FC2ブログ
保守とリベラル
毎日新聞:リベラルマインドを教えた保守思想家 西部邁さんを悼む=中島岳志

西部邁氏のことは恥ずかしながら名前ぐらいしか知らなかった。知っていたとしても、保守の言論人ということで右翼か、と思い避けていたかもしれない。ところが全く違った。

西部はリベラルな精神を保守思想の文脈に位置づけ、両者を相互補完的な存在と見なしていた。保守は人間に対する懐疑的見方をとる。左派的な近代主義者が、人間の理性によって理想社会を構築できるという進歩主義をとるのに対して、保守は人間の理性の不完全性を前提に、歴史的に継承されてきた集団的な経験知や良識を重視する。人間は間違いやすく、誤認をくり返す。誰も正しさを所有できない。もちろん、自分もその例外ではない。懐疑主義的人間観は、自己にも向けられる。


僕が日頃感じていることをはっきり言葉にしてくれている。
保守とリベラルを結びつけないと、と思っていた。
僕自身もリベラルな思想でもって人間を信じたい。ここが基本だけど、そうもなかなかいかないのが現実。現実を直視すれば、多少は保守的な考え方もせざるを得ない。お互いに欠点を補完し合って、要はバランスだろうと思うのだ。
この人はひょっとしたら最もバランスの取れた人だったのかもしれない。
スポンサーサイト
なぜ『慰安婦問題』は終わらないのか

「なぜ『慰安婦問題』は終わらないのか」by土井敏邦


2年前の「日韓合意」は、当事者たちには、加害国日本から「この10億円は“手切れ金”だ。もうこの問題はチャラにしようぜ。もう二度と蒸し返すなよ」と言われているように聞こえなかったろうか。


まさにこの通りで、朝鮮民族を凌辱した日韓併合という民族的ジェノサイドの象徴としての従軍慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決されること」を望むということはハルモニが言うとおり「彼らは過去の事を歴史に残さないようにするためだよ。(名誉を傷つけず)きれいな国民でいたいわけさ」」でしかない。つまりあったことをなかったことにしたいのだ。だから承服できないわけで。

ドイツがナチスをなかったことにしただろうか。アメリカが奴隷制をなかったことにしただろうか。一流の国ならそんなことはできないはずだ。だが二流三流の国ならどこもやってる。日本は悲しいかな、二流以下の国だ。そのことを僕もいい加減わかるべきなのだろう。