またまた自己責任(その2)
 昨日の続きである。昨日の作者不詳の川柳だが、どうも文学というのは誤解されやすいところがあるような気がしてならない。

貧しさは貧しい奴の自己責任

短詩系文学に日ごろ接しておられる方はなんでもないだろうが、そうでない方にはどうも誤解を招きそうな気がして不安になった。この句には反語的表現がちょうど半分含まれている。意味としては字義通り「この自由競争社会において、その人の貧しさは、その人の自己責任であって、社会に責任は無い」という意味になる。これは一面真理である。だから後の半分はこの真理にある。そしてこの強烈な真理を読み手に提示して、もう半分で「これでいいのか」とぐいぐい読み手に迫ってくるのだ。読み手は、本当にそうなのか、そうじゃないのか、考えざるを得ない。本当にそうならどうすればいいのか、ここまで考えさせれ力をこの句に感じる。それは真理と反語がちょうど半分づつだからだ。ちょうど半分づつでお互いが引き合う緊張感が持続し、その緊張感が正に今の時勢にみごとにシンクロしてくるのだ。僕がこの句を傑作だと言ったのはこの点にある。おそらくこの句は無名の人のサラリーマン川柳だろうが、プロの現代川柳作家にも全く引けをとらない、或いはそれを凌駕すらしている気がする。

 もう一度、昨日の僕の文章から引用する。

被災地の救援対応を担当する米連邦緊急事態管理局(FEMA)のマイケル・ブラウン長官は、「避難命令は出したんだから、(自分の意思で)残った住民は自己責任を自覚すべきだ」とCNNテレビで発言した、ということだ。


つまり貧しさゆえにどうやっても逃げられなかった人たちは、その貧しさがその人の自己責任だということにどうしてもなってくる。この発言を実際にそういう人たちが聞いたらどう思うだろうか。今度また避難勧告が出たら、車を持っている人をぶっ殺してでも、車を奪い逃げようと思うだろう。そしてこの行為は今回のこの長官の発言によって正当化されるのである。こうなれば社会は完全に崩壊したも同然だ。個人と社会の関係が全く成り立たなくなる。もちろんこの長官はクビになったが、この発言は彼独自の考えでは決してなく、「貧しさは貧しい奴の自己責任」が大前提のアメリカという国家が思わず彼に言わせただけに過ぎない。謂わばこれがアメリカの本音なのだ。

 民主社会以前の階級社会ならいざ知らず、民主主義をくぐり抜けてきたこの現代において、国家が国民をその経済状態で区別するようになったら、それはもう民主主義の終焉と言ってもいいだろう。或いはそれは民主主義の発展途上に必ず待ち受けている大きな壁に過ぎないのだろうか。そうならば我々はその壁をどうやって乗り越えるのだろうか。
 郵政民営化を掲げた小泉自民党を圧倒的に支持した我々日本も、その壁に向かって突き進んでいることはどうも間違いないようだ。
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コメント
この記事へのコメント
亀コメントすみません^^;)
ご紹介ありがとうございます。

実はその川柳、不詳わたくしのものです^^;)単なる思い付きで…

上の記事にトラバ貼らせて頂きました。

今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m
2005/10/03(月) 18:10:01 | URL | あしはら #wMZsJTAw[ 編集]
作者名について
あしはらさん、コメントありがとうございます。
やっと作者がわかりました。ところでこの川柳を別の批評分に使うかもしれませんので、使わせていただくことのご承諾と、正式の作者名をお願いしたいのですが。別に本名でも筆名でもハンドルネームでもかまいません。この川柳の作者名ということでお願いしたいのですが。
2005/10/03(月) 23:23:31 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
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ODA(政府開発援助)というのがありますが、数年前まで、日本もなかなかええことをしてるんやな、と能天気にも思っていました。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4088754603/249-9752704-6852350 でも、この本『SEED』(ラデック・鯨井←あの「マスターキートン
2005/10/03(月) 18:16:58 | ???