靖国
8月ということで靖国に関する議論が盛んだ。昨日のNHKでも公開討論があった。
やはりこの問題に正面から臨むことが今、日本人としての責務のような気がする。

様々なブログを読んで考えを新たにした。

まず『スカイ・ハイ』さんの「靖国問題」から

ここでは「靖国問題」(高橋哲哉著 ちくま新書)をテキストにしている。

靖国神社のスタートは、1869年(明治2年)に東京招魂社の創設から始まり、10年後に「靖国神社」と社号を変えて以来、明治維新から大東亜戦争までの戦死者(軍関係者)を祀っており、合計約250万の霊が護国の神として祀られているそうですが、著者が強調するのは、祀られた英霊が護ろうとしたのは、植民地政策を押し進めた「植民地帝国」と言う名の国であり、その思考をマインドコントロールしてきた元凶が、靖国神社という〃祀りのシステム〃であると論じる。つまり、「神国である日本の為に戦って死ねば神になれる!」という国家のアイデンティティーを植え付け、いつでも天子(天皇)様のお側に居れるという幻想を、国家的弔いに位置付けて増幅させる手法で国民を操作する、という体質そのものが本質であると著者は述べている。
更には神社神道を宗教から分離し〃超宗教〃と位置付ける事は、他のあらゆる宗教国家神道に従属させる事であるとも述べています。この根本にあるイデオロギー操作が、〃日本の伝統〃というオブラードに包まれた靖国神社の本質で、母体である日本独特の神社神道にも言及する。



ぼくは今まで靖国参拝を墓参りのように思っていたが違う。「靖国で会おう」を合言葉に戦地に散っていった戦死者は靖国に葬られるのではなく、祀られて神となるのである。単に寿命が来て死んで葬られるのとは違う別のステージに上ることになるのだ。
つまり日本古来の神道という民衆的な宗教を植民地政策と結びつけたのが「靖国」というシステムだった。だから「靖国」を否定すれば、「日本を天皇をも否定するのか」、あるいは「おまえはそれでも日本人か」という議論によくなるが、これははっきり間違いである。天皇制は少なくとも継体天皇からとしても1500年、神道はそれ以前から天皇制とは何ら関係なく存在している。靖国はたかだか150年ぐらいの新参者である。つまり新興宗教のようなものだ。我々日本人はそれに振り回されてきたのだ。戦前の日本の帝国主義が靖国というシステムを利用して国の為に殉職するということを神聖化し正当化したにすぎない。それがまたなぜいま蒸し返されているのか、ちゃんと理由があった。


『署名で書く記者の「ニュース日記」』さんの「靖国参拝」異論と、「靖国」をもう一度から
 

共同原稿によれば、西村議員は「靖国神社で不戦の誓いをしてはならない。近い将来、わが国は戦争を受けて立たなければならないこともあり得る。その時は勝たなければならず、そのために靖国神社を忘れてはならない」と訴えたという。
 もちろん、西村議員も、日本が侵略戦争を起こすことを考えているわけではないだろう。他国から攻撃を受けるなど、想定した事態での防衛的な戦争をイメージしているのだと思う。
 それにしても、西村議員の言葉は、本人の意図を別にして、靖国神社のある側面を見事に言い当てているとはいえないだろうか。「招魂社」としての創建以来、靖国は「戦争」による死者のために存在してきたといっていい。だからこそ、議員が言うように、靖国では「戦争をしない」と誓ってはいけないのだ。極言すれば、それは靖国神社そのものを否定することになりかねないからだ。



確かに日本がこれから侵略戦争を起こすとは誰も考えまい。よく左がかった人がそんな危険性を強調するのを聞いて鼻白んだものだ。誰がいまさら朝鮮半島や中国大陸に攻めていくものか。だが防衛のための戦争なら大いにありうるし絶対に想定していないとだめだ。それが為政者の義務であろう。

 一方で、靖国神社の存在を絶対とする人たちは言う。「戦死者たちは『死んだら靖国に行く』と信じ『靖国で会おう』を合言葉にしていた」と。実際に戦時中、多くの人々はそうだっただろう。それこそが、国が個人に犠牲を求める壮大なシステムの「最終装置」だった。中曽根元首相が以前「国が慰霊するようでなければ、誰が国のために死ぬだろうか」というような発言をしていた。まさに、そこに問題の本質はある。



