。
でもひるまず書き進む。

昨日、村上世彰氏が逮捕される前の記者会見、なかなかの演技者振りを見せ付けていたが、一連の発言で一番気になったのは今日、タイトルにした、

 金儲けして何が悪い!

である。これに対して今日の報道番組で識者らしき人が、またもや誰もが言うだろうことを言ってた。

 金儲け自体は別に悪くないですが、ルールを破っちゃだめですよね。

違うよねこれは、決定的に何かが違う。
僕も金儲けが悪いとは全く思わない。問題はその金儲けの内容である。単に「ルールを破ったらだめ」なんて子供みたいなことは言わないでほしい、識者たるもの。それは「ルールさえ守れば何をやってもいい」ことの裏返しに過ぎない。まさにホリエモン的やり口を肯定することになる。なぜそのルールがあるのか少しは考えないと。それが社会参加だろう、それがシチズンシップだろうと思うのだ。
以前に何度か書いたが(参照)(参照)、もう一度似たようなことを書く。

人の職業は大きく分けて三種類に分けることができるだろう。製造業、流通関係、それとサービス業である。

製造業―農林水産業、工業、システムエンジニア、芸術家、作家、出版など
流通関係―卸売り業、小売業、運送関連など
サービス業―行政(つまり公務員)、教職(これも公務員が多い)、医者、弁護士、金融関係、インターネット関連など

ざっとこんな具合に分類できる。つまりこれらがぐるぐると回ってこの社会が成り立っているのである。社会に貢献するとはこの循環に身を置くことである。
あとたとえば主婦もサービス業である。たとえ対価はなくても、それで喜ぶ人がいるのなら、それは立派に職業だ。仕事とは必ずしも金銭の授受を基におかない。ボランティアもサービス業である。また一方、プロ野球選手もサービス業である。
つまり物を作るのが製造業、その作った物を世の中に流通させるのが流通関係、物以外のサービスを提供するのがサービス業、と分類した。出版は微妙だがあえて製造業に分類した。物とは何も目に見える物だけではない。だからソフトウェアを作るシステムエンジニアも音楽を作る作曲家などもこれは製造業だろう。

話が逸れだしたので元に戻す。
人は一般にこんなふうにだれもが社会に貢献してその対価として金銭を譲り受ける。これを一般に「金儲けをする」というわけだ。だが村上ファンドらは一体どんな社会貢献をしているだろう。確かに証券関係は立派にサービス業に違いない。資本主義システムが円滑に動くため、企業に運営資金を滑らかに回すのが彼らの役目だ。そのために投資信託もあってかまわないだろう。一般の人がそれに参加しても一向に構わないはずだ。だが、彼ら村上ファンドは、単にその企業の企業価値とは関係なく、噂の流布や株主発言などでその企業の株価を一過的に不当に吊り上げ、売り抜けているだけだ。これのどこに社会貢献があるだろう。これのどこが「金儲け」と言えるだろう。投資家からあっという間に金を巻き上げてゆくという、やっていることは手が込んでいるだけで、法律には触れにくいだけの、盗人と全く同じである。
だから「金儲けして何が悪い」と言うことによって、この男は自分が盗人であると言うことを隠しているだけにすぎない。それもまた自分でわかっているのである。またあるところでは、「日本では金儲けは悪いことのように言われる。企業家や投資家が住むところではないと思った。」とか「出る杭は打たれる」とか言っているのも、それは単に自分が盗人であることを隠すための安っぽい詭弁に過ぎない。だまされてはいけない。
シンガポールに逃げたが、アジアは証券市場のルールが日本よりまだゆるいらしいのだ。だからここならまた盗人稼業に専念できるというわけである。せいぜい日本人の汚名を流布しないでもらいたいものだ。

