叛乱が起こるとすれば
いつも人の短歌ばかり褒めているので、たまには自分の短歌で文章を書こうと思う。(笑)

・叛乱が起こるとすれば銀製の奴から八つ裂きにされるだろう

この短歌は3年ほど前だったろうか、大阪の秋葉原こと日本橋の電気街の裏通りを歩いているとき、ホームレスの人のねぐらのあまりの多さに驚いてしまい、よく叛乱が起こらないな、なんてことを思っていると、なぜか勝手に短歌モードになっていて、まず「叛乱が起こるとすれば」まで出来てしまったのだ。それから上新電機でプリンターのインクを買って、当時ほしかったデジカメのコーナーを通りかかったとき、銀色のイクシがいいなぁ、なんて思い手に取っているとき、もうそれで「叛乱が起こるとすれば銀製の奴から八つ裂きにされるだろう」と出来てしまっていた。当時は短歌を始めたばっかりで、こんなふうに簡単に短歌が出来てしまうこともときにはあった。(今はない)

さてここから二日前、秋葉原で起こった、通り魔事件のことになる。

メディアによると容疑者はどうも劣等感のかたまりだったようだ。自分以外は全員が勝ち組に見えたらしいから、相当な劣等感である。昔ならこういう経済的に追い詰められたルサンチマンは、徒党を組んでストライキなり叛乱なり革命なり、もっと前なら一揆なりを起しただろう。それは当たっていくべき敵がはっきりとあったからだ。必ずそれは資本家サイドが悪いのである。誰でもがわかる明快な論理であり、判官贔屓もこれと似た心情から生まれる。
だが今は、この完全グローバル化された世界において、あらゆるところで自動化がまだまだ押しすすめられていく世界において、つまりグローバル化により競争が激化すると共に、自動化により人間のやるべきことがどんどんなくなっていく時代において、どこに敵が存在しているのかわからなくなっていて、どこに憤懣をぶつけてよいのか途方に暮れるしかないのだろう。冷静に考えれば考えるほど我々一人一人が加害者であり被害者となって見えてくる。あるいは加害者も被害者も世界中に細切れに分散されていて、見えなくなっている。こんな時代でも何が起こってもなおも資本家のみのせいにする、近代から抜けきらない人にはわからないだろうが、おそらく。わかりっこない。そういう時代遅れのリベラリストはもううんざりである。

こんな時代に追い詰められたものは、まずネットに籠もるのだろう。特に2ちゃんねるか。2ちゃんねるもそういう意味において捌け口としての機能をはたしているので、これはこれで存続していってほしいものだ。どうせここで書かれていることは誰も信じないだろうし。存在してかまわないのではないか。でも時に捌け口を自分のブログやmixiに求める人がいるが、それも実名を書いたりして、そうなると大変な騒ぎになるので、そういう人は2ちゃんねるに書けばいいのである。実名でもなんでも書けばいいのである。何度も言うように、2チャンネルに書かれたことは書いた本人たちもだれも信じていないわけで、つまり何を書いてもいいのではないだろうか。2ちゃんねるは便所と同じなのだから、絶対に必要なのだ。

しかしネットでも満足されない孤独なルサンチマンは、自死を選ぶか、今度のように無差別殺人に行き着くのだろうか。今度のように自分以外の全員が銀製に輝いてみえる人にとっての叛乱はこういうことになるのだろうか。それとも同志で団結して、知恵を出し合い、たとえば秋葉原だけでなく、東京そのものを破壊しようとするようになるのだろうか。かつてのオーム真理教のように。

と、ここまで来て最後にどうしてもある短歌で終わりたくなった。何もこの歌人ばかりを褒めたいわけではない。自然と口をついて出てきたのだから仕方ない。

・真夜中に剥がれる皮のなめらかに環状線を離れて迷う
  加藤治郎『環状線のモンスター』(2006年刊)

わかっているつもりがわかっていなかったようだ。ここに来て初めて〈環状線〉の意味がわかったような気がした。〈環状線〉とはそれは我々が回るべき日常のことなのだ。その日常を回れなくなり離れて迷いだしたとき、人はモンスターとなることがあるのだろう。そんなモンスターがこれからも続々と出現してくるに違いない。

(今日は僕だけのつもりが結局、加藤治郎さんとのコラボとなってしまいました。)
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