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安川奈緒
現代詩は今どうなってんだろう、と野次馬的な興味で季刊詩誌『びーぐる』創刊号を取り寄せてみた。大阪発の商業誌である。
『びーぐる』

まだ2割ぐらいしか読んでなくて、それでもいろいろと面白い記事や詩作品があって、いろいろと言いたいんだけど、そんなこと吹っ飛んでしまうぐらい驚いてしまった詩人を発見した。

安川奈緒である。

『びーぐる』では「必要性の丘から連絡する」という人を食ったようなタイトルの詩を発表しているが、内容も人を食っている。というか今まで僕が読んだどんな文学作品よりも人を食っていた。よくこれだけ脈絡のない文脈で詩を書けるな、と驚くより他ない。

俳句や短歌に接してきて、全く脈絡のない言葉と言葉の連なりにびっくりさせられることは何度もあった。いわゆる二物衝撃というやつだが、たとえば俳句における攝津幸彦、阿部完市、短歌における塚本邦雄、笹井宏之などなど。でも安川奈緒の場合、文脈と文脈が脈絡がないのにつながっているのである。軽い眩暈さえ覚えた。これはひょっとしたら本当に天才か。

早速、彼女の詩集『MELOPHOBIA 』を発注した。

できたらここで「必要性の丘から連絡する」の全文を引用したいのだが、それはいくらなんでも、ということで、興味のある方は『びーぐる』で。他にもいろいろ読み応えあるみたいだし。それだとあまりにつれないので最初の3行だけ引用します。

どうしてでしょうか、室外機のことしか考えないようにしていました 小さい頃は、質問と回答を強要する思想はいけない、と思いながら業者テストを抱きしめていました 欠食児童の典型でした 匍匐後退し続ける生が照らされるような 百点満点の波動でした


どうです。わくわくしません?
ぼくに安川奈緒を批評する力があるかどうかはわからないけど、詩集を読んだら何か書かずにはいられないだろうから、またその時に。
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阿弥陀堂だより
南木佳士の小説を初めて読んだ。
「阿弥陀堂だより」は売れない小説家の夫と、有能な女医の妻、その妻がパニック障害になり、夫の故郷、信州へと赴く、心に染み入る小説だ。阿弥陀堂の堂守の96歳の老婆の生活と言説を軸に話は進む。作者自身、医者が本業で、小説では自身を夫婦に分裂させている。

どうも母のこと以来、涙腺がゆるくなってしまったのか、何度も涙ぐみながら読み進める羽目となった。とにかく書かれている内容が安心できるのが何よりいい。

映画があるらしいので調べると、寺尾聰と樋口可南子の主演だった。どうも僕のイメージとはかけ離れていて、見る気がしない。僕の中では小説だけで完結しているので、別に誰にやってほしいと言うのはないが、あえてあげるなら、香川照之と薬師丸ひろ子だろうか。

南木佳士の小説はまだまだあるらしいので、これからじっくり読んでいこうと思う。
橋下府知事の朝日新聞批判について
僕は大阪府民の一人として橋下府知事には大いに期待しているし、やってくれるものと思って見守っている。だから少々乱暴な意見にも目をつぶってきたつもりだ。しかし今回の朝日新聞に対する批判にはどうにも我慢ならなかった。

19日の陸上自衛隊記念行事の祝辞で、光市母子殺人事件に関する弁護士資格と全国学力テストのデータ掲載の件について、以下のように朝日新聞を厳しく批判していた。

「弁護士資格をはく奪されるようなことはなく、からかい半分だ。朝日新聞は愚かな言論機関。すぐに廃業した方がいい」
「人の悪口ばかり言ってる朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる」
「判決の件で厳しく指摘されることは構わないが、表現の仕方としてどうなのか。朝日新聞は権力に悪口を言っていればいい、と思っていることがよく分かった」
「朝日が早くなくなれば世の中のためになる」
「朝日はからかい半分で、事実誤認もあり今すぐ廃業すべきだ」
「自分たちが良識だと思い上がって、何でも反権力なのが朝日。

信じられないことにこれら偏った意見が、すべて日本第二の自治体の長のご意見なのである。

権力に逆らっていさえすれば自分は正義なのだと、勘違いするおめでたい人たちは確かにたくさんいる。僕の周りの文学仲間にもこれはたくさんいる。僕自身こういう人たちを割合と面と向かって非難してきたつもりだ。なぜなら偏ったイデオロギーで反権力だけに固執していたのでは何も真実は見えてこないからだ。いらいらするのである。

