靖国とアルカイダ
 8月16日の続きである。

 靖国というシステムが、明治初期の富国強兵のために興ったことは、もうこれは明らかなことになっている。それ以前は影も形もなかった。1869年(明治2年)に東京招魂社の創設から始まり、10年後に「靖国神社」と社号を変えたわけだが、日本の領土拡大、つまり当時の欧米列強の仲間入りをするべく、遅れてやってきた日本が講じた苦肉の策だったわけである。神の国であるこの日本のために死ねば、英霊として永遠に天子様のおそばに居ることができ、これは大変幸福なことであり名誉なことでもある、と当時、東京に全国戦死者の遺族を国費で招待して、明治天皇自らが祭主となり戦死者の功績を褒め讃え、その魂を顕彰する勅語を下すことから始まった。それ以後も戦死者とその遺族に最大の栄誉を与え、戦死することを幸福と感じさせることに成功し続けたのである。戦死者を出した遺族の悲しみの感情を喜びの感情に変えてしまう「感情の錬金術」、これこそが靖国信仰を成立させていたのだ。そしていくらでも国のために喜んで死んでいく若者を生産できたのである。それによって遅れてきたこの日本が欧米列強に引けをとらなくなったわけで、このことは歴史を紐解けば一目瞭然である。
 その中で欧米から異様に恐れられた「特攻隊」という戦術も、靖国信仰に洗脳された我々日本人は当時苦もなく受け入れたわけである。逆にそういう死に方をすることこそ他の何よりも最大の栄誉であり、最大の幸福と感じられたのではないだろうか。
 ここで当たり前のことを言う。特攻隊は自爆テロである。このことは誰もがすでに気づいていたはずだ。アルカイダがリードする「イスラム原理主義」のなかに必ずこの靖国信仰に似た「感情の錬金術」があるはずである。神のために死ねばあの世でそれは最上の待遇が待っているのだろう。遺族にも特別な計らいが何かあるはずだ。それがあるため彼らは喜んで自らを爆弾と化して飛び込んでいくのである。特攻隊と全く同一である。そしてイスラム原理主義と靖国信仰はこの点においてこれも全く同一である。ここに論理の飛躍は一切ない。在るのは論理の転換だけである。多くの健全なイスラム教徒はイスラム原理主義をもちろん擁護しない。彼らを狂人扱いするだけだ。一緒にしないでくれ、と迷惑そうに言うだけだ。
 翻って日本ではどうだろう。天皇制を奉じる普通の健全な日本人が靖国も奉じるのである。それは普通のイスラム教徒がアルカイダに同調するのとなんら変わりはない。だが我々は靖国の原理を否定しようともしない。それどころか二度と過ちを起こすまい、と誓って靖国に参る。だが靖国こそがその過ちの張本人である。こんな矛盾があるだろうか。靖国は戦争のための装置である。その靖国で不戦の誓いをたてることに矛盾を感じないことがいったい何を意味しているのか、いい加減気づくべきだろう。明治の富国強兵の一環であり、当時の情勢から植民地政策をせざるを得なかったとはいえ、もういいのではないか、靖国は。過去のものとして、当時それを信じた不幸な遺族のためだけに存続していくだけで。僕自身は彼らには心から同情する。それこそ深い哀悼の念を禁じえない、戦没者にもその遺族の方たちにも。

 アルカイダの自爆テロを異教徒の信じられない蛮行として我々は捉えるが、靖国を信じる人ならおそらく深く理解できるはずである。しかも相手は同じアメリカなのだ。理解できないと言うのならそれは靖国の本質を何も理解せずに、靖国を信奉しているからにすぎない。まず靖国を理解することだ。そしてそこからしか今もう日本人は始まらないだろう。天皇制を肯定するのも否定するのももちろん個人の自由だが、それらはすべてそれからあとである。
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コメント
この記事へのコメント
TBありがとうございました
TBありがとうございました。私は最近の右傾化にとても危機感を感じている40代の専業主婦です。あなたの靖国に対する考え方、とても共感を覚えました。リベラルな人がいるのだとほっとしたところです。あの太平洋戦争での日本の敗戦、どうしてそこから教訓を学ばないのでしょうか。二度と、国のために死ぬ状況を作ってはいけないと思います。国民一人一人のための国家が、いまは逆になっていますよね。悲しいです。少なくとも、私は、子どもを産まなかったので、国に奉げる子どもがいないというのを誇りに思っています。何でも非国民として少数の意見を無視するのは、戦前と同じようではないかしら・・・。
2005/08/19(金) 08:42:08 | URL | 黒二毛 #-[ 編集]
コメントありがとうございます。
ぼくもいろいろとあなたのブログに共感しています。ちょくちょく寄らして貰おうと思っています。