昨年4月東京地検の大鶴基成特捜部長が就任記者会見で

額に汗して働く人、リストラされ働けない人、違反すればもうかると分かっていても法律を遵守している企業の人たちが、憤慨するような事案を万難を排しても摘発したい。


と言っていた。確かに今思えば、ライブドア、村上ファンドを睨んでのことだったに違いない。これはこれで頼もしいが、言い方がまた僕には少しずれる。別に無理に額に汗して働くことはないわけで、楽したってかまわないし、デスクワークだけで、何百億儲けてもかまわないだろう。それが立派に社会貢献していれば何の問題もないはずだ。それでクレームがついたときはじめて「金儲けして何が悪い」と言えるのだし。
額に汗する、とはおそらくその人がその能力をフルに活用していることを比喩的に言っているのだろう。もちろん100%発揮して仕事をしているさまは間違いなく尊い。でもその人の能力の50%ぐらいで仕事を楽してやったって別にかまわないだろう。それで立派に社会貢献できているのであれば。何も皆が皆、一生懸命になって働かなければいけないわけではないはずだ。だがもちろんそういう人はあんまり尊敬はされないだろうし、こんなこと言っている僕自身もそういう人をあまり尊敬できるものではないが。

要するに今回地検が何故動いたか、である。「額に汗して」とか言って正義の味方を装いながら、実際には動く金額なのだ。数十億程度なら、彼らが何をやろうが国家経済に影響は与えない。それが数千億単位になってくると話が全く違ってくる。ほっておけば兆の単位にすぐ乗るわけで、そうなると国家経済や大衆心理に与える影響で大変なことになってくるだろう。つまり拝金主義がますます行き渡り、国民の活動の健全性が損なわれ、国が今よりもっと病弊する。兆を越える金額が一握りのなんら社会貢献しない人たちによって簡単に動かされ、国家経済も多大な影響を受けるわけである。だから今回はそれらを防ぐため、公安として動いたようなものだ。もし本当に地検が社会正義を標榜するなら、構造偽装問題の肝心要である国交省の役人にこそメスを入れるべきだろう。今度の経済スキャンダルはいずれ起こるべきものだったが、あの構造偽装問題は絶対にあってはならないことだったからだ。
ライブドア事件雑感
 世の中、右を見ても左を見ても、堀江バッシング一色である。今まで彼を持ち上げていたメディアは一体なんだったんだろうな、という思いに、この事件以上に寒々とさせられる。何故だか判然としないのだけれど急にホリエモンとは呼べなくなったし。別に呼びたいわけじゃないけれど。

 海外メディアでも注目度が高いらしく、新聞でも海外のメディアの反応をいろいろと取り上げていた。海外のメディアのほうが客観的に見ているので帰って冷静になれる。今日の日経新聞の夕刊ではこう述べていた。

ニューヨーク・タイムズでは堀江容疑者の経営方法を「みんなが走っている高速道路で、その路肩を走り抜けるやり口」であり、結局は路肩から泥地に落ちたと報じた。


 なるほど。つまり少し言い換えると、まずIT産業はハイウェイで他の産業は下の地道をとろとろと走っているわけである。それでみんなが手っ取り早く儲かるハイウェイに上がりだし、渋滞しだしたので、普通に走ってたんじゃやってらんない、ということで路肩をフルスピードで制限速度オーヴァーで走ってたら捕まってしまい一発免許取り消しになってしまった、というのが今度の事件の荒っぽい概観ではないだろうか。路肩を走るのも制限速度オーバーもそんなに重罪ではないのだが、両方をやると非常に危なく、みんなが真似しだすと交通網そのものの秩序が乱れて、取り返しがつかなくなるわけで、その前に見せしめに逮捕したということか。この場合交通法規には、二つやったら重罪になるとは書いていないのだろう。だから彼も事情聴取に「二つやったら重罪になるとはどこにも書いてないじゃないですか。そうなるんならちゃんと最初から書いといてくださいよ、ならやりませんよ、僕は絶対に。」と涙ながらに訴えているに違いない。まぁ実際には三つも四つもやっているわけだけど。 彼は成長を急ぎすぎたのだ。

