私の男
映画『私の男』はどんなに評価されようが見るつもりなはい。気色悪いもの。タブーを打ち破るなら別のタブーを打ち破ってほしかった。従軍慰安婦問題を日本人が映画化するとか。近親相姦は一番くだらなくて古典的な、ただ気色悪いだけのタブーだ。

一方で父親から性的虐待を小さい時に受けた女性がこの映画のことをどう思うだろう、とどうしても思ってしまう。こんなのが世界で一流だと評価されたら、自分の存在を否定されたような気持ちにならないだろうか。
表現にはこういったことはいつも付きもので仕方ない面もあるけど。
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美しきアジェンダー
The Huffington Post「男でも女でもない。ただ、美しい。」

アジェンダーとは無性別の意味。アセクシュアル(無性愛)は知ってたけど、この言葉は今日初めて知った。「ア」はフランス語で否定を意味する接頭辞らしい。

彼らは言う「ジェンダーが不在なのではない。自分のジェンダーを大切にしていないわけでもない。それどころかまったく逆で、私は自分のジェンダーやジェンダーの表現、ジェンダーに対する感じ方を、極めて大切に思っている。私にはジェンダーがある。そしてそれは、どちらにも属さない中立的なジェンダーなのだ」

アジェンダーというジェンダーを大切にしているのだ。

人を男と女という二項対立的なジェンダーにのみ分けるのはもうやめよう、とずっと思ってきた。世界は僕が思う以上に前に進んでいる。あのLGBT(レズ、ゲイ、バイ、トランスジェンダー)ですら少し興醒めしていてのだから、ぼくは。結局男か女に分けてるだろうに。

彼らアジェンダーの人たちの写真が美しいかどうかは主観の問題だろう。しかし存在自体が美しいと僕は思う。これは主観の問題ではない。男でも女でもないのだから、美しいに決まっているのだ。

しかし僕が最も美しいと思ったセクシャルマイノリティーは以前同じ短歌グループにいたFTM(性同一性障害)の人だ。体が女で中身が男。それとフランスの写真家、ドロテ・スミス。この人もFTM。この二人にはだれもかなうまい。もちろん僕の主観だが。