でも戦前と同じようなことはまず起こらないと思います。それはどういうことかといいますと、戦前と同じようになってはいけないと念じていても、全く違う方角で悪い傾向になっていくような気がするからです。

でも、あなたのおっしゃるとおり、まず教育が大事ですね。「作る会」の教科書だけは絶対にごめんです。杉並区はいったい何を考えているのでしょう。しかもこんなに大事なことを何故あんな少人数で決めるのでしょうか。
2005/08/19(金) 20:34:46 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
気になるのですが
>ここで当たり前のことを言う。特攻隊は自爆テロである。このことは誰もがすでに気づいていたはずだ。

当然のことを言うようですが、というのは右寄りの意見として当然のことと認識されるでしょうが、特攻と自爆テロは違います。
国のために、などの何かのためにという感情は同じかもしれませんが、特攻の対象は軍人です。場所は戦場で、殺し合いが自然な、異常な場です。互いが互いを殺そうとしており、死を覚悟しています。
自爆テロの対象は民間人のことが多いです。軍人を狙うよりも死人が多く出るし警戒もされないからでしょう。その被害者たちは人殺しが異常である自然な場に生きていて、別段原理主義者を殺そうともしていないし死を覚悟して普段の生活をしているわけではありません。
よってイスラム原理主義と靖国神社はこの点において全く異なります。ここに論理の飛躍は一切ありません。
あなたの記事には確かに論理の飛躍はありませんが、逆に一部しか見ていません。それに自らの命を懸けてでも何かを守るという事自体はなんら卑下されることではないと思います。

それと確かにイスラム教徒らは同じ宗教の信者でありながら彼らを擁護しません。それは、自爆テロの犯人はイスラム教の明白な敵を標的にしているわけではないからです。少なくとも擁護しない人々にとって、過激派のターゲットはイスラム教の敵ではありません。彼らをほっといてもイスラム教が滅びるということはないでしょう。
ただし原理主義者にとっては標的はイスラム教の敵で、ほうっておけばイスラムが危機に陥ると信じているでしょうが。
特攻も同じです。連合国をほうっておけば日本が滅びると、国も国民も兵士も信じていました。だから命を投げ打って特攻をしたのです。それに対して国民は感謝の念を抱きました。靖国はそうした愛国の士を祀る場所でもあるのです。
だから我々は靖国を否定しません。彼らを死なせてしまった過ちを繰り返さぬように、あるいは我々の国のために戦ってくれた方々に感謝の意を表するために参拝するのです。どこに矛盾があるのでしょうか。
2005/08/20(土) 21:22:36 | URL | 東祇清司 #qB3obzLE[ 編集]
東祇清司さん、丁寧な反論ありがとうございます。
申し訳ないですが、昨日今日と泊り込みでほとんど寝てなくて、今帰ってきたばかりで、頭がぼーっとしているので、今日は勘弁してください。明日以降必ず書き込みますので。
2005/08/21(日) 21:55:07 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
お待たせしました
東祇さん、返信のほう遅れてしまいました。

まずあなたのブログを拝見しましたが、驚きましたね、19歳とは。落ち着いた明晰な文章からすると十分30代ぐらいに思えました。自分自身の19才のときを考えると、恥ずかしい限りです。

