健全なるお笑い
昨今、漫才ブームらしいが、中には面白いのがあってもストレス発散とまではなかなか行かない。博多華丸の物真似は少し面白かったが、それだけである。面白いね、で終わる。だがそれで終わらない、ストレス発散しまくりのコントというか漫談というか物真似というか、とにかくそういうお笑いを見つけた。健全なる批判精神は健全なるお笑いに宿るのだ、ということを思い知らされた。
「ザ・ニュースペーパー」というコント劇団らしいが、そういえば昔聞いたかな、という程度で詳しくは知らない(参照)。政治ネタが得意らしい。

出し物は、安倍首相の物真似で街頭演説形式である。

(ビデオ)

とにかく批判精神とギャグが一体となって炸裂する言語空間は病みつきになる。破壊力抜群だ。だが、首相夫人の中傷と首相本人の学歴への侮蔑は余計だった。ここら辺はあまり健全とは言えない。がこのマイナス面を差し引いても有り余るほどのプラスがある。

たとえばここから先はネタバレだが、こんな感じだ。(実際に聞いてもらわないと本当の面白さはわからないので、ここから先はビデオを見てから読んでください。かならず。)

偽安倍首相:「北朝鮮が核実験をしたのかしてないのかはっきりしてないというのがよくないと思うのでございます。その点私ははっきりしております。靖国に参拝するのかしないのか、言うつもりはない、とはっきりしております。」

偽安倍首相:「教育基本法、ほとんど変わっておりません。変わったとしましても大して変えません。ただちょっとだけ変えさせていただきます。これまで国民のための教育だったのを国のための教育、とちょっとだけ変えさしていただいただけでございます。ゆとり教育もちょっとだけ変えまして、言うとおり教育とするだけでございます。つまり国の言うとおり教育でございます。」

バットの真っ芯でボールを捉えた爽快感がある。
終盤、自分が安倍首相であることを忘れてしまい暴走をする。主に教育基本法に対する批判が炸裂する。これもかなりのスピード感で心地よい。そして最後こう締めくくる。

偽安倍首相:「わたくし安倍首相、甘いマスクとお世辞で言われながら、詰めが甘いと言われながら、愛妻を大切にし、愛国をもっと大切にしながら、これからも曖昧にがんばっていきますので、どうぞよろしくお願いします。」

爆笑、爆笑、拍手喝采である。
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だるいせつないこわいさみしい
今日いつもの取引先に行ったら、ひまそうに3人で北朝鮮の話で盛り上がってて、僕も興味ある話だったので、ニコニコしながら聞いていた。まぁ得意先だし。クーデターの話になったので僕も「なんでクーデター起こらんのやろね」とか言ったりして一応会話に加わったりしていた。そしたら相手がいきなり僕に「にいちゃん、純然たる日本人やろな?」と真顔で聞く。予期しない質問だけに少し驚いたが、「え?まぁもちろんそうですけど。」と答える。「せやったらええけど最近多いよってにな、在日っちゅうのが。」なんだこいつは。以前から不愉快な奴で、一度大喧嘩したことがあるのだけど、それをまだ根に持ってるのかな。もう10年以上も前のことなんだけど。一体ぼくが日本人じゃなかったら、どうだってんだろう。ああ、くだらない。どうでもええやないか。僕自身仕事関係で在日の人は結構知っているけど一度も気になったことはない。選挙権が無いというのはどうなんだろう、ぐらいは思ったことはあるけど。
みんなこんなふうにナショナリストになったんだろうか。それともこいつだけなんだろうか。なんだかだるい気持ちになって帰ってきたら、亀田がやっていた。日本人の絡む試合で生まれてはじめて日本人以外を応援した。それもせつないくらいに。でも素人目に見てもランダエダのパンチがゆるい。亀田の頭をなでるような優しいパンチが時々飛ぶ程度で、あとはシナリオどおり終盤、亀田の猛ダッシュで亀田の圧勝だった。ばかばかしかった。完全な八百長である。

サバンナの象のうんこじゃないけど、だるいせつないこわいさみしい、一日だった。

こんな奴らと比較したら大変失礼なんだけど、俳句や短歌の人は本当にいい人たちばかりだなぁ、とつくづく思ってしまった。ぼくはものすごく恵まれてるんだ、とあらためて思ったのでした。感謝です。


追記:
短歌以外の人はご存じないかもしれないのでちゃんと引用先を書いておきます。

サバンナの象のうんこよきいてくれだるいせつないこわいさみしい  穂村弘

この短歌を今日突然思い出したのでした。やれやれ。
拉致問題と核問題
6カ国協議再開に向け、以下のような記事があった。(参照)

北朝鮮の朝鮮中央通信によると、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は11日、6カ国協議再開に関連し「米国と実務的接触が進んでおり、深い論議が行われている」とする一方で、「日本は協議に参加する資格さえない」と主張する論評を掲載した。

