カンボジアにもゴミの山
野樹かずみさんにフィリピンのゴミの山、スモーキーマウンテンのフリースクール(パアララン・パンタオ)のことを教えてもらっていたが、今日、テレビで「ソロモン流」という番組をたまたま見ていたら、カンボジアのゴミの山をやっていた。ああ、やっぱりあるんだ。これは世界中にあるに違いない、と今日確信した。

カンボジアも野樹さんに教えてもらった状況とやっぱり同じなのだ。
パアララン・パンタオ
パアララン・パンタオのブログ

資本主義の明と暗。まさに我々が消費することによって排出するゴミが世界中から集まったようなゴミの集積地だ。子供たちはここでゴミを拾ってそれを売ったりそのまま食べたりして暮らしている。絶対的な貧困がここにある。我々日本人がギャーギャー騒ぐ格差社会以前の絶対的な貧困である。それは資本主義がもたらした。西欧的な資本主義が浸透しなければ、彼らは自身の文化でもって自足し、他の文化と比較することなく平穏に暮らしていただろう。そこにはゴミを拾って生活するというレベルの貧困は無いはずだ。別の貧困はあったかもしれないが、それはそれで一つの文化として、つまり貧困も一つの独自の文化として成り立ったはずだ。だが我々の西欧的な文化を受け入れざるを得なくなった彼らは、貧困を独自の文化としてではなく、単に貧困として強制されて受け入れるしかなかった。それも我々が捨てたゴミを食う文化として。グローバリゼイションとはこのことでもある。

youtubeの映像
フィリピンのゴミ山
カンボジアのゴミ山


我々はもうこのゴミの山をちゃんと知る義務があるのだろう。グローバリゼイションをちゃんと理解するとはそういうことなのだ、おそらく。

野樹さんが詩人の河津聖恵さんと出版された短歌と詩のコラボ集「christmas mountainわたしたちの路地」にフィリピンのゴミの山のことが詩歌の形で展開されている。ドキュメンタリーや写真なんかではわからない現地の人の息づかいや匂いまで伝わってくる迫真の歌群だ。ぜひご一読ください。

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