確かにここに問題の本質がある。なぜ小泉首相は靖国にこだわるのか。イラク派兵やそれ以後も自衛隊が海外派遣されることはあるだろう。そのときに殉職した自衛隊員をどうするのか、国の命令で行ったのだからそれこそ特別な計らいが必要になってくる。そのときに靖国というシステムがまた復活するのだろう。そしてどこももう止められない覇権主義の中国に対する防衛のための戦争、そのときに士気を高めるのが靖国だろうか。
じゃ、それに対して反対かというと、それ以前に反対する権利があるだろうか、という議論になる。防衛のための戦争は明らかに平和のための戦争である。日本にとってあの第2次世界大戦とは根本的に違うはずだ。だがそれに靖国がかかわってくると一緒じゃないか、という気がしてくる。しかし平和の為に手段は言っていられないだろう。靖国が利用できるのなら利用すればいいのかもしれない。だが、ここでぼくの主観を言わしてもらう。ぼくは靖国は嫌いである。大嫌いだ。決して皇室が嫌いなわけではない。皇室と靖国は別物である。靖国は古くからある天皇制に便乗している新興宗教のようなものにすぎない。もしあくまで日本が靖国にこだわるのなら、日本を脱出したくなってくる。

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も 
  
塚本邦雄「日本人霊歌」

47年前のこの短歌がまさか今よみがえってこようとは。皇帝ペンギン(天皇)も皇帝ペンギン飼育係(我々日本人)も日本から脱出したかった、戦後間もない頃のあのナショナリズムのジレンマが、今またよみがえってくるのだろうか。
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コメント
この記事へのコメント
要するに君は、日本が侵略されても、「戦争はいやだ。戦争になれば日本から逃げる。」ということだね。日本人として真に情けない。こんな輩を作った教育制度を速やかに改革しないと、日本はとんでもない国になる。さっさと脱出しな。
2005/08/16(火) 22:12:37 | URL | ryousuke #-[ 編集]
おじゃまします。
靖国は、新興宗教というよりも、近大化にあたって必要になり急きょ造られた装置だと思います。

なぜなら、戦死者の遺書を読んでも、あの小野田さんや横井さんの言動からも、天皇なんて大した意味がなかったことが分かります。彼らは、天皇よりも戦友を大事にしてますからね。小野田さ自身も、天皇なんて、という趣旨の発言があります。

特攻隊員の遺書を読み込めば分かりますが、「天皇陛下万歳」は枕詞であって、字面通りの意味がないのです。と分かれば、靖国に対する考え方も変わると思いますよ。
2005/08/16(火) 23:00:42 | URL | こ~ #6Q0aW8YQ[ 編集]
それから、靖国で「神」になるというのが誤解を招きやすい解釈なのだと思います。

神道からすると、それは他宗教と違って「神」そのものでなく、「精霊」のような存在に近いものなのです。
2005/08/16(火) 23:02:30 | URL | こ~ #6Q0aW8YQ[ 編集]
そうですね、神ではなく御霊でした。英訳不能ですね。

ようするに戦前、天皇というのはあらゆる「意味」の向こうに敢然と存在していたわけで、それは逆らうとか逆らわないとか議論の対象にはならなかったのではないでしょうか。だから言及もしなかったのだと思います。人によっては言及することも畏れ多いわけです。
2005/08/17(水) 20:28:25 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
TBどうもありがとうございます♪
靖国問題は世代で意見が変わりますね。
戦争を直接知らない世代は、現代社会の
価値観で分析しようとするし、当事者は
それなりの靖国に体する熱い想いがあるのでしょうし。日本は世界のあらゆる価値観を
取り入れて日本流にアレンジしてきたし、
日本人の死生観も中国や朝鮮半島を経由して
培われたものなのに、現代の中国や韓国には
そいいう面影はないですしね。隙あらば徹底的に外交に利用しますからね。
政府にはもっと頭を使って欲しいですね。
日本人の心のDNAは変わらないので、個人的には賛美ではなく、本当に慰霊するための靖国に替わる施設建設案に一票です。
本当に我が国が「神国」であるなら、
平和をもって世界をまとめるべきですね。
2005/08/17(水) 20:50:06 | URL | ハーロック #-[ 編集]
いろいろとコメントありがとうございます。勉強させてもらってます。
靖国にはまだまだ諸問題が山積みなのでしょうが、ここはひとつ単純に考えたいのです。
それと中国や韓国に言われたからではなく、つまり外交問題としてではなく、
純粋に日本の国内の問題として対処しなければいけないところがまずあると思うのです。
今のところ個人的には代替施設は必要ないと思っています。靖国は靖国で閉じればいいわけで、靖国は永遠不滅でいいわけです。だってそうじゃないとその存在意義がないでしょう。代替施設はきわめてナンセンスだと思います。
要は、靖国と政治とを完全に切り離すということです。そのためにはまず靖国と皇室を切り離すことではないでしょうか。遺族の気持を考えれば無理なことなのでしょうが、この方向でみんなで知恵を出し合えば何かいい考えが浮ぶかもしれません。
2005/08/17(水) 21:52:37 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
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