反戦リベラルの限界と歴史修正主義
他の僕の日記でSEALDsを批判したことに批判があった。僕の書くことはどうも誤解されやすいので、誤解の無いように書くにはコメント欄では短すぎると思い、新たに日記を起こすことにした。以下、僕を批判した人に対してではなく一般論として書く。

SEALDsというよりはSEALDsも含めた一般的な反戦リベラルに対する批判として書くことにする。こういった考え方は一般の日本人にはほぼないらしいのでちょうどいい機会ととらえて。

まず安倍自民党に対して僕個人が最も許せないのは、歴史修正主義である。歴史は科学だ。その科学を否定することはできない。それを否定したら議論にならないからだ。リンゴは明らかに万有引力で木から落ちるのである。それと同じように日本は中国をはじめアジアを侵略した歴史は到底覆らない。
SEALDsも含め反戦リベラルの多くは歴史修正主義には言及しない。安倍自民党の歴史修正主義を糺さないことには東アジアの安全保障は全く立ち行かないというのに。なのに戦争反対の一点張りだ。戦争なんか誰だって反対に決まっているのだ。どうやったら戦争が防げるのか、それが安全保障問題の核心である。その「どうやったら」を全く言わずに、単に戦争反対では埒が明かない。少なくとも世界は日本に対してあきれているに違いない。

その理由は反戦リベラルの多くも右派とはまた違った歴史修正主義に陥っているからだろう。日本はアメリカと戦争したわけではない。中国と戦争したのだ。その中国への侵略をアメリカに邪魔されたからアメリカに突っかかっていったのである。今の北朝鮮の世界に対する態度と同じだ。それよりもずっと大規模だし、性質が悪かったと僕は思う。
ところが日本人の多くは中国への侵略をきれいに忘れてしまっていて、ヒロシマ、ナガサキで日本人は被害者なんだと思い込んでしまっているのが現状。明らかに加害者なのに。南京がなければヒロシマはなかったわけで。これを言うと非国民扱いされるに違いない。リベラルからも。
それだけでなく、中国への加害状況を全く顧みることなく、日本の兵隊さんたちがいかに苦労したか、戦争に対してはそればかりだ。
南京だけではない。南京は単なる象徴に過ぎないわけで、中国全土を荒らしまわったのだから。ナチスドイツの戦争犯罪以上か少なくとも同じレベルだ。これも言うとやはり非国民扱いされるだろう。
あの戦争による死者はいろいろな説があるがだいたい、中国人の民間人が800万人。軍部も含めて1千万人~1200万人。アジア全体でおよそ2千万人。そのほとんどすべてが日本人による仕業だ。一方、日本人の軍部民間被害はあわせて死者およそ310万人である。数がすべてではないが、数を把握することも重要だし、そこから逃げてはいけない。
日本人は日本人だけを慰霊するのではなく、中国を中心としたアジアの被害者に対して、加害者として心から慰霊の気持ちを表さないといけないというのに、日本人の兵隊さんやヒロシマ、東京大空襲などの被害者ばかりに慰霊を一生懸命毎年行っている。なんと利己的な民族なんだろうと誰もぞっとしないのだろうか。

それと朝鮮民族に対する態度。日韓併合後、日本は朝鮮民族を食い物にしてきた。搾取しまくったのである。朝鮮民族は日本民族の奴隷だった。それが日韓併合の目的だったのだから。従軍慰安婦だけではない。特に昭和19年以降、強制徴用された人たちは100万人を超える。日本の若者が徴兵でいなくなった後の労働問題を補うべく強制的に朝鮮半島から徴用されたのだ。彼らがなぜ自国のためではなく日本のために劣悪な労働環境の中で働かなければいけなかったのか。ほとんどのリベラルはその理不尽さを考えようともしない。慰安婦問題もその延長上にある。慰安婦問題を理解するにはまず日韓併合を理解しないと始まらない。慰安婦像は本来日本に抗議するためのものではなく、朝鮮民族にとっての民族の傷みの歴史を民族で共有していこうという試みでしかないはずだ。だからそれに対して加害国である日本が、その隣人の傷みをどれだけ共有できるかが問われる。だから慰安婦像に目くじらを立てるということは最初から傷みを共有するつもりはさらさらない、ということをはっきり言っているにすぎない。それだと隣人との協力ははなからできないだろう。そして韓国との安全保障も立ち行かない。