 論評は「6カ国協議は核問題を扱う場所であり、何の関係もない拉致問題を論じる場所ではない」と主張。安倍晋三首相が北朝鮮を核保有国とは認めないと発言していることや、拉致問題を取り上げる姿勢を示していることを指摘し、「日本は協議再開の動きにも冷や水を浴びせている」と非難した。

 北朝鮮は10月末に協議再開に合意して以降、外務省報道官が日本の協議参加は必要ないと表明するなど、「日本外し」の主張を繰り返し、日本の参加をけん制している。


日本に参加資格がない、という言い方は、「おまえらと話すことなんてはなっから何もないんだよ」という日本を理不尽に忌避していることを証明するようなもので、全く国際的に許される言い方ではなく、こんな言い方は北朝鮮側こそ国際舞台に立つ資格がない国であることを誰が見てもわかる形で露呈させている。それに北朝鮮のような独裁国家に核保有を絶対に認めるわけにはいかないわけで、安倍晋三首相が北朝鮮を核保有国とは認めないと発言していることについては日本人だけでなく、世界中が支持するだろう。

だがである。「6カ国協議は核問題を扱う場所であり、何の関係もない拉致問題を論じる場所ではない」という北朝鮮側の主張は、裏切るようだが、これは北朝鮮側が正しいと言うしかない。今度の6カ国協議ははっきり核問題を扱う場所であることは、これも世界中が了解していることだ。そこに本来関係のない拉致問題を持ち出せば問題が複雑になるだけで、片付くことも片付かなくなる可能性がある。これはできれば避けるべきだろう。

北朝鮮は確かに日本を東アジアの悪党扱いして、自国を少しでも有利な状況に持っていこうとしているのはみえみえだ。だがしかし、日本も国民世論が北朝鮮との話し合いで拉致問題を持ち出さないことをこれまた許さないだろうこともみえみえである。

だが、拉致問題よりも核問題のほうが国際的に見てはるかに重要であることは言うまでもない。日本固有の問題である(もちろん他国もあるが声を大にしているのは日本だけである)拉致問題を核問題と並べることは、国際的に見れば日本の単なるわがままでしかないだろう。

また一方、今度の6カ国協議で核問題がもし解決すれば、とりあえず日本は憲法を改正することなく、この危機を乗り切ることが出来るだろう。しかし解決できなければ憲法改正の声が国民世論を支配することになる可能性は大である。これはうがった見方をすれば、6カ国協議を破談にして、無理矢理にでも憲法改正をしたいのか、ということにもなりかねない。そして拉致問題で一歩も引けをとらなかった、ということで内閣支持率が今度は上昇するかもしれないし、これは安倍政権にとって一石二鳥なのだろうか。まさかこちらの考えすぎだと思うのだが。
世界史は退屈ですか
以下、とりとめもない妄想のような文です。人類学や、高校未履修で有名になった世界史の話で、興味のない方は読まないでください。退屈極まりないですから。


このブログのアクセス解析をしたら検索ワードに「黒髪 人類学 謎 アイスランド」があって、アイスランドに東洋系が突然変異のように顕れるのは人類学上の謎とされていることを思い出し、そうだビョークが東洋系なのはエスキモーのイヌイットの関係じゃないのかな、と気になりググルとアイスランドにエスキモーは住んだことがないということがわかった。その代わりグリーンランドの原住民はエスキモーであることがわかり、結局ノルウェー系のヴァイキングがグリーンランドとアイスランドを行ったり来たりしていて、その関係でビョークは東洋系の柔らかな顔立ちなのだろう、という結論に勝手に至った。

その後ネットサーフィンにはまった。いろいろと今まで知らない世界史のことが出てきた。
まずノルウェー系のヴァイキングは西方へ遠征した一派があり、グリーンランドを経て北米大陸に至っている。それは西暦1000年ごろで、コロンブスの新大陸発見より500年も前だ。これは聞いたことがある。今のカナダのバッフィン島にまず到着しその氷の世界に嫌気が差し南下してラブラドル半島からニューファンドランド島に流れ着き、緑あふれる世界に感動し定着を考えて住み始めるも、原住民のインディアンに攻撃されほうほうの体でアイスランドに逃げ帰ったのだそうだ。そのヴァイキングの遺跡が1960年ごろにニューファンドランド島で発見され、当時欧米ではかなり話題になったそうだ。(こういう話大好き)

