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詩と短歌の狭間で
短歌と詩の両方を見ていると、いろいろと見えてきて面白いものがある。

僕個人は20代前半にいわゆる戦後詩に熱中し、谷川や黒田、鮎川などを読み、気に入ったのは暗唱して、退屈な授業中でも講師の顔を見ながら(つまり授業を聞いているふりをして)頭の中で復唱して楽しんだりもしたものだ。ノートに自作の詩を書いたりもしたが、それは誰に見せるでもない自分だけの詩だった。

そして20代後半に俵万智の『サラダ記念日』の影響で短歌を少し作ったりもしたが、これも誰に見せるわけでもなく自分のためだけの短歌だった。30歳前後は写真に熱中し、35歳から俳句を始めて、このあたりから他人に作品を見せる面白さを体験し始める。結社にも入会し、あちこち句会に行って様々な人と知り合うのが無上の喜びだった。

45歳から短歌の世界に入り、ちゃんと結社にも入り、行き当たりばったりだが一応勉学に励んでいる。それが短歌に行き詰ったのかどうか、50歳を過ぎた今年にはいって、かつて少しなじんだ現代詩の世界が気になり始めていた。そんなときにタイムリーに彦坂美喜子さんから神戸の現代詩セミナーに誘われ、思い切って行ったわけである。しかし何にも知らずに行くのはつまらないだろうということで、丁度発刊された『びーぐる創刊号』を取り寄せ、予習がてら読んでいたら、安川奈緒の詩に行き当たり、今の詩はこんなにすごいのか、と衝撃を受けたわけなのだが、この地点で自分が詩の世界に帰ってきた浦島太郎だとは全く気がついていなかった。現代詩セミナーで様々な詩の文脈に触れ、批評を聞き、そしてそこで仕入れた藤原安紀子という名前をメモし、その詩集『フォ ト ン』をその場でなんとなく衝動買いしたのだが、それを帰ってから一週間ほどしてから読んで、かなりの衝撃を受けてしまった。

最初、文節がずたずたにされた文体に戸惑ったが、読み進めていくうちに慣れてしまい嵌ってしまった。気がつけば全部一気に読んでいた。そして自分の頭の中で何かがはじける感じがした。そして自分が詩の世界に25年ぶりに帰ってきた浦島太郎なのだということに気づかされた。詩の文体はここまで変わり果てていたのである。ほとんど日本語が壊れる寸前での優雅な綱渡りのように言葉が奔放に展開される。いやもう壊れてしまっているのかもしれない。おそらくこの詩集と同時に読んでぼくが少し衝撃を受けたキキダダマママキキも、そしてあの安川も、この藤原安紀子の影響を受けているのではないだろうか、と自分では思う。何か藤原のところで詩の言葉が地すべり的に変化しているように思うのだ。

かつて短歌ではライトヴァースと呼ばれた口語を基調とする一群の歌人のところで、従来の文語を基調とする短歌とは隔絶した変化を見せた。ライトヴァース以前と以後の歌人同士ではコミュニケーションすら出来なくなるぐらいの変化だった。それと同じような地すべり的変化が今詩の世界で起こっているのだろうか。もし起こっているのならその発端はどこか。藤原なのかもっと他にいるのか、あるいは短歌のように同時多発的だったのか、それを知りたいが、なかなか知るすべを持たない。

とにかくぼくは浦島太郎だった。変わり果てた現実の言葉の世界に呆然とするしかなかった。俳句や短歌の世界にいたことが、じつは竜宮城にいたのだと思い知らされた。そこでは韻律に守られた言葉が鯛や平目のように優雅に舞い、なんの危惧することもなく日々を楽しく過ごせたのである。

しかし韻律の恩恵が一切無い現実の詩の言葉の世界に放り出された浦島太郎は、その寒々とした光景に震えるより他になく、また竜宮上に舞い戻ろうというわけである。だがまた戻れるのかどうかの保障はもちろん無い。

ただ一つ僕がわからないことは、いつ亀を助けたのか、ということである。全く記憶に無いのだが、ぼくは竜宮上に連れ去られて15年は居たことになる。また乙姫様にも会いたいものだし。
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