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名古屋だぎゃ
てことで短歌の聖地、名古屋にやってきました。ほぼ20年ぶりの名古屋だけど、初めてのような感じ。
鶴橋から近鉄アーバンライナーに乗って2時間。名古屋駅に到着。新大阪周りで新幹線で行くより楽で安い。時間は同じぐらいだし。しおみさんはバスで来たらしい。その手もあったのか。

まずはお昼ごはん。やっぱり名古屋来たらきしめん食べなきゃ。名駅テルミナの松阪屋7F「吉田きしめん」で天丼とのセットを注文。これが大変美味。幸せでした。これだけで名古屋に来た甲斐があったというもの。

さて会場の愛知芸術文化センターへ。これがどえりゃあ建物で、12階建ての吹き抜けがとても贅沢に取ってあって、開放感抜群で美しい内装でした。これを大阪の橋下府知事が見れば、たぶん怒り出すに違いない。「いったいこの吹き抜けに何の意味があるんだ!」てな具合に。そしてきっと泣き出す。「府民の血税をいったいなんだと思ってるんだ!君たちはこの吹き抜けを作るために血税を使ったんだぞ!」そして最終的には民間に売却だー、間違いない。それにしても栄のあたりは道路や建物に余裕があってゆったりとしている。トヨタのお膝元、って感じ。大阪はすべてに余裕がないです、ほんと。いいところだ名古屋は。

加藤治郎さんの第7歌集『雨の日の回顧展』批評会が12階のセミナー室で17名が集まり開催。杉森多佳子さんのプロデュース、荻原裕幸さんの司会、ぼくと歌崎功恵さんがレポーター。歌崎さんはレポーター初体験ということで殊勝に緊張してます、なんて言ってたが、全く緊張感なし。堂々としたもの。何度もやっているぼくの方が、少し緊張してしまい8割ぐらいしか言えなかった。情けない。
内容としては、歌崎さんが「部屋」をキーワードにぼくが「暴力性」「脱近代」をキーワードに説明。詳しいことは『新彗星2号』に載るらしいのでまた後ほど。
懇親会で荻原さんも言ってたけど、レポーターとパネラーは違うのね。パネラーは報告のあとパネラー同士議論するわけだけど、レポーターは報告したらそれで終わり。司会の荻原さんのまとめ方が僕からすればいちいちずれている印象があったので、発言したかったのだけど、遠慮しました。活発な議論よりも、全員に発言してもらうのが先だし。
芸術様式としての「近代」と社会としての「近代」をだれも区別してくれなかったような気がして、これは僕があまり言わなかったからですね。ちゃんと説明しないと。

あと気がついたのは僕自身のことで。この間からおかしい。ずっとなにかにいらいらしていて、会の間中、貧乏ゆすりをずっとしていたような気がする。この間の歌会でも突然怒り出したりしたし、おかしい絶対。僕もなにかの病気だろうか。最近病気の人がまわりに多いので。とにかくこういう精神の病は、自分がどういう状態なのか把握することが絶対必要で、これを病識というらしいんだけど、でもなかなか本人を前にして言えないのね。こちらは専門の精神科医でもないわけで。僕はたいしたことないと思うんだけど、なにか気がついたら言ってください、遠慮なく。要するに単に暑さのせいなのかもしれないんだけど。(笑)

懇親会は栄のBlossaというところにある「豆家茶寮」。これもゆったりとした部屋でくつろげました。創作料理風のこれも美味でした。著者の加藤治郎さんも交えて歓談。しかし何喋ったかほとんど覚えてない!これもおかしい。というかこれは単に記憶力がなくなったという年齢的なもの。でも酒席でのことはネットには書かない、というエチケットを守る点でも忘れたほうがいいのかも。だからどなたか改名したいということもここでは書きません。

二次会行きたかったんだけど、電車の時間があって、遠慮してしまった。残念。
秋月さんが持ってきたのはオリンパスのパンケーキレンズじゃなくてリコーのスクウェアのやつ。電波タワーを夜景としてきれいに撮ってました。

帰りのアーバンライナーは行きよりきつかった。頭痛くて少し吐きそうで、2時間がとても長く感じました。でも帰りにと用意した穂村弘さんの『短歌の友人』を1時間ほど読めたので、なんとかよかったです。でも遠方へ行く時はとことん飲んでその日は泊まる、というのがどうも性にあっているみたいで。

しかし帰ってから気がついたんだけど、名古屋行って名古屋弁全く聞かなかった。荻原さんと治郎さんにリクエストして名古屋弁で喋ってもらえばよかった。気がつかなかったなぁ、残念。そうしたら、どえりゃあいい思い出になったのに。
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岡井隆歌集『二〇〇六年水無月のころ』より一首評
ニュートラルな立ち位置。それだけが信頼できる時代となってしまった。

以下、『未来』2008年5月号に掲載してもらったぼくの文章です。

おほよそは神社は暗いところだがそこに在る神はみんな同じだ      (p.70)

