OSとソフトウェア
また昨日の短歌OSの話の続きだけど、たとえOSが変わったとして、そこに乗るソフトウェアはそんなに変わっていないように思うのだ。

たとえば中田有里。この人の短歌はあの次席に入った20首しか知らないのだけど、「風通し」にもいなかったし、僕は土屋文明の現代女性版というふうに受け止めた。これは褒めすぎかもしれないが、客観的に自分の周囲、つまり社会を見ているわけで、これをアララギというのかどうか知らないが、僕としては共鳴するところの多い歌人だ。

それに対して苦手なのが、社会から遮断して、自分のプライベートな風景だけをだらだらと並べるだけの短歌。これが今までから短歌の世界では最も勢いがあって、圧倒的に多数派を占めているわけである。だから僕が短歌の世界にもう一つなじめない理由がここにあるわけなのだけど。これの新OS版が永井祐であり、宇都宮敦なのではと思ってしまう。だからぼくは彼らを苦手とするわけで、なにも新OSだから苦手なのではないと思っている。でも永井祐のほうがちょっといいかな、という印象はある。というか最近(ここ3日ぐらいで)急に永井祐が気になり始めたことは正直暴露しておく。結構面白い。(なんか悔しいけど)

そして斉藤斎藤。彼は要するに何でもやるのだ。だから僕が大好きなこともやってくれるし大嫌いなこともやってくれる。僕からすれば拍手喝采もあれば大ブーイングもあるわけで、正直、新OSでは最も目が離せない歌人であることは誰もが同意するだろう。

結局、OSが変わったからといって、そんなにたいして何も変わらないわけで。でも何かが微妙に違う、という印象はぬぐえないのだが。
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