で興味はなぜかインディアンに。1万3千年まえぐらいにシベリアとアラスカとの間のベーリング海峡をわたったモンゴロイド(つまり東洋人)が始まりで、以後4千年間の間に南米の先っぽまで至っている。最初は狩猟生活だったが、紀元前5000年頃、ミシシッピ河沿岸の中央平原で農耕生活が始まった。一方、700年頃には北米に初めて弓矢が登場して大型獣の狩猟がより効率的になり、その間に農耕生活が栄え、11世紀半ばにはミシシッピ河上流では都市的集落が発達し、イリノイ州カホキアでは人口3万に達する都市や120に及ぶ古墳が建設された。北米インディアンもかなり発達した文化があったのだ。ただ狩猟採集生活も主流を続け、人口は16世紀の時点で北米大陸にはおよそ100万人が住んでいたというが、これは同じアメリカ大陸のアステカ帝国の1200万、南米のインカ帝国の600万という人口に比べても少ない。
確かに北米中南米を含めたこの新大陸は、他の大陸に比べて文明の発達度は遅いが、着実に独自文化の成熟を見せつつあっただけに、16世紀以降のヨーロッパ人の新大陸に対する蛮行は、つまりあの文明破壊はおそらく世界史上最大のものと言っていいだろう。

で、なぜか興味はそのモンゴロイドに。というかインディアンの元になった北アジアの人類学や考古学に。そこでまたググル。
僕が以前から気になっていたのはアイヌ人を含む、環オホーツク海古代文化である。オホーツク海沿岸の大陸側はおそらく北方モンゴロイドのはずだ。それに対して北海道のアイヌは縄文人の一派で、南方モンゴロイドである。沖縄人とアイヌ人が遺伝子レベルで全く同じことが分子人類学で証明されているのだから。これは以前から知っていた。一体オホーツク海で彼らがどういった交流をしてどういった文化を育んでいたのだろう。大変興味ある。
で出てきたのが、菊池俊彦著「環オホーツク海古代文化の研究」[北海道大学大学院文学研究科研究叢書6]という大部の本である。これしか出なかった。これを読めば相当わかるだろう。だが今そこまで読む気はしない。老後の楽しみに取っておくとしよう。
僕が今もし学生で自由な身分なら、北大に行って、この研究をするかもしれないし、しないかもしれない。ま、しないだろうな。本は読むけど。他にも興味があることはいっぱいあるから。

とにかく人類学や世界史をひもとくと、すっきりする。気持ちいいのだ。なぜかって言うと、先入観なく科学的に民族などを分析できるからだ。あのうっとおしいナショナリズムから開放されるからである。日本人も結局、縄文人(南方モンゴロイド)と弥生人(北方モンゴロイド)との混血でしかないのだから。それに宗谷岬と樺太の間に線を引き出したのは最近だし、対馬海峡に線を引き出したのも中世以降だ。古代には環オホーツク海文明や、南鮮(当時の伽耶国)と北九州をぐるっと囲った海洋文明が栄え、それぞれ似た文化、似た言語があったはずだ。そうやって学校で教わった歴史での国境を一度取っ払わないと、本当の客観的な歴史はわかりっこないだろう。
立派な芸術家とは
「ちゃんとした手続きを踏んでいる。息子でありながら、立派な芸術家ですよ。その人間の人格を踏まえて仕事をしてもらっている」

立派な芸術家かどうかは実のところ、よほど評価されている人を除いて客観的判断はきわめて難しい。まぁある意味言ったもん勝ちの世界ではある。

石原都知事の四男で画家の延啓氏(40)が、都の芸術振興事業に関連して、突然、外部委員に委嘱され、公費でヨーロッパに出張していたとする調査結果が発表された。旅費約55万円は都の補助金から支給された。が都は「適切」としている。
また、04年1月、石原都知事がスイス・ダボスでの「世界経済フォーラム年次総会」(ダボス会議)に出席した際、現地で開いた知事主催のパーティーでの大鼓演奏の舞台背景制作者としてこの四男の延啓氏が同行していたことが5日、分かった。事前調査と合わせ、2回分の旅費約120万円は公費から支出されていた。都側は「演奏者の意向で四男が舞台背景を担当することになった。都が四男を選んだわけではない」と支出に問題はないとしている。

「違法性があるんですか!」と石原都知事はマスコミにかみついている。違法性があるかどうかがおそらくここでは問題ではないだろう。

都の芸術振興事業の外部委員に委嘱されたのも、もちろん石原都知事が言うとおり人選に絡んでいないだろうし、また演奏者の意向で四男が舞台背景を担当することになったわけで、これも石原都知事が人選で絡んでいるわけではおそらくないだろう。だから違法性はないと言っていいと思う。だが選ぶ側に、絶対的な権力者である石原都知事の親族を選べば喜んでもらえるだろう、というバイアスが人選の際になかったとは否定できない。というか、あったと解釈されても仕方がないだろう。想像するにこのご子息はこういった人選にパスしてもなんらおかしくない実力の持ち主に違いない。つまり立派な芸術家であるわけだ。だから選んでもかまわない、と人選する側は思い、他の人もいたけどこの人にしといた方が何かと後々いいんじゃない、と思ったかもしれないし、思わなかったかもしれない。が、たとえ思ったとしても違法性は全くないだろう。しかしだからといって、権力者の親族がこういった主観が支配する芸術の分野で選ばれるということがどういうことを意味するのか、を当の権力者は常に分別していないとだめなのもまた道理だ。それが国会議員や自治体の長たるものの、最低限のエチケットだろう。また単なる知事ではなく有名人の親族なのだからなおさらだ。

