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橋下市長の弁解
毎日jp:慰安婦発言:橋下氏、誤報と主張 「当時は必要」撤回せず


橋下徹大阪市長がまた弁解しているが、それも海外メディア向けの公式の弁解だということだけど、弁解すればするほど奈落に落ちていくような気がして、かえって痛ましいぐらいだ。どこが誤報なのか、どう読み直しても、本音がズバリ出ているだけで、マスコミはそれを忠実に書いただけなのだが。

まあ、それはいいとして、橋下一人の醜態で終わるのなら、何も言うことはないのだけど、日本人の多くが実はある部分に共感していそうなので、そこのところを書く。

(橋本市長は)従軍慰安婦に関し「日本だけに特有の問題であったかのように日本だけを批判し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざすのはフェアな態度ではない」と指摘。「世界各国も、戦場の性の問題について、自らの問題として過去を直視してほしい」と主張した。


ここのところだ。
強制連行が日本特有のことなのかどうかは別にすると、確かにそうなのだろう。間違ったことは言っていない。

だが、加害国にこれを言う権利はないのだ。第三国に言ってもらうことであって。これを外交上の礼節、と言うのだろう。この礼節が全くないわけであるこの市長には。なぜなら、他もやってんだから、なんでうちばっかり言われなきゃいけないんだ、と言っている以上、反省を全くしていないことを堂々と海外メディアを通じて言っているのである。こんなに恥ずかしいことはない。

これと同じようなことが、我々の周囲でも言われ続けている。

あの時代は帝国主義時代なのだから、植民地を蹂躙するのは仕方ないことで、当時の世界趨勢なのだから、別に日本が悪いわけではない。いや、むしろ当然のことだったのだ、と本気で述べる日本人のなんと多いことか。僕の周りにもいくらでもいる。

これも同じことで、どんなに正しかろうがこれらは、第三国、あるいは歴史学者が言うべきことであって、加害国には言う権利は一切ない。これを言うことで、全く反省していないことがあからさまになるのだから。恥ずかしいことこの上ないのだ。

今回は橋下一人の妄言ではない。彼を選んだ我々日本人(いや、大阪人か)が言わしめているのである。そのことをよく噛みしめないといけない。彼はやっぱり日本人の多くの意見を代弁しているにすぎない。なぜなら我々日本人は、右傾化以降、あの戦争を何も反省しなくなった。

与党議員の靖国参拝が世界中から非難されているのも、同じ論理で、与党議員が参拝することで、この国の国民はあの戦争を全く反省していないことを、世界中に発信していることに他ならないからだ。

日本という国は、あの戦争を反省することからしか立ちいかないのだ、そこからしか出発できないのだ、ということを、今一度はっきりと認識しなければいけない。これはそんなに難しいことではない。また屈辱的なことでもない。そんなに補償金がいるわけでもないし、領土問題とは切り離された問題なのだし。

領土問題は似ているようで非なる問題だからだ。むしろはっきりとした反省を示せれば、領土問題も有利に展開できる道が自ずと開けてくるはずだ。
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橋下的論点のすり替え
Chosunonline 橋下氏「ベトナムでは韓国軍も慰安婦を利用」

だから、強制したかどうかが問題なんであって、論点をすり替えてるじゃないか。「どこの国でも慰安婦や売春はあるんだから、日本だけなんで悪いんだ」という論理は日本で通じても、世界では通用しないということを早く理解しろよ。売春を自らの意思でするのは人権侵害でも何でもなく逆に個々人の権利であって、売春を強制的にさせるのは重大な人権侵害なんだということ。それも国家ぐるみで行われていた可能性が高いということ。ここに最大の問題点があるわけで。
「ヘイトスピーチ」国連委が日本政府に改善求める
TBS系(JNN)「ヘイトスピーチ」国連委が日本政府に改善求める

「殺せ」とまで言うのは異常なのだということを世界中が警告している。もう法改正しかないだろう。表現の自由の「自由」が何なのかをちゃんと見極めれば法改正はできるはず。「他人を中傷する自由」は誰にもないのだから。「他人を中傷する自由」が「表現の自由」に入ってくるわけがない。日本における在日朝鮮人へのヘイトスピーチははっきり一線を越えた、ということをだれもが認識しなければならない。

「ヘイトスピーチ」国連委が日本政府に改善求める
TBS系(JNN) 5月22日(水)19時27分配信

 過激な言葉で特定の人種や民族などを憎悪する表現「ヘイトスピーチ」が問題となっていますが、国連の委員会が韓国人の元従軍慰安婦に対するヘイトスピーチを防止するよう日本政府に対して求めていることが分かりました。

 過激な言葉で、中国人や韓国人の排斥を訴えるデモが各地で行われています。「ヘイトスピーチ」と言われるこうしたデモは竹島や尖閣諸島の問題が再燃した去年夏ごろから特に激しさを増してきたといいます。

 「一部の国、民族を排除しようという言動があることは極めて残念なこと」(安倍首相)