さて、納得することもあれば、反論もあります。

>自らの命を懸けてでも何かを守るという事自体はなんら卑下されることではないと思います。

もちろんです。おっしゃるとおりです。自分自身を犠牲にするという行為ほど、人間にとって尊いことはありません。しかも自分の命まで犠牲にしたのです。この行為自体は我々は永遠に敬うべきでしょう。そしてそのために靖国は永遠に在るべきなのです。もし僕も東京へ行く機会があればぜひ靖国神社へ参って、彼ら特攻隊を含めた戦没者のために祈りたいと思います。僕は参拝するなとは一度も言っていません。反論する前にもう一度全体をよく読んでいただきたい。僕が非難しているのは、靖国へ参拝することそのものではなく、そういった純朴な日本人の心情を戦争という大罪に利用したかつての旧日本軍部のやり口です。国のために犠牲になるということほど尊いことはないと国民に吹き込んで若者を戦場へ送り込んだのです。その経緯はこのブログの記事本文の最初のほうに書いてあります。きな臭くなってきた昨今の世界情勢の中で、自衛隊の海外派遣などがこれからも盛んになるだろうし、そのときのために靖国を復活させるのではないか、という懸念から、靖国というシステムと政治が切り離されることを望んでこのブログ記事を書いたのです。政教分離が民主主義の基本原理です。靖国はあくまで宗教です。この靖国に日本の首相が参拝してしまうと、もはや政教分離ではなくなってしまうでしょう。また靖国というシステムと政治が結託するのではないかと、恐れられても仕方がないと思います。これは近隣諸国の眼から見てではなく、日本人として思うのです。靖国はあくまで国内問題です。他の国から言われてでは決してありません。ただこの問題を考える機会を与えてはくれましたが。

>特攻と自爆テロは違います。国のために、などの何かのためにという感情は同じかもしれませんが、特攻の対象は軍人です。場所は戦場で、殺し合いが自然な、異常な場です。互いが互いを殺そうとしており、死を覚悟しています。自爆テロの対象は民間人のことが多いです。軍人を狙うよりも死人が多く出るし警戒もされないからでしょう。

これは単に戦法と環境の違いではないでしょうか。当時鬼畜米英と恐れられて、憎まれていましたから、もし近くにアメリカ人が住んでいたらそこを狙ったかもしれません。もちろんその場合特攻隊という非効率な戦法ではなく空軍による爆撃になるでしょうけど。つまりゼロ戦ですね。当時の状況を考えればやったと思います。戦争というものは追い詰められるとルールはどこも守りません。しかし日本の海域はすべて米軍に押さえられていて、ハワイや西海岸へ攻めていきたくても、全く絶望的なほど無理な状態です。そこを突破するために特攻隊という戦法が出てきたのでしょう。それと当時の戦争と今の戦争は全く質的に違うところがあります。今は安全保障という名の下にもう戦争は始まっているわけです。もうすでに世界中がこの安全保障の網の中にあるわけで、だからアルカイダはすでに相当追い詰められていて、身動きが取れないのでしょう。それで手段を選ばず効果的な方法を考えたのだと思います。しかしあなたの言われるとおり民族的な違いはあるかもしれません。アラブ人と東洋人、どちらが穏やかかというとそれは東洋人のほうが穏やかでしょう。そしてその中でも何を隠そう我々日本人が一番に穏やかなわけです。それは大陸と違って、民族的な軋轢が歴史的にあまりなかったからです。だから日本人がああいうアルカイダ方式をするとは僕も思えません。だから僕がここで言いたかったことは、宗教を利用して、若者を犠牲にさせ戦争を少しでも有利に運ぼうという政教一致の全体主義において、アルカイダと靖国を利用した旧日本軍部は同一であると言いたかったのです。言葉が足りなかったかもしれませんが。でも言ったと思います。論理の転換はあると。
2005/08/22(月) 21:13:54 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
19なのです
見た目は30代のはずです。ヒゲ生やしましたから。

>僕は参拝するなとは一度も言っていません

俺も多分参拝するなという意見は間違っているとは書いていないと思います。

>そういった純朴な日本人の心情を戦争という大罪に利用したかつての旧日本軍部のやり口です

なんだか悪いことのようですが・・・いやまぁ、悪いことなのかな。
昔から死を恐れない兵士は勇敢な兵士として賞賛の対象でした。それは外国、あるいは敵国からも賞賛される存在だったのです。国家たるもの兵士の錬度は当然ながらそうした精神を育成することも「強力な軍隊」を作る手段だったのではないでしょうか。それは逆に兵士の被害を減らすこととなり、結果的には兵士の命を助けたと思うのです。
こういう話になると軍略の世界ですが、ナポレオンの仕官学校時代の有名な話で、上級生と下級生が雪合戦をしていました。上級生のほうが人数も多く、下級生が負けると思われました。しかしナポレオンは下級生が勝つといい、果たしてそのとおりになったのです。
上級生は下級生が相手で、しかも自分たちが大勢だからと油断をしていました。しかし下級生は上級生が相手、しかも自分たちは少人数だから必死で戦い、結果として勝利を収めたのです。
戦争において重要なのは兵士の数、質、士気の三つであり、この中のどれか一つが欠けても勝利は得がたいのです。勝利が得られないということはつまり敗北、負ければ多くの兵士の命が奪われるので、士気を高める、死を恐れない兵士を作るということは結局兵士の命を大切にする政策だったと考えます。