 東京地検のタイミングはどうだったのか。これもかなり疑問があるのだが。どうしてもヒューザー社長の証人喚問と同じ日に強制捜査開始というのは、誰でも匂うだろうが僕も匂う。国交省とヒューザーの癒着から国民の関心を避けるためじゃないのかと。真相はわからないが、結局このタイミングでよかったんじゃないのか、と今は思えてしまう。株価がどうも経済のファンダメンタル以上の値上がりをしていたような気がしてならなかったので、これで少し冷やされたかな、と。いずれバブルは来てバブルははじけるのだが、その落差が低いに越したことはないだろうから。

 以前(2005/10/06)、村上ファンドのエントリーでも書いたが、というか自分の文章をあらためて読んで驚いた。思ってた以上にホリエモンを攻撃している。なんだかあんまり嬉しいので自分で自分の文章を引用してみる。

ホンダやトヨタや松下の創業者は皆、何もお金儲けだけを考えていたのではないはずだ。如何に良い物を作るか、まずその一点だっただろう。良い物を作ればまず社会貢献になる、そしてお金が儲かるのだ。この順番だったはずだ。しかし今は直接お金をもうけに来る。ホリエモンにしろ村上にしろ、なんら社会貢献はしていないはずだ。唯一あるとすれば彼ら法律ぎりぎりのところで挑んでくるというところから、外資系の買収に対する備えを各企業が講じるようになったということぐらいか。


これに対して読者の方から、ホリエモンも村上さんも寄付してますよ、とコメントが入ったので、それに対して待ってましたとばかりの攻撃。

寄付ですか。ふーっ、やっぱりお金なのですね。お金さえ出せば社会貢献していると信じて疑わない人がいるとは驚きです。
日本のODAみたいなものですか。あれだけこの社会から搾取して自分の会社が潤っているのですから、寄付ぐらい当たり前です。何らかの形で社会に還元しなければ犯罪と等価になってきますから。
企業の社会貢献というのはもっと別な形でしょう。たとえば文化芸術方面とか、いろいろとあると思います。もっともそんなことがわかる人たちじゃないでしょうけれど。金さえ儲ければ何やってもよいと思っている人たちですから。とくにホリエモンはね。あの男こそ昨今社会にはびこってきた拝金主義の権化みたいな男です。お金に対する嗅覚だけは人の何万倍もあるわけですから。それだけのつまらない男です。昔のソニーやホンダ、松下などの創業者たちと比べたら、人間の器や質がまるっきり違う。