だが、反権力的な意見はいつの時代も絶対に必要なのである。それを徹底的に排除する方向ははっきりファシズムと言ってよいだろう。彼らの意見も自分の中に取り入れて、つまりちゃんと議論して、反論すればいいわけで、そうやって議論を沸騰させることがいつの時代にも必要である。それをしないで一方的にその存在自体を否定するのは一つの暴力でさえあるだろう。特にこの知事の場合、意見の一つ一つが一般に多大な影響を与えうる。その影響力を最大限利用しているところはメディアを通じた、圧倒的な暴力と断定してもいい。「表現の仕方」に問題があるのは、はっきり知事のほうである。

知事になりたてのころ、ほんのちょっとしたくだらないことに因縁をつけてNHK批判をしていたが、これも非常に不愉快だった。しかしこういった不愉快な長をいただかないと、これからの自治体あるいは国体も持たないのだろうか。今の時代はもうそんな時代に突入しているのかもしれない。
アスペな母
何年か前にアスペルガー症候群のことを知ったとき、自分もその気配があり、母もその方向であるとほぼ確信したことがある。

母が今亡くなってみて、やっぱり母はつくづくアスペだったのだと思った。しかも、ぼくよりも程度が少し上のようなのだ。

そして母が亡くなってみてはじめて、周りは母のことをあまりよく思ってなかったことに気がついた。もちろん直接僕に言う人はいないが、そういうことはうすうす伝わってくるものだ。だからここで母のアスペ度、つまり自閉症の度合いについてちょっと書こうと思う。これで母を理解してほしいというのはアスペ側の甘えかもしれないが、少しでも母を理解してほしいと思うのが、子供心だし、供養になればと思うのだ。

では母はどういう状況だったのか。

たとえば、友人が全くいない。というより作ろうとしない。母にとって家の外で誰かと話をする、というのは生活の一部には全くなっていなかったし、わずらわしいことのようだった。しかしこれは20年前に引っ越したのが原因していたかもしれない。前のところでは少しは近所の同年輩の奥さん連中と井戸端会議はしていた。しかし今のところでは近所の人と挨拶するぐらいである。要するに近所の人と未だに慣れていないことが原因なのかもしれないが。

片づけが異様にできない。たとえば皆が指摘するのは、冷蔵庫の中の異様な汚さである。隅のほうに汚物まがいのものが必ずある。母はど近眼なのであまり見えていないのも原因だが、言われてみて初めてひどかったことに気がついた。僕は慣れていたので別になんともなかったのである。また僕自身も片づけが母同様できないせいかもしれない。散らかっていて当たり前のような気がしていた。妻は異様な片付け魔と思っていたが皆の話を聞いているとそれで普通のようなのだ、なんと。しかしなぜか散らかっているほうがほっとするというのはなぜだろう。

それとなんでも自分の話に引き寄せてしまう。別の話をしていても全部自分の過去の話に持っていってしまうのだ。これはアスペ独特の性質でそういう人を僕は何人か知っているし、そういう人と話していてもこっちはわかっているのでなんとも思わないわけで、僕自身もその傾向が少しあることを自覚しているが、母は全く自覚がなかった。

以上の3点が人から指摘されていることで、これだけでアスペだとつまり自閉症だと言い切ってもいいと思うが、あと僕が気がついていたことは、人見知りが激しいことである。激しいがいったん慣れると延々と喋る。僕も少しその傾向があるのかもしれない。それと独り言をよく言う。他人がいるともちろん言わないが、僕ら家族がいる場合はお構いなしでよく独り言を言っていた。これもアスペ独特の状況だろう。

あと電話が嫌い。亡くなった父に、電話に出ない、電話をしない、ことでよく怒られていた。ぼくは仕事の電話は全くなんともないけど、個人的な電話は苦手である。できればしたくない。親しい人ともしたくないのである。緊急のときはもちろん別だが。そういう時は必ず僕のほうからしているし。とにかく、なんとなく電話で話するのっていやなのだ。会って話するのはもちろん楽しいのだけど。自閉症のドラマでやっていたが、自閉症の人は電話恐怖症の人が多いらしいです。

あと長所も言っておこう。だれだって長所と短所はあるものだし。
まず記憶力がいい。というか好きなことは徹底的に研究して覚える。母は歴史マニアで戦国時代と幕末が大好きで、その歴史とそこに登場する人のほとんどを把握していた。まず歴史で習わないマニアックな人たちを普通に知っていた。亡くなる数週間前に一緒に見ていた「篤姫」で桜田門外の変のとき、実行犯を含む有村兄弟のことを言っていたのには驚いた。肝性脳症で頭がぼんやりしていたのにもかかわらずである。