>もし近くにアメリカ人が住んでいたらそこを狙ったかもしれません。

そこは戦争なので、一応国民を交換することになっています。ジュネーヴ協定か何かで。まぁアメリカ人は在米日本人を必ずしも帰国させなかったのか、彼らがそう望んだのか、収容所に入れたようですけどね。日本がどうだったのかはちょっと知りませんが、聞いたことはありません。つまり環境の違いというのは重要な要素なのです。日本で打ち水をするのと砂漠地帯でそれをするのとは全く異なるようなもんです。
・・・あんまりいい例えじゃないですが、要するに環境の違いはかなり決定的な違いなのです。

>もちろんその場合特攻隊という非効率な戦法ではなく空軍による爆撃になるでしょうけど。つまりゼロ戦ですね

これは全然関係ない話ですけど、陸上なら一式陸攻とかの類で、空母から出るなら九九艦爆とかの、要するに爆撃機を使うと思います。ゼロ戦はあくまで戦闘機ですから。

>戦争というものは追い詰められるとルールはどこも守りません

追い詰められなくても中国は守りませんし、欧米諸国も最初やられた鬱憤があって勝ってる時もあまり守っていなかったようですがね。まぁ平時でも犯罪は起きますから、戦争中にも犯罪は起きるわけです。

>しかし日本の海域はすべて米軍に押さえられていて、(略)そこを突破するために特攻隊という戦法が出てきたのでしょう

確かこれを発案したのは海軍の将校で、圧倒的な劣勢状態にあったどこかの海戦でこの戦法を用い、勝ったというか撃退したというか、どうにかしたんだったと思います。彼自身かなり悩んだのでしょうが、前例を見てあちこちで真似られ始め、最終的に「戦術」とされたもののようです。

>今は安全保障という名の下にもう戦争は始まっているわけです

どういう意味か計りかねますが、まぁテロリストとの関係においては常に戦争状況なのかもしれません。

>宗教を利用して、若者を犠牲にさせ戦争を少しでも有利に運ぼうという政教一致の全体主義において、アルカイダと靖国を利用した旧日本軍部は同一であると言いたかったのです

政教分離というあれは、なんだか為政者はみな無神論者じゃなくてはいけないかのようですが、そうではありません。政教分離とは、「特定の宗派や宗教の意思と政治的行為の分離」です。
例えばアメリカの大統領もイギリスも・・・というか欧米諸国全員キリスト教徒だと思いますが、そこは信教の自由で保障されているわけです。為政者だからといって自分の宗教を捨てる必要があるわけではありません。
ところで靖国神社が「宗教施設」になったのは戦後です。戦前なんだったのか知りませんが、少なくともあの施設は元々戦死者を祭るためだけの施設であったはずです。
ま、結局思想は似たようなもんでしょうがね。

テロリストがどんな心境でやっているのか知りませんが、特攻は「守るため」のものであり、テロは「壊すため」のものであると思うのですが。つまり・・・イメージですが、強盗にあったとします。強盗に狙われる破目になった理由はさておき、すんなり金を渡した相手と抵抗した相手、強盗が何かの理由で二度目に狙うとしたらどちらでしょう?勿論抵抗した本人が存命の場合ですが。通常無抵抗だったほうですよね?「ちょろい野郎だ」ってんで二度でも三度でも狙うと思います。現にアヘン戦争あたりの中国がそうでした。ロクに戦いもせずへーこらしていて列強につけこまれたのです。
日本軍部はそれを恐れました。最終的に乱命・・・変な命令になったわけですが、最初から宗教のために死んで来いというテロリストとは違います。勝てば当然生きて帰すつもりだったのですから。