この歌だけだと、神社だけの話で、日本国内の神道のことだけで終わってしまいかねないが、この歌に続く注釈には、作者の先祖が神社の神官で、その一方幼児期よりキリスト教の雰囲気の中で育ったとあり、さらに「神社にも教会にも、比較的冷静に反応できるのはそのためかもしれない」とある。結果としてこの歌の「神社」にはあらゆる宗教施設を匂わせる仕掛けが仕組まれている。つまりあらゆる宗教、それはキリスト教であれイスラム教であれ仏教であれ神道であれどんな新興宗教であれ、その施設はどこもなんだか暗いところでそこに在る神はみんな同じだ、という歌の解釈に読者は誘導されざるを得ない。
 人は誰しも何らかの宗教あるいはイデオロギーに頼って生活している。無宗教と言われる日本人とて例外ではない。特に昨今、右よりのナショナリストが横行して憚らない。おまえは宗教は何か、あるいは右か左かを常に問われなければならない息苦しい世の中だ。「テロリズムに加担するか文明の側に立つか問う単純のすでに仮借なく」(近藤芳美)という世の中である。
 そんな中、結局どこの神も同じ神だよ、と言い放つ。すべて神は同じようになんだか知らないけれど暗いところにおわすのさ、と。そこには宗教だけでなく、あらゆるイデオロギーからも自由なイデオロギーフリーの立場が窺えるだろう。
 同じ日の一連に「靖国つてよく判らない、判らなくてかまはぬ仕事のために行きぬ」とある。これは同じ靖国を題材にした吉川宏志の「靖国を焼け あけがたの耳のなか羽蟻のごと落ちてくる声」とあまりに対照的だ。吉川の気持ちはよくわかる。あの小泉首相の靖国参拝の時に忸怩たる思いをしたのは私も同じだ。しかし「焼け」とまでは思わなかった。なぜなら首相が行くのが問題なのであって、一般の人が行くのに何の問題も無い。信じている人にとってはまさにそこには神様のような存在がいるのだろうし、それを否定するわけにいかない。あくまで宗教は自由だからだ。
 まさにそれは前の歌が言う通り、靖国も他の神社と同じように暗いところだろうし、他の神社と同じように信じている者にとってはそういう神のようなものが存在しているのだろう、と認めざるをえないわけで。
 ここに挙げた二首はまさに同じ意味である。あらゆる宗教施設も靖国もなんだか暗いよく判らないところに過ぎないのである。そしてそこに在る神は所詮みんな同じ類のものに過ぎないのだ。作者はその神に対して非難もしない代わりに礼賛もしない。
 だがこういったイデオロギーフリーの立場は誤解を招きやすい。右も左も、おまえはどっちなんだ、と問い詰める輩が後を絶たない。どっちかでなければならない時代なのだ。それに歌会始の選者をしていて、実際仕事のためとはいえ、靖国に行くわけで、いろいろと誤解を受けやすい。しかし逆に、イデオロギーフリーという立場が理解されるかどうかの、ちょうどよい指標となりうるケースなのかもしれない。
このイデオロギーフリーの立場に身を置かないことには、実際何も見えてはこないのだから。

梅雨明け?
九州四国は梅雨明けしたけど、関西はまだ。こんなに暑いのに。絶対に梅雨明けの様相だ、と誰もが思う。経験的にわかるわけで。それでも気象庁が梅雨明け宣言しないのは、今週末から一旦夏の高気圧が弱くなり曇りや雨の日が増える気配があるためらしい。梅雨明け宣言を出すと、それ行け、とばかりに山や海に繰り出す人がたくさんいて、梅雨明け後の雨による災害を防ぐ意味で、発表の判断は慎重になるざるを得ないらしいのだ。
つまり実質上、もう梅雨は明けたってことです。だとすると平年より10日以上は早いわけで、これも温暖化の影響なのか。

昨日の環境の番組をチラッと見てたのだけど、グリーンランドの氷床が最大厚さ3000mもあって、それが温暖化で溶け出している、とのことで、それが全部溶けると海水面が7mも上昇するって、ほんとに?

暗澹たる気持ちになるが、ぼくは根っからの楽天家なので、いろいろと勝手に対策を考えている。

まず、海水真水化計画。これは日本の技術でアラビア半島なんかで実証済みらしい。これをどんどんやって、アフリカの砂漠化したところに撒いたら、食糧事情も改善するし、海水面は下がるし、一石二鳥でないかと。無理?

次に、砂漠の太陽電池化計画。これも日本が先陣切っているはず。要するに、砂漠に太陽電池を敷き詰めて、火力発電の電気をまかなうわけです。するとCO2の排出量は減るは、石油の値上がりは止まるはで、これも一石二鳥?

もう一つ、これは以前書いたと思うけど、太陽光発電を地球外衛星で大量に行って、それを地球にマイクロ波で運ぶ。日本とアメリカが技術開発を本気で争っていて、技術的にはマイクロ波が電離層を通過するときが問題らしい。2020年代の実用化を目指しているとか。

あと奥の手がある。これも以前書いたような気がするが、小さな塵のようなものを大気中に撒く。そうすると火山爆発の後のように太陽光が遮られた状態が人工的に作られる。つまり強制的に太陽光を遮って地球の温度を下げるわけだ。これはCO2は減らないので、やっても一時しのぎでしかないだろうが、そうもいってられない状況が近づきつつあるわけで。アメリカが研究している、というニュースをネットで見た記憶がある。できれば成層圏に撒いて、いつでも回収可能にしてほしい。対流圏だと塵が地上に落ちてくるし。

と、これだけ4つもあったら、一つぐらい本当にどこかがやるだろう、って思いません?
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