こういった歴史を正確に把握しようとする態度を示すだけで、どんなに東アジア(北朝鮮を除く)の安全保障が改善されるか、反戦リベラルたちは全く考えようともしない。どころか日本が悪いとは思っていないのだから。日本はあの戦争の最大の加害者なのに、原爆のせいで最大の被害者だと思っているのが、SEALDsも含めた反戦リベラルの現状である。ここから糺していくのは相当骨が折れる、というより絶望するしかない。

さてもう一つの批判である、南スーダン問題だが、僕の知る限りでは、日本だけでなく、中国、韓国、イギリス、インドその他アフリカ諸国、全部で十数か国が援助に行っている。南スーダンは相当悲惨な状態で、男どもは虐殺され、女どもはレイプされ、子供たちは飢えて死ぬしかない状況らしい。かつての中国である。日本は中国に対して各村々を襲い、食料を強奪し、男どもは処刑し、女どもはレイプして最後は家々を焼き払って後には何も残さない、という戦法をとったのだ。同じレベルだと僕は思っている。そこへ援助に行くことになぜ躊躇することがあるのだろう。世界第3位の経済大国がお金さえ出したら済むとでも思っているのか。戦闘に巻き込まれるのはできる限り避けながらも援助は続けていくべきだろう。僕の知る限り、日本以外で撤収を決めた国はない。日本だけが逃げていくのだ。世界の笑いものである。

日本も戦後70年、もういい加減、世界レベルで安全保障問題を考えられるようならないといけないと僕は思うのだ。そのためにはまず右派左派ともに陥っている歴史修正主義を自覚することからだが、道は遥か遠い。そしてその次は右派左派ともに陥っている内向きのナショナリズムからの脱却である。右派左派共に自国の平和と豊かさしか考えていない。右派左派共にジャパン・ファースト、ジャパニーズ・ファーストなのだから、おぞましい国である。
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一億総ナショナリスト
危機の20年:北田暁大が聞く 第12回 ゲスト・萱野稔人さん 論壇、言論と政治

萱野稔人: この20年ほどの論壇は、理論への敬意が低くなったと感じます。代わりに、物事を善悪や道徳で判断する傾向が強まった。安倍晋三政権の高支持率もトランプ現象も、「許せない」だけ。どんな理不尽な動きにも、背景となる「合理性」があるのに、それを見ない。そもそも、国家は良しあしではなく、現に存在するものです。「9条を守れ」だって、「我々の憲法を我々で守る」というナショナリズムですよ。

北田暁大: 国家単位での物事を気にするのは、広い意味で「ナショナリスト」。そう自覚したうえでレイシズム(人種などの差別)にはまってはならない。憲法9条も、よほどナショナルな信念がないと守れない。国際法との整合性や交戦権の解釈など、国際社会で通らない理屈に基づきますから。日本は、偶然と米国の戦略に守られて戦争をせず、矛盾を沖縄に押しつけてきた。単一民族国家神話を批判しつつ「9条を守れ」と言う両義性をしっかり意識しないと。


リベラルがあまりにバカすぎると、萱野のようにだんだん自分が右傾化していくことに気がつく。世界レベルでの安全保障が現にあるわけで、それは集団的自衛なのは言うまでもない。個別的自衛が前近代的で極めて危険なのに比べて、集団的自衛は加盟国で負担を分担できることだけでなく加盟国間で監視できる、という決定的な利点がある。この利点こそが安全保障なのだから。こういうこともわかってない人が多い。日本は北田が言うとおり、偶然今までアメリカに守られてきただけで、これからもこの偶然が続くと思うわけにはいかないわけで。日米安保がなくなった後のことを考えないといけない。個別的自衛だけは絶対に避けないといけないわけで。消去法で集団的自衛しか残らない。つまりNATOへの加盟だ。
人を査定する資格
TVドラマ「カルテット」第8話より

カルテットの他の3人との交際を辞めさせて兄・別府司にまともな職に就いてもらおうと弟が乗り込んでくる。カルテットが住みついている軽井沢の別荘に。そこは弟が管理していて、それを売るために不動産鑑定士に査定させた後、兄弟の会話。

別府司の弟「無職とかゴミ出ししないとか、全然だめでしょ。ダメ人間じゃん。」
別府司(松田龍平)「人を査定しに来たの?どういう資格で?」


人を査定する資格を持っている人はこの世にだれ一人いない。人は不動産ではないのだから。
という当たり前のことにいまさら気づかされるほど、我々は無意識に人を査定していないだろうか。津久井やまゆり園の殺人犯や長谷川豊のような極端なケースじゃなくても。
そしてその査定基準は大抵の場合その人の収入である。無意識にお金を世界の中心に置いてしまっている。そこから逃れるためにも文学や芸術は必要なのかもしれない。全ての人に。