テロリストは為政者、もしくはどこかの国が気に入らないからテロという手段を用いて「攻撃」するのです。思想は自由なのだから彼らはテロさえしなければ標的としている国々に攻撃される気遣いはないのですから。ましてや民間人に狙われるわけではないのです。アルカイダはそれでいながら、普通にしていれば命の危機がない人をテロに差し向けます。しかも死ぬことを前提で。この点においてやはりテロリストのような連中とは異なると思うのです

生まれて初めてSLに乗ってきた帰りで疲れてるのでどっかしら微妙なこと書いてるかもしれませんが、そのときはご指摘ください。
2005/08/24(水) 04:00:55 | URL | 東祇清司 #qB3obzLE[ 編集]
窮鼠猫を咬む
なるほど、いろいろとうなずいてしまいます。

ぼくは実際に戦争が起こったときの戦略的なことに関しては全くの素人です。いい加減なことを言ったようでごめんなさい。どうすれば戦争が起こらなくてすむか、そればかり考えていますから。だって戦争は誰だっていやですからね。できたら起こらないほうがいい。そしてまだまだ起こさずにすむ可能性はいくらでもあるわけですから。

>ところで靖国神社が「宗教施設」になったのは戦後です。戦前なんだったのか知りませんが、少なくともあの施設は元々戦死者を祭るためだけの施設であったはずです。

これは実は微妙な問題らしいです。僕から見れば、天皇崇拝という当時の日本人なら誰もが引き受ける信仰を利用した埋葬施設ですね。そして靖国はこの皇室信仰を利用してやすやすと国民全体の信仰を勝ち得たのです。そしてありもしない幻を国民に信じ込ませたのですから、これはもう立派な宗教でしょう。

>政教分離というあれは、なんだか為政者はみな無神論者じゃなくてはいけないかのようですが、そうではありません。政教分離とは、「特定の宗派や宗教の意思と政治的行為の分離」です。

そうです。調べてはいませんが、おそらく小泉さんも仏教徒か何かでしょう。自分の宗教をもちろん棄ててはいないはずです。この場合論点になるとしたら小泉さんが熱心な靖国信者の場合です。この場合は難しいと思います。しかし戦前靖国と政治が密接に結びついていたことを考えると、あなたの言う「特定の宗派や宗教の意思と政治的行為の分離」に反してきます。つまり靖国の歴史を考えれば靖国信者であるというだけで、もうすでに国家元首である資格を欠いていると思うのです。

特攻隊と自爆テロの比較です。
一本一本の木も大事ですが、一度森を見てみましょう。
アルカイダを支持する人たちとアメリカの背後には何があるでしょう。圧倒的な経済格差があります。今世界経済は完全にグローバル化されています。たとえば昔の日本経済を考えればここまでグローバル化されていなかったと思うのです。日本の中で富むものと富まざるものがいました。つまり搾取する側と搾取される側がいたわけです。資本主義経済はこの両者がいてはじめて成り立ちます。つまりブルジョワジーとプロレタリアートですね。戦前そういうのがあったでしょう。しかし今は聞きません。それは今のグローバル化された経済環境においては、この搾取する側と搾取される側の関係は国対国の関係になってきているからです。もちろんこれはかなり大雑把に言っているでしょうけれど。ついでに言わしてもらえれば日本人は今全員が搾取する側と言ってもいいわけです。経済的に成功している欧米諸国は皆そうです。中国はこれからこちら側に回ってくるでしょう。サウジなど一部の石油立国を除いたアラブ諸国やアフリカ諸国、南アジアや中南米などは圧倒的に搾取される側です。あのニューヨークの同時多発テロはこれら搾取されどおしの側から起こした戦争なわけです。彼らはすでに相当追い詰められています。なぜなら我々が搾取するからです。怒りは搾取する側に当然向かいます。そして宗教なり民族なりに寄って団結します。そして戦争でも起こして少しでも自分の生活環境を改善しようと図るのです。人間というものは古くからこんなことを繰り返してきました。他に方法がないからです。しかし今、我々搾取する側はその経済力と技術力にものを言わせて圧倒的な安全保障を仕掛けてきます。もはや昔のように普通に戦争を起こしても絶対に勝ち目はありません。だからあんな事が起こったのです。窮鼠猫を咬むです。当然怒るべくしてあれは起こったのでしょうし、これからも起こり続けるでしょう。だからその意味において僕はテロを否定しません。ただやってほしくないと願うだけです。同じように特攻隊も僕は否定しません。彼らもつまりかつての日本も窮鼠猫を咬む、をやったわけですから。仕方なかったのです。他になかったのです。自分たちの生活を守るためなのです。アルカイダという組織はそういった人たちの支持があって始めて成り立っているのです。アルカイダが勝手に面白がってやっているわけではありません。アルカイダは彼ら支持者の意を汲み、どうやったら戦争を仕掛けられるかを考えて実行する専門機関にすぎないのです。
こういった背景から考えて特攻隊と自爆テロは同一だと主張します。

