スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
ヒラリー・ハーン語録①サブカルチャー
ヒラリー・クリントンでもなくラフガディオ・ハーンでもなく、ヒラリー・ハーンである。
1979年生まれ、ドイツ系アメリカ人のヴァイオリニスト。
とりあえずファンになってしまった。

もちろんその理知的でシャープな演奏に魅入られたのだが、この歳で情けないことにその容貌にも魅入られてしまった。17歳で天才少女としてバッハのCDでデビューした時の、そのジャケット写真のなんと可憐なこと。まるで萩尾望都の漫画から飛び出てきたようだ。
しかしその語録にもなかなかいろんなことを考えさせられる。それを3回か4回に分けて書こうと思う。

まず、あるブログから
「私は確かにアメリカのポップ文化からかけ離れて見えるでしょう。ただ面白いのはアメリカはあらゆる文化が共存しているので、どんな人間も、どこかに属することができるのです。私はボルティモアで育ちロシア人のバイオリンの先生と中国人のピアノの先生につき、両親の方針でテレビを見ないで育ちました。それでもサブカルチャーのどこかで、プライバシーを守って生きていけるわけです」

ここには自分は世界の最高峰の音楽を演奏する有能なヴァイオリニストなのだ、という気負いはどこにもない。それとテレビを見なかった、というのにもちょっと胸キュンです。でも今はアメリカのテレビ番組にはよく出ていて、そこでは結構お茶目で何でもやり、よくも悪くも今時のアメリカ人女性であることを示している。つまり相当愛嬌のある女性なのだ。それで且つ全体としての凛とした風情は類を見ないのだから、これはちょっとファンにならざるを得ないでしょう。

アメリカについてだが、僕も含めて大概の日本人はアメリカの大雑把な文化に辟易している。世界中の様々な文化のモノカルチャー化を先導しているわけで。それは僕がこのブログの「アメリカという文化的遺伝子」でも書いた。しかしそれは外側からの観察にすぎないのであって、内側に入ってみればまた違う様相なのだろう。様々な文化が共存しているから、つまりお互いがお互いを尊重しあっていけるから、どんな人間でもどこかに属することが出来る。それは言ってみれば一つの理想郷である。もちろん実態はそうでもないのだろうけど、単一文化しか許さない日本よりははるかに居心地のよい社会なのだろう。まずお互いのプライバシーを守って生きていけることが最低ラインだ。

それとここで彼女が言っている、サブカルチャー。クラシック音楽は日本ではメインカルチャーのはずだ。軽音楽がサブカルチャーなのであって、あれ、っと思う。つまりありとあらゆるカルチャーがサブカルチャーなのだろうか。日本の識者はメインとサブをはっきり分けて考える。たとえばアニメはサブで、純文学はメイン、というふうに。そして「俺はサブカルにも詳しいんだぜ」と、しきりにアニメの話をする若い文学者が結構多い。そうやって分けて考えることで見えてくることは確かにあるのだけど、僕はこの分けることが大嫌いで、結局全部連続してるんじゃないか、って考える。つながってるんじゃないかと。その意味で全部をサブカルチャーだと考えると、すっとすべてが通ってしまう。質の高いものがメインカルチャーで質の低い大衆的なものがサブカルチャーだと言われても、質の高低は誰が決めるんだ、ってことになるし、そんなこと結局個人の主観だろうし。

それともアメリカではメインストリームになっている文化がはっきりとあって、たとえばハリウッド映画とかブロードウェイミュージカルとかアメフトとか。それに比べて規模が小さいからクラシック音楽はサブカルチャーなのだろうか。要するに儲からないからサブなのか、と。それならそれで客観的な判断だし、これにもすっとする。

まぁどっちにしろ、クラシック音楽はサブカルチャーなのである。これは短歌も同じ。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。