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河野談話の検証について
強制があった証拠がないじゃないか、というのが今の日本人のサイレントマジョリティなのだと思い知らされた。証拠がないから強制がないことになるわけがないのに、証拠がないのにあれこれ言わないでほしい、というわけ。どうしても強制があったと思いたくない国民感情が透けて見える。どうせ過去のことなのだし、戦争だから仕方ないのであって、強制があったことが別に恥なのではなく、それを今認めないことのほうがものすごく恥なのに。

当事者サイドから強制があったと告発されている以上、それに対して真摯に対応するためには、あれだけの多数の証言をまずすべて検証することだと思う。そしてことごとくそれを全部否定しないと強制がなかったことにならないだろうと僕は思うのだが。それには相当な労力と時間が必要なのに誰かがそれをやったとは聞いたことがない。それをやったのならそれをぜひ見せてほしい。

河野談話に引用されたたった一つの証言の裏付けが取れてないだけで、強制を否定したいのが今の日本人の大多数なのだろうか。

ぼくは愛国者だと自分では思っている。そして従軍慰安婦問題に正面から向き合うことからしか、日本人としての矜持はとてもじゃないが保てない。これが今の僕の本音だ。そこからしか日本人が日本人として出発できないのだということ。僕はそれを日々思い知らされている。

もし強制がなかったのなら、彼女たちは何をやるのかわかって従軍したことになり、それはいくら貧乏が原因でも単なる薄汚い売春婦と同じことになってしまい、それは彼女たちに対する最大の侮辱なのだということは言うまい。それこそ俗な感情論だろうから。

まず、証言を総べて検証しましょう、とこれだけは言いたいです。それをしないことには実際はどちらとも言えないのですが。しかしあれだけの証言がある以上、真摯に対応するしかないわけで、河野談話の元ネタのみを証拠がないと突っぱねることは、とてもじゃないがフェアじゃないですね。あれだけ告発されていて逃げないでほしい、ということです。
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塚本邦雄再読
塚本邦雄を再読している。読み落としていた歌がかなりあった。

藺を刈りて遺髪のごとく炎天に並べをり 国歌なき日本      『日本人霊歌』 
かまきりの卵の膠かわきつつ冬、不信もてつながるわれら    『日本人霊歌』 

昭和30年代と時代状況は違うのになぜか一致する言説。なぜだろう。
反戦句の扱われ方
埼玉の公民館が「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の句の掲載を拒絶した一件、これはやはり、お役所特有のことなかれ主義でしょうね。詳しい経緯が載っていました。

東京新聞:梅雨空に「九条守れ」の女性デモ さいたまの70代俳句 月報掲載拒否

月一回の定例句会で20人が集まり一人二句出句で40句の中から一位になったのが当該句。その一位の句のみを翌月の月報に載せる慣例になっていたのだけど、今回のみ公民館側がその欄全部を削除した。公民館側の言い分は「世論が大きく二つに分かれる問題で、一方の意見だけ載せられない」「この句が市の考えだと誤解を招いてはいけない。」ということで、体制側に迎合したことなかれ主義。公的機関は今後もこういったことがありそう。今までも少しありましたが。

短歌は大丈夫なのだろうか。何かあったら言ってほしいです。プロの歌人の方は何か圧力を受けてませんでしょうかね。NHKとかから。
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