日本人のやることすべてが正しいわけではありません。もちろん左翼の連中が言うようにすべてが間違っているわけでもありません。結局人間みな同じことをやるのです。宗教や民族によって微妙にニュアンスが違うだけなのです。我々は日本人である前に人間です。日本人は良いところもあれば悪いところもあります。人間がそうであるように。僕はそのことをできる限り素直に認めたいと思うのです。難しいことですが。

以上僕も不勉強を恥じずに書いているところもあります。でもあなたは本当にまじめにこういったことを考えておられるようで、こっちも真剣に答えなければと感じ入ります。そして結果こちらも勉強になっていますね。
2005/08/24(水) 22:34:44 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
テロというとなんとなく聞こえが悪いですけど
その「聞こえの悪さ」というのは民間人を標的にしているから、という点だけからくるのかもしれませんね。

>ぼくは実際に戦争が起こったときの戦略的なことに関しては全くの素人です。いい加減なことを言ったようでごめんなさい

いえいえ。俺が詳しすぎるというか標準でないというか、そんなんですから。それに本題とはあまり関係がないですし。

>どうすれば戦争が起こらなくてすむか、そればかり考えていますから。だって戦争は誰だっていやですからね

そうですね。俺などはカッコが重要なので、戦争は他人事である限りはカッコいいことなのです。だからそういうことに詳しいという面がありますね。
そして他人事でなくなったとき、戦争というのはまったくもってないに越したことはないわけですよね。
感情的にも、同じ国の人間が死ぬのはいい気分ではありませんし、自分が死ぬかもしれませんし。
物理的にも、兵士の装備というのは存外高く、若者が死ぬため国家の発展を妨げます。
やはり戦争はないほうがいいですが、やはり仕方ない戦争があるというのも事実ではあります。世界が一つの合衆国か何かになれればいいのですけどね。EUのように。

>戦前靖国と政治が密接に結びついていたことを考えると、あなたの言う「特定の宗派や宗教の意思と政治的行為の分離」に反してきます。

まぁこの場合当時の日本に政教分離があったのかが・・・

>靖国の歴史を考えれば靖国信者であるというだけで、もうすでに国家元首である資格を欠いていると思うのです

うーん。どんなもんでしょう。そもそも神道に特定の政治的意思はないですし、それに信者というものが存在するのかどうか・・・。それに政教分離とはいえどこかの宗教施設に参拝くらいはしてもいいと思いますが。

で、特攻隊と自爆テロの比較ですが・・・
たしかに彼らの社会は搾取されるという状況でしょうね。かつての植民地のように直接的な搾取ではないにせよ、立場はにたようなものでしょう。
ということで状況を植民地と、そこを支配している国に縮小して置き換えてみると・・・
日本は、かつての侍のような気風があったのでどこかに支配されるということはなかったですし、アメリカの占領統治も植民地という風ではなかったので経験がないですが、インドなどの話から想像すると、自爆テロは抵抗運動、レジスタンスの類といえそうです。一つ前の記事で言ったように何もしなければ連中に命を狙われることはないわけです。しかしその場合ずっと「生かさず殺さず」状態におかれるわけですよね。「生きて虜囚の辱めを受けず」ではありませんが、やはりそうなれば効果のいかんはともかくとして何らかの行動を起こすべきだと、自分の場合だとしてもそう思います。そしてその場合の対象は民間人だろうが軍人だろうがお構いなしであるのも理解ができますね・・・とすると彼らの行為は正しいということか・・・。感情的には悪だと思うのは、こちらが搾取する側だから、ということなのでしょうかね。人は物事を客観的には見られないものですね・・・・。これでも客観的に物事を見る努力はしているつもりなのですが。
となると特攻隊の精神と自爆テロリストの精神には似通ったものがあるかもしれません。考えてみればテロがあったからこそ我々はイスラム教徒の立場、というものを考え始めたのですからね。

