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品性とは
 一昨日sora歌会のあとの2次会で、俳人の野口裕さん、駒木根ギイさんと3人で11時過ぎまでなんと3時間も飲んでいた。でもそういう理由とは関係ない。予定だったのである。野口裕さんのホームページにある「需要と供給」という文章をネタに話を展開するのは。

 野口さんはここで寺田寅彦のエッセーや俵万智の短歌を引き合いに出して、需要と供給のバランスのことを独自の視点で考察している。

初歩の経済学の教えるところでは、需要と供給のバランスの取れたところで価格が決定され、価格が安定するはずであった。しかし、そうはならない。価格は激しく変動する。その端的な例が、今日の円やドルなどの外国為替レートの変動に現れる。(中略) 需要が多ければただちにその国の通貨は上昇し、供給が多ければ下落する。需要と供給のアンバランスはただちに価格に反映される。その結果として、需要と供給のバランスはよく取れている。しかし価格(為替レート)が安定せず、ちょっとしたことで大きく変動することは周知の事実である。
 では、価格が安定する場合はどんな場合だろう。初歩の経済学の予定では、需要と供給の完全に一致したところがそのような場合であった。しかし、実際に価格の安定するところは、需要と供給のバランスから少しずれたところ、わずかに需要の多い地点か、わずかに供給の多い地点のどちらかになる。


そして、需要者側か供給者側のどちらかが少し損をすれば価格は安定するのではないか、という結論に達する。つまりどちらも損をしてたまるか、という強い信念があるとどちらもせめぎあい、価格は安定せずいつも乱高下するだけなのである。ここまでわかったとき、バブルが崩壊した時のことを思い出した。当時「ニュース・ステーション」という報道番組でキャスターだった久米宏の一言だ。久米は論説委員の方を見ながら、

「なんかこう、もうちょっと品の良い資本主義というものはないんでしょうかねぇ」

と溜息をつくようにつぶやいたのだ。僕も本当に同感だったので、今でもこの一言ははっきりと覚えている。価格が激しく乱高下した当時の経済状態に誰もがうんざりしたあの状況で、「もうちょっと品の良い資本主義」というのは憧れと言っても決して大げさではないようなウットリとしてしまうある種のユートピアだったのだ。でもそれはいったいどんな経済なのか当時具体的なものは何一つ浮かばなかった。
だが野口さんの文章を読んで、それがほんの少しだが具体化したように思った。需要者側と供給者側のどちらかが或いは両方ともがほんの少し損をすることを了解している状態。言い換えれば損得にそんなに敏感にならない状態。この状態は野口さんも言っているように、小規模の商店が並ぶ昔ながらの商店街での人情味のある経済、これなら実際「品の良い資本主義」はありえるが、昨今の大規模な供給者側でのコンピューターを導入した秒単位での損得勘定では絶対にあり得ないだろうということだ。そしてこう締めている。

需要と供給のある種の理想郷がどちらの側も少しずつ損をするところにあるとすると、「サラダ記念日」の次の歌はその理想郷にかなり近いのではないだろうか。 「オクサンと吾を呼ぶ屋台のおばちゃんを前にしばらくオクサンとなる」
 さて、大規模供給者はどうすれば少し損する事を納得するだろうか。もっとも、それができれば為替レートの激しい変動など起きるはずはないのだが。


 今後も資本主義というのはどうにもならないせめぎあいの中で展開されていくのだろうか。でもそれは経済を動かす人間自身がもう少し品がよければ経済も変わらないだろうか、という思いにどうしても思い至る。
 たとえば人間関係もどちらかが或いは両方ともがほんの少しなら損をしてもかまわないよ、という余裕があれば品の良い関係になるだろう。これがどちらも損をしてたまるか、というギスギスしたものなら、品の良い関係は到底築けまい。(もちろんここで言っている損得はお金に関するものではなく、一般的な人間関係におけることである。)
 また人間一人一人を考えても、少しぐらい損をしたっていいじゃないか、と余裕をかましている人にはやはり品性が感じられないだろうか。なにもクラシック音楽を聴いて高い教養を身につけている人が、品が良いわけでは決してないことは誰もが先刻承知だ。
 品性とは、損をすることを承知でそれに対してそんなに敏感にならない、という余裕のようなものからしか生じてこないのではないだろうか。それを教えてくれた野口さんは炯眼だと思った。

 さて日本経済は長く続いたバブル崩壊後の低迷を抜け、踊り場を脱して上昇気流に今まさに乗ろうとしている。もう17年前のあんな下品な経済の乱高下はごめんである。日本民族が実は如何に品のない民族であったかということを世界中に知らしめたようなものだ。もちろん人間の品位と経済の品位はあまり関係性がないかもしれない。だが何らかの関係性が在ることをこちらは祈りたいのだ。そして民意も進歩する、はずだ。そう思って、これからの好景気が抑制の効いた品の良いものになることを切に期待したい。
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