OSの変化
「新彗星2号」の穂村弘vs加藤治郎の対談を読んでいて、お二人から様々な示唆を受けた。ざっと短歌史の流れがつかめるのがとても勉強になる。

その中で、穂村さんの「OSの変化」という発言は確か前も聞いたけど、「短歌の友人」だったか、またあらためて考えさせられた。

これは穂村さんも言っていることなんだろうけど、前衛短歌が起こったときにまずOSが変わったのだろうと。それ以前に近代短歌の起こりに変わっていて。それでライトヴァースのときも変化はあったのだろうけど、それはバージョンが変わっただけだと。つまり今の若い歌人ははっきりとOSが変わってるんじゃないか、っとことで。だから古いOSの我々はもうついていけない、というわけで。う~ん、そうかもしれない、と思わせるだけの説得力はありますね。

一つ面白いのは、現代詩ではほぼ同じ時期に従来の修辞の破壊が行われ、それはOSが変わったような気にさせるぐらいの大変化なわけで。ではなぜ同じ時期に短歌では従来の修辞の解除が起こり、現代詩では修辞が破壊され、再武装が行われたのか。いろいろなことが想像されるが、単に使用期限切れ、と、もう一つ、この社会のすべての信じていた価値が簡単に崩壊し、それまでの言い方では納得できない、というか嘘くさい、というか、詩人や歌人はそこらへん敏感に反応するだろうし。

こういったことは人それぞれ様々な思いがあって議論すると面白いわけで、もっと議論の場があればと思うのだけど。来年の未来大阪大会のシンポジウムは何を議論するのだろう。楽しみである。
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