 国会でも取り上げられたヘイトスピーチですが、現在日本には言論・表現の自由の観点などから法律での規制はありません。そんな中・・・
 「委員会は日本政府に対し、慰安婦からの搾取についての教育を進め、ヘイトスピーチなど元慰安婦に汚名を着せるような運動を防ぐよう求める」(国連の社会権規約委員会の見解)

 世界の人権問題を監視する国連の社会権規約委員会は17日までにまとめた見解の中で、日本社会の元慰安婦に対する理解の足りなさを指摘し、日本政府に対して元慰安婦を中傷するヘイトスピーチなどを防止するよう求めています。この見解をまとめるための調査は、日本維新の会の橋下共同代表の従軍慰安婦に関する発言よりも前に行われたということです。見解はさらに元慰安婦の経済、社会、文化的な権利や賠償への悪影響を懸念しているとし、日本政府に必要なすべての措置をとることを要請しています。(22日16:21)

強制連行の有無
橋下の妄言は、慰安婦問題の強制連行に関する議論をかえって沸き起こしたみたいでよかったのかもしれない。

この問題は、強制連行があったかどうかに尽きるようだ。

その是非を歴史修正主義に陥らずに徹底的に客観的に検証しなければならない。
我々日本人の手で。
まだ遅くはないと思う。
政治家は国民の鏡
今度の橋下徹の慰安婦発言の波紋は、一人橋下だけの問題ではなく、日本人の多くが大なり小なり似た考えであることの証しなのだということにこそ一番の問題がある。

今まで目をそむけていた、慰安婦の強制連行問題に向き合うよい機会が与えられたと考えた方がいいのかもしれない。
従軍慰安婦と娼婦
今まで一体どこの政治家が買春を公然と勧めただろう。飲み屋の猥談と違うんだから理屈がどうとか以前に外交にはまず礼節が必要だと思う。日本の外交は今世界で最も下卑ているのかもしれない。日本人としてただただ恥ずかしい、橋下という男が。

従軍慰安婦と娼婦を一緒にするのもおかしいと思う。
強制的に連行されて無理やりやらされるのと、金のために仕方ないとはいえ自分の意志でそれをするのを到底一緒にはできない。

風俗業を否定することはそれに従事している女性たちに対する差別だと、わけのわからんことを言ってたが橋下は。従軍慰安婦と娼婦を一緒にすることの方がずっと従軍慰安婦の人に対して非礼すぎるだろう。彼女たちは娼婦ではなかったのに、まるで娼婦であったかのように言っている、橋下は。

男だから女の気持はわからなくていいと開き直っているわけではないだろうけど、男でも女の気持になればいいわけで、自分の意志ではなく無理やり男に抱かれるのがどれほどの精神的苦痛か少し想像すればどんな男でもわかるものだ。それを想像しようとしないだけのことで、それを想像しようとしないことは、もうそれだけでこういった議論をする権利を有さない。

橋下徹は自爆したいのかな。もし自爆したいのなら勝手に自爆すればいいわけで、外交に迷惑をかけないで自爆してほしい。
安倍首相は強硬なナショナリスト
狭い地域だけで物事を考えていると、知らず知らずにうちに「井戸の中の蛙」になっていることがある。そういう時は客観的な意見に真摯に耳を傾けてみるのもよい

米議会調査局が「安倍首相は強硬なナショナリスト」として懸念する報告を行っている。
毎日jp 米議会報告書:「安倍首相は強硬なナショナリスト」と懸念

具体的には、首相の言動について「帝国主義に基づく侵略や他のアジア諸国の犠牲を否定する歴史の修正主義を信奉していることをほのめかしている」と分析。

これこそが客観的事実だ、どう逃げようもない。我々日本人がこのどう逃げようもない客観的事実を述べると、途端に「自虐史観」だと非難する。こういう人たちこそ歴史の修正主義者だと非難されるべきなのに、どうも最近はこちらの部が悪い。

この「歴史の修正主義を信奉していることをほのめかしている」ことにどうしてもなってしまう靖国参拝を与党政権が慎むべきなのは、だれがどこから客観的に見ても明らかなのに。あの橋下市長ですらそれを強調していた。やっぱりそれはまずいだろう、と。

麻生副総理のように「戦死者の慰霊に首を垂れることはどこの国でもやっていることだ」と開き直ることは直ちに「帝国主義に基づく侵略や他のアジア諸国の犠牲を否定する歴史の修正主義を信奉している」ことに他ならなくなるのだから。

侵略の歴史を修正しようという考えにはその犠牲になった近隣諸国だけでなく我々日本人にも極めて不愉快なことのはずだ。なぜならあの戦争は間違っていたんだ、ということからスタートすることこそが、日本人であることの矜持に他ならないからだ。そこからしか日本人は日本人としてスタートできないのだ、悲しいことながら。その悲しさから逃げずに受け入れていくことこそ矜持なのだと思う。
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