叩きのめしてやったぜ、う~ん、無茶苦茶気持ちいい。これが逮捕されてからではなく去年の10月に言ってたというのが気持ちいいですね。自分で悦に入ってしまった、ハハ。

 とまぁ僕の言いたいことはすでに言っているようなので、あらためて言わない。とにかくこれで拝金主義社会が少しマシにならないかな、と願う。お金にしか夢を持てないと言われている今の若い人たちが他の事に夢を持てたら、とただただ願うのみだ。
美しい話ではない
 ジェイコム株誤発注事件で、そのどさくさに紛れて、多くの証券会社が巨額の利益を得た。そのことに対して与謝野馨金融担当相が、「法律上は確かに取引が成立しているが、誤発注を認識しながら間隙を縫って、(証券会社の)自己売買部門で取得するのは美しい話ではない」と指摘した。この発言に誰もが、株取引に美しいも美しくないもあるかよ!と突っ込んだに違いない。ぼくも突っ込んだ。この野郎本当に与謝野晶子の孫なのか、と。こういう言葉に対する美意識やセンスは遺伝しないんだな、とまで思った。だが、この発言があったおかげと言ってよいだろう、多くの証券会社が利益を返上すると言い出したのだから。結果よければすべて良し、とは思わないが、とりあえずこの国の良心はなんとか保たれた格好だ。そこで、というわけではないが、この与謝野大臣の「美しい話ではない」発言を一度吟味してみようと思った。
 どこかの新聞が、この事件と比べて、ホリエモンや村上ファンドも「違法ではないものの、美しいとはいえない」と書いていたが、それとこれとは話が全く違うだろう。彼らの方を持つ気は毛頭ないが、彼らはこの資本主義社会にゲリラ的かつ強圧的だが真正面から挑んでいるのである。火事場泥棒と一緒にするのはいくらなんでも失礼な話だ。思うに証券会社とは株取引を公平に円滑に進めることによってこの資本主義社会を適正に隆盛を図るべく構築していくのがまず役目だろう。その過程で儲けるのはどんどん儲けられたらよい。だがそういった社会を管理する側が、蜜が漏れているからといって、その蜜にたかってどうするのだ、というところだろうか。蜜を掃除してきれいにしないといくらでも蟻がたかってくるわけで、おまえらがたかってどうするんだ、収拾できないではないか、と。金融相の立場から見れば、この証券市場は、人類が経済を自立的に発展させた上に自然に出来上がった美しい構築物に見えるのだろう。お金がうごめくからと言って美しくないわけではない。経済学から見ればお金は単なるツールのひとつに過ぎないわけで、汚いものでは決してない。その美しい構築物を、それを管理する側の証券会社が汚したのだ。たまりかねて「美しい話ではない」という発言になったのだろうか。それと「美しい話ではない」という言い方は「美しくない話である」と言うよりはるかに効果があるだろう。そう思うと、やっぱりさすが晶子の孫かなと思わなくもない。あっぱれあっぱれ、と思いたくもなるが、まぁ結局どうでもいい話ではある。

 今度の事件で肝心なことはもっと別にあるような気がする。それはシステム全体の問題だ。
 今日も日経平均株価は16,000円の大台をうかがおうかという勢いである。バブル再燃はもう間違いないだろう。かつてのバブル景気のときは今のようなシステムではなかった。証券市場と証券会社は今と同じようにオンラインで結ばれていただろう。しかし一般のトレーダーはいちいち証券会社に電話してどの銘柄をいくつ売るとか買うとか言わないと売買が成立しなかったはずだ。それが今は家にいながらにしてクリックひとつで瞬時に取引が成立する。今度の事件もだからこそ起こったのである。つまり無数のトレーダーと証券市場が証券会社を通じて直結しているようなものだ。だから莫大な取引量が一瞬にして成立する。証券市場はできる限り多くの取引量を円滑にスピーディーにするべく日々努力を怠らない。東証は昼間働いている人向けに、夜間も取引をすると言っている。莫大な取引が日毎増えていき、それがますますスピードアップしていく、技術革新と共に。
 思うにまず一つ、それだけの取引をシステムがすべてまかなえるのか。それはきっとハードウェア、ソフトウェアの向上が解決するのだろう。今度の事件もバグの一つとして処理されるに違いない。だがシステムアップすればするほど思いもよらないバグが発生することはある。それが致命傷にならなければよいが、という憂い、これがまずある。
 それともう一つ、かつてのようなバブルはいくらなんでもないだろうが、ある程度のバブル景気はありえるだろう。そうなったとき、個人のデイトレーダーやプロのトレーダーがオンライン上に在って、システムと一緒になって暴走しないか、という危惧である。つまり通常のバブルの上にシステム上のバブルがありはしないか、という危惧だ。これはもしあったとしてもバグではおそらくないだろう。だから気がついても直しようがないのだ。つまり現状の株取引システムというのは、コンピューター上のフィジカルなシステムと、蜜にたかる蟻という習性を持つ人のメンタルなシステムの二つが合わさった巨大なシステムではないだろうか。インターネットの普及がその合体を可能にさせたのだ。今度の事件がまず最初に現れたその顕著な例のような気がする。暴走しかかったがあの程度で済んだのである。これは今後もっと大規模なことが起こるかもしれないという警告と取るべきではないのだろうか。僕個人の杞憂にすぎないのであればこれは本当に安心なのだが。