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またまた自己責任
 ハリケーンの被害がまだまだ治まりそうにない。あらゆるアメリカの病巣がこれで抉り出されている感がある。そのなかで去年の日本を思い出したものがあった。またぞろ「自己責任」騒ぎでなのである。
 被災地の救援対応を担当する米連邦緊急事態管理局(FEMA)のマイケル・ブラウン長官は、「避難命令は出したんだから、(自分の意思で)残った住民は自己責任を自覚すべきだ」とCNNテレビで発言した、ということだ。
 今まで聞いた「自己責任」でおそらく一番ひどいものだろう。耳を疑う。議論にもならない次元の低さだ。でも無理やり議論に持っていく。
 すべての人に自分の命を守る「自己責任」は当然あるわけで、それを放棄することは確かに自殺行為である。だがこの場合逃げようにも逃げれなかった人が大多数だろう。その場合にも自己責任を押し付けるのは

貧しさは貧しい奴の自己責任

という路上日記@天六さんのブログに載っていた作者不明のこの傑作川柳の世界になる。(ちなみにこの川柳は反語がちょうど半分混ざっているという点で傑作だと思うのだ)
たとえ搾取することが正当化された社会(たとえばアメリカのような)においても、寅さんじゃないが「これを言っちゃあ終しめぇ」である。おのおのがスーパーマンであるはずもなく、自己責任の枠の中でできることとできないことが誰しもある。それはそれぞれの人で様々に違っていよう。それは一人一人が能力、個性が違うからだ。その自己責任でできないことがあるから社会が必要なのである。その社会の側が「自己責任」を伝家の宝刀のように使っていたのでは、その社会の信用に関わってくるだろう。確かに市民の側も社会に頼ってばかりではいけない。なんでも政府のせいにする人々がいるが、まず自分でできることがあるだろう、と僕はいつも思うのだ。こういう人たちにはこの社会の構成要員が自分たち一人一人だという意識がない。まずお上が在って、自分たちは守ってもらわないと、と常に思っている節がある。お上とは実は自分たちなのである。
 理想的な社会とはおそらく、市民一人一人が自己責任を自覚し、また社会の側は個々の自己責任を把握して、何かこちらにできることはないか、と常に見守るような社会ではないだろうか。お互いがお互いを信頼し合える社会。こんな社会ではおそらく「自己責任」という言葉すらないだろう。こういう言葉が出てくる社会こそ、個人と社会の関係がうまくいっていない社会に違いないはずだ。
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 与党は記録的な勝利。野党は歴史的な惨敗。小選挙区制度の特色だろう。総得票差は議席差ほどでないものの、小選挙区で「51対49」で勝てば議席は獲得できる。一方49のほうは「民意」は反映されない。それが小選挙区の特色。 与党側は「自民・公明」の結束ぶりが
2005/09/12(月) 08:57:52 | blog土佐自由民権新聞
>「(原爆が投下された)六十年前のヒロシマのようだ」。http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050903/mng_____tokuho__000.shtml(東京新聞)先月末に襲った大型ハリケーン「カトリーナ」による被害を目の当たりにした米ミシシッピ州知事は、こう感想を漏らしたそうな。
2005/09/12(月) 11:28:12 | ?ŷ?
Nice to meet you.      このぺーじも、みなさんのコメントやトラックバックにより、   必要に応じて記事内容を更新してゆきます。   なお、トラックバック送信に何らかの誤り等が生じた場合、   とっとと削除してください。          
2005/12/04(日) 23:54:53 | ”Mind Resolve”
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