メランジュ~安川奈緒氏を囲んで~
昨日、神戸三宮のスペイン料理店「カルメン」で、毎月開催されている詩の合評会「メランジュ」に初めて参加した。そこになんと安川奈緒さんが来られた。内容は安川さんの試論を聴く、というものだ。総勢15名ぐらいだろうか、いつものメランジュよりははるかににぎわっていたとのこと。主催はこの店のオーナーで詩人の大橋愛由等さん、司会取りまとめは高谷和幸さんである。

今の若い詩人が上の世代にある程度嫌われていることへの反論、というか弁解というか、そういったことを主に彼女は取り上げていた。以下彼女のレジュメから。

確かに、言語の質は80年代以降のそれである。だが、現在の若い人たちによって書かれている詩の言語の接続方法は、異なっているように思う。(中略)たしかに何かが違っている。この違いを、80年代の幾人かの詩人は、嫌悪しているのだと思う。言語の質が同質でありながら、接続が異様であるそのことにおいて、嫌悪しているのだと思う。これがおそらく吉本隆明の評価、修辞的現在としての80年代と無としての2000年代、という評価の仕方ともかかわっている。


僕自身はいわゆる戦後詩以降の現代詩がすっぽり抜け落ちていて、そのあと直接今の若い詩人の影響を受けた。谷川俊太郎から安川奈緒に直接つながっているのである。だからここでのことは全くピンとこない。しかしとりあえず読んでみようと思う。平出隆や荒川洋治を。もう一つレジュメから。

詩はいま、文脈を逸脱させたり、断片化させることによって書かれているのではなく、もともと完全に粉砕されてしまった、粉々にされてしまった者たちが(確かに粉砕王が通り過ぎて?)、もう一度輪郭を取り戻そうと、必死の形相で、言葉をつないでいるのではないか。おそらく順序が逆なのだ。


もともとちゃんとあるものを壊そうとしているのではなく、もともと壊れていたものをつなごうとしているだけだ、今の若い詩人の詩は。というわけだが、確かにうんうんとうなづいてしまう。安川さんは中尾太一や藤原安紀子を主に想定しているとのことだったが、僕はまだ中尾太一はほとんど読んでいない、詩の好き嫌いが激しいもので、これは苦手だ、と思ったからまだ詩集を取り寄せてもいない。だが藤原安紀子は一冊詩集を読んでその壊れた言語世界を堪能させてもらった。正直結構ファンである。だがあれは藤原が壊したのではなく、もともと壊れていた藤原が必死で自身を再構築しているのだということだ。だとすればまた読み方が変わってくるかも。

あと印象に残ったことがもう一つ。これはレジュメにはなく、なんとメモもしていない!しまった。全力でもって彼女の言葉を思い出したが、それはもう安川奈緒の言葉ではなく、僕の言葉に言いなおされている。ごめんなさい。


「詩人が詩を書くときの「主体」は、散文家が散文を書く時のような一方通行的な高邁な思想とは無縁で、それどころか詩人以外の一般的「主体」より一段低いところに身を置き、この世界の受容体とならなければいけない。そして世界中から受容したことを言葉へと変換させ叙述する。それが真の詩人なのだ。」


このことはもちろん世代に関係なくである。つまり詩に屁理屈は思想は邪魔なのだ。納得したが、でも詩にはいろんな詩があるだろうとも思う。

今の若い詩人は、壊れゆく世界、いやもう壊れてしまったかもしれない世界の中に自然に身を沈め、あらゆるものを正邪の判別をせずただ受容していき、言葉へと再構築する。彼らの詩を感受できない人はこの世界が壊れてしまったとは思ってない人だろう。あるいは彼らの詩を感受しようとしない人はこの世界が壊れてしまったことを認めたくないだけだろう。

僕も含めて40~60代のおっちゃん、おばちゃんを前に、まだあどけなさの残る27歳ぐらいの若い女流詩人が先生役で明晰に説明していく様は、はたから見れば滑稽だったかもしれない。しかしこちらは勉強になった。得難い機会だった。

9月からパリに留学する安川さんは前半だけで帰っていって、後半は詩の合評会だ。僕は時間を間違えたのと(1時間早く来てしまっていた)、なんだかへとへとになっておなかがペコペコだったのと、安川さんに興奮してしまって、いやもとい、安川さんの言葉に興奮してしまって、批評会では少し攻撃的になっていて、初参加にもかかわらず非礼なコメントをしたことを大変後悔している。あと懇親会でも目の前の人に少しきつい口調で言ってしまっていた。申し訳ありませんでした。駄目だ駄目だ、自覚しないと。
短歌の会だと落ち着いているのに、詩の会はなんだか興奮します。

高谷和幸さんの詩がぼくにはフィットする印象だった。詩における自分の文体が全くない状況で、この詩人の詩は大変参考になりそうだ。短歌は自分の文体があると確信してたんだけど。というか何を書くにせよ、自分の文体はあって当たり前だと思っていたのだけど、いやなかなか詩を書くということは難しいです。
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