ただ、やはり感情論のようですが、民間人は狙ってほしくないです。特攻隊も、民間人が狙える状況だったとしても民間人は狙わなかった・・・と・・・思いますし・・・ (´・ω・`)
・・・・狙ったかもなぁ・・・

テロと特攻は結局、状況の違いぐらいしか差のない行為なのかもしれませんね。こちらにもテロ=悪、特攻=美談という固定概念があったかもしれません。
2005/08/25(木) 06:23:11 | URL | 東祇清司 #qB3obzLE[ 編集]
2種類のナショナリズム
いろいろとありがとうございます。

>ただ、やはり感情論のようですが、民間人は狙ってほしくないです。特攻隊も、民間人が狙える状況だったとしても民間人は狙わなかった・・・と・・・思いますし・・・ (´・ω・`)
・・・・狙ったかもなぁ・・・

僕も特攻隊は民間人を狙わなかったろうと思います。ではなぜ特攻隊を自爆テロと同じと言ったのかといいますと、それは戦争を美化してほしくないからです。戦争を美化することによって、偏狭なナショナリズムを煽り、民族的に閉じこもっていくのが僕には耐えられないのです。その戦争の美化の象徴が特攻隊でしょう。だから噛み付いたのです。8月7日の記事にも書きましたが、ナショナリズムには2種類あります。まず自分の国を誇りに思うあるいは好きだと言える「健全なナショナリズム」。これはあなたですね。これはすばらしいことです。そして何より幸せなことなのです、国家にとっても国民にとっても。しかしそれが高じると、自分の国が世界で一番で他はみんなクズだと思う偏狭な「ウルトラナショナリズム」に変化します。たとえば戦前の日本や今の中国、アメリカでしょうか。この二つのナショナリズムの差は実は微妙です。国旗国歌法制化以来ぼくはこの二つのナショナリズムの境界線を見つめてきました。徐々にウルトラナショナリズムのほうに振れてきていると感じているのは僕だけでしょうか。そして産経新聞などを中心に「先の戦争は間違っていなかったんだ」ということを吹聴し、反日運動などで傷つけられた民族心情を癒そうとするのです。彼らはこういった排他的な方向で国体を固めて対外防衛を図ろうとしているのでしょうか。人と人との関係でもお互いが相手の個性を認めて初めて人間関係が出来上がります。俺様が一番だと思っている人に友達はできないでしょう。国と国との間でもお互いの国の歴史や文化を認め合ってこそ、初めて国際関係が成り立つのです。そこで初めて世界から認められ、世界と友好関係が生じるのです。日本はそういう国になれる国だと誇りを持って思っているのですが。今は難しい時期のようです。

>人は物事を客観的には見られないものですね・・・・。これでも客観的に物事を見る努力はしているつもりなのですが。

あなたの文章を最初読んだときから、客観思考への意志を強く感じました。だからこそあなたの言うことに真剣に耳を傾けてきたのです。あなたが単純な右翼なら無視するか削除するかしていました。客観的に物事を見よう、という意志があるだけであなたは大丈夫でしょう。これがなかなかできない人が世の中多いのです。右翼然り左翼然りです。彼らは人の意見など聞こうとしません。自分が絶対正しいと思い込んでいます。
僕もあなたのコメントに答えるだけで相当いろいろなことを考えました。勉強になりましたね。この方面まだまだ書きたいことがたくさんありそうです。でもそれはちょっと先になるでしょう。僕は実はあまり政治ネタは得意ではないのです。それではまた。
2005/08/25(木) 20:52:05 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
valziekというハンドルネームの男
はじめまして、たかしと申します。
現在「ザ・のじじズム」というサイト上でvalziekというハンドルネームの男が面白いことになっています。皆さん是非見に来てください。
http://blog.nojijizm.jp/archives/50388598.html#comments



2006/02/11(土) 11:26:18 | URL | たかし #-[ 編集]
しかしてその別名は東祇清司
いい忘れましたがvalziekの別名は東祇清司さんです。
2006/02/11(土) 12:59:48 | URL | たかし #-[ 編集]
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朝日新聞『論壇時評』(05/07/28)で金子勝氏が「靖国論争と天皇制」について、様々な立場の人たちの論評を比較している。
2005/08/20(土) 12:28:12 | nanayaのひとりごと
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