この国の有名税が時折思いのほか高くつく、ということを、この都知事はどうもいまだに理解していないようだ。違法性は無くとも名誉が著しく傷がつくことは有名人ほどあるわけで、そしてこの名誉毀損は誰にも訴えることは出来ないのである。
中国残留孤児と北朝鮮拉致被害者
今日、兵庫県などの中国残留孤児65人が、日本への早期帰国や帰国後の自立支援を怠ったとして1人当たり3300万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が神戸地裁であり、「国は自立した生活を営むことができるよう支援する義務を怠った」と認定し、総額4億6800万円の支払いを国に命じた。孤児は戦争によって取り残された戦争被害者なのだから、これはこれで当然のことだと心底思うが、彼ら中国残留孤児の人たちの言い分の一つに、北朝鮮拉致被害者との比較がある。確かに国民を守る義務がある国が国民を守れなかったのだから、これははっきり同じ理屈だ。

国は拉致被害者に対しては2003年1月、生活基盤の再建を目的に拉致被害者支援法を施行し、永住帰国者に五年を限度に単身世帯で月額17万円、二人世帯で同24万円を支給し、三人目からは一人当たり3万円を加算。生活相談や住宅供給の促進、雇用、教育機会確保なども盛り込まれた手厚い内容だ。これに対し、残留孤児の永住帰国では、自立支度金として一人当たり約32万円が一回だけ支給される。帰国から六カ月間は日本語や生活習慣の指導を受けられるが、その後も仕事が見つからず、生活保護に頼らざるを得ない孤児が多い。
 国外にいて納付できなかった国民年金も、国庫で全額負担される拉致被害者に対し、孤児の場合は三分の一程度を支給する特例措置にとどまるなど開きがある。判決は「(孤児に対する)支援策は極めて貧弱。生活保護の受給期間を永住帰国後一年をめどとする運用がなされ、関係者は日本語が十分身についていない孤児に強引に就労を迫っていた」と指摘した。

確かにこの落差は尋常ではない。僕は何も拉致被害者が手厚すぎる、と言っているのではない。言いたいのはあくまで双方の落差だ。なぜこれだけのあからさまな落差が生じたか。それは国がどちらを必要としているかである。これに尽きるだろう。

今、国にとって北朝鮮拉致被害者は国際問題、国内問題とも優位に進めるための非常に重要なカードになっている。それは北朝鮮そのものを追い詰めるための、それは東アジアあるいは国内において靖国問題とすりかえるための、それは日本がかつては加害者だったが今は被害者だと言いたいための、それは戦後民主主義によって分散してしまったナショナリズムを再び高揚させるための、それは国民に安全保障の意識を高め憲法改正へと向かわすための、その他あらゆる厄介な国内問題をうやむやにするための、それは極めて重要なカードなのである。実際今の日本はこの拉致問題で国際的にも国内的にもやっていけてるのではないかと思えなくもない。拉致問題は今や水戸黄門の印籠のような効果がある。何が起こっていても「これが目に入らぬかっ」と一喝すればまわりはだまるより他にない。
だから国は拉致被害者に対しては国費を惜しまない。どんどんつぎ込むつもりだろう。
それに対して、中国残留孤児の問題は国にとって何のメリットもない問題だし、出来たら忘れてしまいたい問題なのではないか。

一体いつから国や自治体はこんなえこひいきをしだしたのかわからないが、それは我々国民の側にも言えるだろう。我々自身が拉致問題に異様な関心を持っている。横田めぐみさんというわかりやすいヒロインもいる。一方残留孤児問題にはヒロインもいず、関心を寄せるネタがないし、なにより半ば過去のことだ。拉致問題は完全に現在進行形である。それもあるが、安易なポピュリズムというものが本来これに対しては中立であるべき国や自治体にまで浸透したのは今の情報化社会のなせる業なのか。情報が氾濫しすぎて、何が重要な問題かを検討できず、つい誰もがわかりやすいポピュリズムに頼ってしまうのか。それはわからないが、情報がありすぎて的確な情報処理が出来ていないような気がしてならない。

それはともかく、ポピュリズムと国の利益が見事に合体し巨大化したこの北朝鮮拉致問題を、我々はもう少し覚めた眼で見る必要が今あるだろう。