嘘をまず言わない。というより言えないのだ。もちろん本当のことを隠して言わない、ということは普通にあった。でもそれは嘘をぴゃーぴゃー言う人とは決定的に違うだろう。僕は商売をしているので、当然嘘はつく。しかし嘘をつくとき、少し覚悟とエネルギーが要るのである。できたらそういう覚悟やエネルギーとはかかわりたくない、と感じている。なぜなら実際にはなかったことを捏造しないといけないわけで、それはしんどいし不愉快なことなのだ。だから平気で嘘をぴゃーぴゃーつく人は僕には到底信じられないのである。でも母同様、本当のことを隠して言わない、というのは新たなことを捏造することもないから別に覚悟もエネルギーもそんなに要らない。まだ楽なのだ。
この嘘を言えない性格は別にアスペでなくても普通にあるのだろうけど。

話は母のことからそれるが、俳句短歌で前衛的な手法で虚構を盛んに使うことがあるが、あれはそのほうが自分のリアルをより表現できるからである。単なる日常の「嘘」と表現上の「虚構」とは全く違うのだということを、ここで誤解のないように言い添えておく。その表現者が「虚構」を多用するからといって、うそつきにはならない、ということだ。

また母のことに戻るが、これは長所か短所かわからないし、自閉症が原因しているのかどうかもわからないけど、とにかく非常に楽観的な性格だった。母にかかればすべてが大丈夫なのである。僕は小さいときからそんな感じで育てられてきたから、僕も結構楽観的な性格になっているかもしれない。それに対して亡くなった父は非常に悲観的に見えた。今から思うとそれで普通かもしれないのだが。しかし楽観的な人と一緒にいると、ずいぶんと楽なのである。だから母と一緒にいて何か面倒が起こったり、不快なことになった、という記憶が全く無い。それに対して父に対してはずっと不愉快な気持ちがあったと思う。しかし母の場合、現実問題、そんなにうまくことが運ぶはずがないので、大きくなってからはその楽観的な性格に少し辟易することもあったが。でも結局人間いつか死ぬんだし、適当に死ねばいいと僕は思っているし、ならできるだけ楽観的に生きたほうが得じゃないのかな、と今では思う。母はだから自分の健康に対しても極めて楽観的で、自分は絶対に病気しない、と固く信じていた。だから医者にはまず行かないし、今度の病気も手遅れになったのは結局その楽観的な性格のせいだったようだ。でも手遅れになったおかげで、余計な治療をする必要もなかったし、苦しまずに逝くことができたのでは、と思っている。そういう性格は周りを和ませるのである。母はぼくら子供たちが何をやろうが別段クレームをつけることなく静かに見守ってくれていた。それに対して父は何でも反対するほうだったので。僕らは自然母になついたのである。温かみがあり包容力があり穏やかな人だった。父のほうが外での評判は大変よかったが、温かみのない激しい人だった。

おそらく母の子供三人のうちでアスペ的なのは僕だけだし、欠点だけとるなら僕がおそらく最も母に似ただろうと思っている。そういった母のアスペ的欠点が自分の中にもあることが今となっては不思議と愛おしくなってくるのである。僕にとって母はもちろん母であると同時に、僕の子供でもあったのかもしれない。常にその動向が気になって仕方がないのである。守らなければ、という対象であった。

一方、父の温かみのない激しい性格が最も似たのも僕のようだが、これについてはまず愛おしいとは思わないのだ。この性格は激しく反省しなければいけないことだし。

どうも僕だけが両親の欠点ばかり似たような気がしているが、それで親を恨んだりしたことが全くない。そういった血の交わりの結果、はじめて僕がいるんだし、それが自身の存在の基盤になっているわけだし、その上で、反省を交えて、自分を造っていくわけで、それが最も自然で人間らしいことだろうと思うからだ。それにそのほうが最初から非の打ち所のない人より人生が面白いのでは、と思う。負け惜しみかもしれないけど。

もうこれで母のことをぐだぐだ書くのは終わると思う。あとは短歌にしているので、そっちのほうを見ていただければありがたいです。
マーケットが壊れている
サブプライムローンに端を発したアメリカ発の金融危機。危機はついに破綻へと転じた。底割れの状態で、底がまだまだ見えない状態である。

今日のNHKのニュースを見ていると、一日数千万円を動かすという、デイトレーダーが冷静にインタビューに応じていた。
「どうにも動きようがない。マーケットが壊れている。多額の損失を抱えた人がたくさんいて身動きできなくなっているのでは。」

そう、マーケットが壊れている。まさにそんな状態なのだろう。壊れた金融マーケットの中でこれからわれわれは生活していかなければならない。それがどういうことなのか、僕にも全くわからない。

おそらくあのバブル崩壊直後の最安値7600円を下回るのは時間の問題だろう。あの時、日本がやった処方箋をアメリカもやってくれるのか、いや、その処方箋が今の状況に通じるのかどうかもわからないが。とにかくわかっていることは、あの日本のバブル崩壊をはるかに上回る金融恐慌が今世界規模で始まったということだ。
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