土岐友浩Web歌集“Blueberry Field”
土岐友浩さんのWeb歌集“Blueberry Field”がアップされた。
歌集といっても紙媒体には一切なっていない。
やはり歌人の光森裕樹氏の意匠・製作である。

ぼくはネット短歌の事情にあまり詳しくないが、Web歌集というのをはじめて聞いたような気がする。ありそうで意外に無いな、という感じだ。もっとあってもいいだろう、と思ったりもする。確かに紙媒体になってないので手元に置いておけない寂しさはあるのかもしれないが、学生にとって、資金のほとんどかからないWeb媒体は魅力だろうと思う。

その昔、昭和34年生まれで45歳で早世した俳人田中裕明が学生時代、コピー機で製本して第一句集『山信』を出している。邑書林刊行の『セレクション俳人 田中裕明集』の「あとがき」によると、

「昭和五十二年から三年間の句です。最初の年はまだ高校生ですから、初々しいというよりも、俳句になりかけとでも言ったほうがいい。私家版というと格好がいいようですが、自分で筆で句を書いて大学の生協で十冊だけコピー・製本したもの。第一句集とも言えないのですが、爽波先生から全百句を『青』に再掲しなさいと言ってもらったので、活字になって残っています。」

とある。つまりたった十部のみの、コピーとはいえ田中裕明自筆毛筆の百句の句集がこの世に存在したのだ。ファンからすれば垂涎ものだ。もし現物があればきっと数十万はするかもしれない。

口笛や沈む木に蝌蚪のりてゐし    田中裕明『山信』
亀鳴くや男は無口なるべしと        〃
嬉しくもなき甘茶仏見てゐたり       〃

しかしその田中裕明がもし今学生で句集を出したければ、きっとWeb句集という方法をとったのではないだろうか。そんな気がする。学生に限らず資金になかなか都合がつかない者にとってWeb媒体というのは確かに魅力だろうと思うのだ。

さてこのWeb歌集“Blueberry Field”だが、全部で49首。1首ずつパラパラとカード状になっていて、これが僕の周囲では好評なのだが、僕にはどうにもうるさいだけである。読む気になれない。そういう人向きにだろう、テキストヴァージョンもちゃんと用意してある。

さて中身に移ろう。
全体としてまず、渋味の男子系スイート、という印象を持ってしまった。確かに甘くアンニュイで淡い現代の若者特有の心情が上手く出ているように思った。この信頼できない世界に自身の居所がはっきりと自覚できない浮遊感のようなもの。同世代の歌人から見ればかなり共感度は高いのではないだろうか。いかんせん僕のような旧世代から見れば、最近の20代の歌人はどいつもこいつも男性であれ女性であれ、スイート系に見えて仕方がないのである。

だがもちろん一般のスイート系と違って、世界を見る眼の確かさ、をまず感じる。

土曜です。モスバーガーです。この街はひとに逢いたがるひとであふれる
きれいめはきたない。きたなめはきれい。麦わら帽の金色リボン
雲のかけらふる一月の明け方はジョギングしたいくらいさびしい


そしてその寂しさを湛えた、きめ細やかな抒情が最も読ませどころだろうか。

まだぬれた髪にブラシをあてている 僕がねむいと言ったばかりに
首もとのうすいボタンをはずしたらゆびさきにのりうつったひかり
ウエハースいちまい挟み東京の雑誌をよむおとうとのこいびと
たぬき寝入りしているねって声がする きっと寝ていてもそう言っている
てぶくろの首から呼気を吹きこんで手袋はめるさよならずっと


そして何よりこの歌集の眼目はFreedom Fromの一連の7首だろうか。ただ残念なのはこの一連が母への挽歌だとはどこにも触れていない点だ。これは本人に確かめないとわからないことになっている。それはきっとあまりに若く母が亡くなったために、挽歌を書くという自覚を持てなかったのかもしれない。逆にそれだけに自然なスタンスを感じる。

母とふたり真ッ黒のボストンバッグ引き出している バスの腹より
ゆうぐれのこの手にできる複雑な影をみている医学生僕は
風の朝ディズニーランドのパラソルのポールに母の名前をしるす


一首目は母が亡くなったことをやっと受け入れようとしている作者のもがきのようなものだろうか。あるいは死期が迫ったことに対する暗い気持ちだろうか。
三首目はこれが母への晩夏だとわからなければ完全にスルーしてしまう。しかしそれがわかれば、〈ディズニーランドのパラソルのポール〉を母の墓標に仕立てるなんともいえない痛切な悲哀が伝わってくる。
二首目は母の病気を治せなかった医者の卵としての自身に対する苛立ちだろうか。しかしここは一度、母への挽歌だとは切り離して鑑賞してみたい。この〈複雑な影〉を人間と医学を取り巻く〈複雑な影〉と見てみる。昨今、医療技術が高度に発達し、どんな病気も治るのが当たり前のようになってきて、また個人主義が暴走するこの現代で、患者サイドは医者が病気を治すのが当たり前となり、少しでもミスしようものなら激怒して訴える、という医者としてのやりにくさ。立場の転倒。本来治らない病気を治してもらうのだから感謝以外の気持ちはありえないはずなのに。また環境問題人口問題が世界のあり方を方向付ける現代で、人間だけが長生きすることの無意味さと傲慢さ。たとえば万能細胞とは何なのかとか。そういった医学と人間を取り巻く〈複雑な影〉を見ている医学生である作者。医学を通じて世界を見据える透徹したまなざしをここから感じないわけにはいかない。

作者とは加藤治郎さんが主宰するJ歌会京都で何度もお会いしているが、若いながらもその鋭い批評眼はすでに折り紙つきである。

常に寂しさを湛えた微笑を絶やさないこの24歳の医学生は、きっと短歌の行く末を担っていくことだろう。甘く淡い雰囲気の中にも世界を見る眼の確かさと清冷で柔らかな抒情を感じさせる歌集だったように思う。
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