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デマが勝つ時代
「デマ」時代の民主主義 (鈴木一人)

現代は民主主義、とりわけ国民投票やアメリカ大統領選のような直接民主主義に近い仕組みにおいて、「デマ」が勝つ時代であり、その「デマ」を意図的に利用する政治家が存在する限り、政治が混乱する、という時代なのだ、という自覚を持つことがまずは大事だと考える。


そういう時代なのだ。デマが勝ってしまう、ということを自覚することから政治を始めないといけないというややこしい時代になってしまった。でもデマを飛ばすのは大抵の場合ポピュリストであり、極端なポピュリストはすぐわかるもんだろうに。トランプとか橋本徹とか。
メディアがポピュリストの烙印をはっきりと押すこともまたデマ抑止になると思うけど。でもここに書いてある通り、

「デマ」を否定する人たちは、そうした合理的で理性的で冷静な分析をしたのだろうが、そうした冷静さそのものが忌避感をもって受け入れられているということは事実だろう。日々の生活にムカついている人たちにとって、「上から目線」であれこれ言われることほどムカつくことはない。その意味で、「デマ」をデマであると否定すればするほど、「デマ」が力を持つという循環が生まれてしまっている。


という時代なので、そいつがポピュリストだと言えば言うほど、逆効果だったりするらしい。「そうした冷静さそのものが忌避感をもって受け入れられている」時代なのだ。
そういう反知性主義の時代。
とにかく民主主義の欠点を突こうと躍起になってる連中ばかりが目立つ時代になってしまった。
これから民主主義はいったいどこへ行くのだろう。
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村上春樹『羊をめぐる冒険』読了

「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや・・・・・」
村上春樹『羊をめぐる冒険』より


〈羊〉を〈悪〉のメタファーとしてこの小説を読むことはあまり好きじゃない。羊は羊だからだ。
その〈悪〉あるいは〈強さ〉の真逆としての〈弱さ〉を作者は愛おしみたかったのだろう。人間のもつどうしようもない〈弱さ〉を限りなく愛おしみたかったのだろうと思った。
日本の近代の本質をなす愚劣さ

「日本の近代の本質をなす愚劣さは、我々がアジア他民族との交流から何ひとつ学ばなかったことだ。」
村上春樹『羊をめぐる冒険』より


この観点は僕には無かったし、誰も言ってこなかったような。

確かに朝鮮民族は労働力としてしか見てこなかったし、中国人は全員殺すはずだったし、そのほかの東南アジアはそれ以下の「土人」でしかなかった。そしてその女性達はレイプか性奴隷の対象でしかなかった。なんという愚劣さだろう。これほどの愚劣さが他にあるだろうか。

日本人は日本人以外のアジア諸民族を完全に人間以下の動物レベルでしか見てこなかったようだ。日本人の利点といえば近代化がほんの少し多民族より早かっただけにすぎないというのに。
そして結果、戦時中は彼らから何も学ばなかったのだ。そう言われれば聞いたことがない。あったら教えてほしい。魯迅等は戦後の教育だし。戦後教育には少ないながらもいろいろとあるとは思うけど、でも少ないな。

そしてこのいわゆるレイシズムは今もゆるくではあるがずっと続いている。日本人がこのアジアで最も優秀で文化的素養も教養もハイレベルだと。
自分が一番優秀だと思うことの、他者から見てなんと恥ずかしいことか。あらゆる差別はこの恥ずかしい心根から始まるのだから。
テロかヘイトクライムか
フロリダの銃乱射事件、イスラム過激派のテロということで報道されているが、これはどう考えても、性的マイノリティに対するヘイトクライムだろう。
犯人はアメリカのイスラム社会に属しているが、元来過激派ではなく、ただ同性愛に対する憎悪を強く持っていたらしい。イスラム国では同性愛者が公然と処刑されている。

ここからは想像だが、ホモフォビアの犯人が、イスラム国の教義の反同性愛の部分に反応して、殺していいんだと思い、テロとして犯行に至ったのではないかと。

つまり、テロの威を借りたヘイトクライムなわけで、犯行動機に政治的なものは一切ないと思う。パリ同時多発テロ等とは全く違う。これはテロだと自分で納得すれば殺してもよい、ということにしているにすぎない。

今までのテロよりも一層タチが悪くなったようで、世界がより気持ち悪く危険なものになっていくような気がする。
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