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社会とは ― 相模原の事件をめぐって
相模原の施設の事件をめぐって 7月28日

障碍者に言わせてはだめだ。我々が言わないと。
社会に役に立つとはどういうことなのかがもう、この近代が終わった世界ではわからなくなってしまっている。
だいたいあのポケモンGOを遊ぶことに何の意味があるのか。引きこもっている人を外に出すこと以外に。それに限らず、この社会に役に立つことをするのは誰だってむつかしいものだ。僕だって自分の仕事がこの社会の役に立ってるかどうかなんて考えてたら、やってられない。自分と家族が暮らしていくために仕事をしているんだから。だれだって社会の役に立ちたいけど難しいから、ボランティアなんかでお茶を濁すのだ。
社会の役に立たないから生きている意味がない、とか言われたら、僕だって意味がない。

結局は人と人とのつながりだろうと思う。その細かな人同志のつながりがいくつもつながって大きな社会になっているのだと思う。それは他人とのつながりでもいいし家族とのつながりでもいいだろう。家族も立派な共同体だからだ。ネットでのつながりでもかまわないし。もちろん仕事でのつながりも大切だ。

障碍者も必ず誰かとつながっている。そして周囲に感動を与えたりもする。それで十分なのではないか。いや、十分すぎるだろう。
だから障碍者の存在を否定するということは、巡り巡って自分たちの存在を否定することにつながってくる。特になんの感動も与えていない自分たちは障碍者の価値の半分かもしれないのだから。

人間とは国益だけで測れる単純な生き物では決してない。当たり前のことだ。そんな単純な生き物なら人間なんて今すぐにでもやめるしかない。
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障害者問題の深遠にあるもの
相模原殺傷・尊厳否定「二重の殺人」全盲・全ろう東大教授(福島智・東京大先端科学技術研究センター教授)

一つは、人間の肉体的生命を奪う「生物学的殺人」。もう一つは、人間の尊厳や生存の意味そのものを、優生思想によって否定する「実存的殺人」である。
 前者は被害者の肉体を物理的に破壊する殺人だが、後者は被害者にとどまらず、人々の思想・価値観・意識に浸透し、むしばみ、社会に広く波及するという意味で、「人の魂にとってのコンピューターウイルス」のような危険をはらむ「大量殺人」だと思う。
(中略)
しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理・メカニズムは、徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。つまり、ごく一握りの「勝者」「強者」だけが報われる社会だ。すでに、日本も世界も事実上その傾向にあるのではないか。
 障害者の生存を軽視・否定する思想とは、すなわち障害の有無にかかわらず、すべての人の生存を軽視・否定する思想なのである。私たちの社会の底流に、こうした思想を生み出す要因はないか、真剣に考えたい。


極めてバランスのとれた意見だ。障害者の存在を否定するということはすべての人の存在も否定するということにつながる。ここを突き詰めていかないといけない。単なる人権の問題ではなく。
僕の思ってたことを理路整然と言ってくれた。とても頭のいい人だ。
障害者施設襲撃事件に思うこと
相模原の事件は悲惨極まりないヘイトクライムだったが、容疑者の「社会になんの役にも立たず迷惑だけをかけてる障害者などはいなくなればいいのに。」というような趣旨の発言にだまっていてはいけない。

障害者を殺していいのなら、普通の人間である我々も殺していいことになる。なぜなら障害者の存在も我々普通の人間の存在も価値は全く等価だからだ。当たり前のことだ。この当たり前のことに立ち返らなければいけない事件が起きたことに最も悲しまなければいけない。

この社会は、利潤のみを追求する会社と同じではない。もし有用な人間のみを生き残らせるナチス等の優生学的な社会を肯定してしまうと、それはもう人間らしい生活ができる社会ではなくなる。極論すればもうそこにいるのは人間ではないからだ。いや、極論なんかしなくてもそれは人間ではないだろう。人間ではない存在がいくら良いと思って社会を構築しても良い人間社会には絶対にならないし、そんな社会はただただおぞましいばかりだ。

しかし、僕のような部外者がこんなことを言うのは簡単だ。当事者の方たちはそれはもう大変なのだろう。せめて介護職員の給料をあげるとか待遇改善が至急に望まれる。僕のような部外者はこれぐらいしか書けない。
ニースの件ははたしてテロか
前のフロリダの件もそうだったが、このニースの件もはたしてテロと呼べるのかどうか。イスラム国の声明はずいぶんと後出しだし。この犯人とイスラム国はおそらく何の関係もないだろう。

社会的に疎外され社会的に破綻しかかった若者の社会に対する憎悪が、イスラム国のテロリズムに共鳴して起こった単なる無差別殺人で、思想的な背景は全くなかったのでは、と思わせられる。イスラム原理主義に共鳴したのではなく、単にテロリズムそのものに共鳴しただけで。

これがテロならあの秋葉原の件だってテロである。
単に社会的に追い詰められて無差別殺人に至るより、これはイスラム国的テロリズムだと自分で思い込んだ方が、自分がみじめではなく、自分的に納得できるのではないだろうか。

フロリダの件と決定的に違う点は、銃規制に関係なくトラック一台で悲惨なテロ的事件を起こせたということにある。
今後もこの事件に感化された事件が世界中で起こるのではないか。もちろんこの日本でも。トラック一台あればできるのだから、大型運転免許さえあれば誰でもできるわけだし。なんだったら普通車でもできなくはない。
永遠の嘘をついてくれ
永遠にばれない嘘などこの世に存在しない、とも言える。いや、存在してはいけないだろう。だとすれば本当にそれが「永遠の嘘」なら、それは真実にとって代わる。少なくとも、やりきれない事実ばかりがあふれるこの世では逆説的にそして皮肉たっぷりに「永遠の嘘」が希求されているのかもしれない。結局、誰もが絶望的にでも真実を欲しているのだ。そんな時代なんだろう、今は。どうせ嘘をつくなら「永遠の嘘をついてくれ」ということか。あまりに安易なデマや嘘が多すぎるから。

「永遠の嘘をついてくれ」作詞作曲:中島みゆき、唄:吉田拓郎



2006年の拓郎のコンサートに中島みゆきがサプライズ登場。
これ以上のサプライズはそうそうないと思う。
ここに書いてある年齢は今の年齢で、10年前だから、吉田拓郎60歳 中島みゆき54歳。二人ともまだ若い。
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