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邪馬台国北九州説
箸墓古墳(奈良県桜井市)の築造時期について、国立歴史民俗博物館の研究グループが放射性炭素年代測定法で測定した結果、西暦240~260年とする調査結果をまとめた。以前の測定方法より技術が進歩し、格段に年代を絞り込むことに成功したとしている。

というだけのニュースである。箸墓古墳の築造年代が今までと違って格段に絞り込まれた、というだけのことで、古代史ファンはロマンを掻き立てられる、という事なだけで、なぜこれだけのことで、単に年代が合致しただけで、なぜこの古墳が西暦247年死亡したとされる卑弥呼の墓になるのか、あまりに突拍子もない。

春成秀爾・歴博名誉教授は「この時代、他に有力者はおらず、卑弥呼の墓であることが確定的になった」と述べた、とあるが、いやいや待てよ、3世紀という時代に、卑弥呼以外に有力者がいなかった、という証拠はどこにもないし、逆に、卑弥呼が巨大な墓を造営するだけの有力な王だったという証拠もこれまたどこにもない。

3世紀の日本列島はおそらくいたるところに豪族がいて、それぞれの地域を治めていて、彼らが中央集権的な強大な王、つまり後の大和朝廷のような王をいただいていたとはとても考えにくい。まだある程度ばらばらだったのではないか。それの一つの証明として、5世紀の吉備古墳群がある。同じ頃畿内では応神王朝がヤマト王権として強大な権力を誇っていたが、5世紀後半にいたってようやくこのヤマト王権は最大のライバルだった吉備王朝を服従させたとある。それでやっとヤマト王権は九州とつながったはずだ。その200年前に北九州までとどろく政権が畿内にあったとはおよそ考えにくい。プロの考古学者はいったいどこをどう研究しているのだろうと思う。それとも邪馬台国は畿内にないと都合の悪いことでもあるのだろうか。卑弥呼人気は絶大なるもので、皇室の系譜に卑弥呼を組み入れることで、その卑弥呼人気にいまの皇室もあやからせたいのか、そんな理不尽で下衆な想像さえ思い浮かぶ。

以下はほとんどが松本清張の『清張通史1・邪馬台国』(講談社文庫)の受け売りだが、まず、3世紀前半、当時の北九州は朝鮮半島南部と同一文化圏に属していた。当時は陸路よりも海路のほうが容易で、世界中で海洋文明が盛んだった。典型的なのがエーゲ海文明である。今の国境に何の関係もなく一つの国家連合が形成されていた。小規模だがこれと同じく対馬海峡も、対馬、壱岐、五島列島、済州島などを挟んで、両岸は共通の言語、文化、人種で一つの文明を築き上げていたのだ。そして当時の「倭」という地域はまさにこの海洋文明地域全体のことで、北九州は正確には倭国南部となる。そこから南方や東方は中国本土からはまったく認識されていず、もちろん強大な豪族はいくつもあったわけだが(その領主の一人が箸墓古墳の被葬者であったことは間違いない)、中国本土から見て、朝鮮半島までが東夷であり、北九州はその延長に過ぎない。つまり日本列島そのものは認識されていなかったわけだ。

古代史を考えるとき、今の国境で考えるのはどの地域も無意味となる。宮台真司ではないが、「境界線の恣意性」を常に(というか無意識に)念頭に置かなければ古代史は絶対に読み解けない。

3世紀前半、北九州は飛びぬけた国がなく、大乱となり、このままでは各国が消耗戦となるので平和協定を結び、その中の一番の大国だった伊都国が中心となり、占いのよく当たる少女・卑弥呼に自分たちの政治の決定権をあたえ、一応、平穏を見たわけだ。その卑弥呼が居住した場所が「ヤマタイ」と呼ばれるところで、この意味は諸説あるが、単に「山の麓」を当時の朝鮮語で「ヤマタイ」と呼んだ、という説もあり、いまの福岡県に似た地名があってそこではないか、と諸説があって、謎のままだが、畿内の「大和」と別に直接関係があるわけではない。ヤマタイやヤマトは古代には、どこにでもある地名だったのだろう。

そして邪馬台国という国は無かったとも言える。単に周辺諸国の政治決定所だったわけで。また卑弥呼が女王なんかではなく、単に巫女の親玉ぐらいだと見たほうが妥当だろう。当時は科学知見が全く無く、実際に重要な政治の決定が普通に占いで行われていた。だから予知能力があるんじゃないか、と思われるぐらい占いがよく当たる少女が大変重宝されたらしい。この占い師と執政官の関係は飛鳥時代の推古女帝と蘇我馬子との関係に形骸化された形で受け継がれていて、卑弥呼が制度的には天皇制の原型に当たらないわけではない。しかしそれはあくまで制度としてである。

他にも邪馬台国九州説を裏付ける物的証拠がたくさんあったが、15年ほど前に読んだ本なのでほとんど記憶になく、今まで書いたことをまとめると、当時北九州にあった伊都国を中心とした倭国南部の国家連合の政治決定所であった邪馬台という場所が、畿内にあるはずはなく、同じ北九州にあったのは否定しようがない。なぜプロの古代史学者が畿内説にこだわるのか、どう考えてもわからないのだ。
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コメント
この記事へのコメント
こちらは、ご覧になられたことがありますか?
恐らくかなり驚かれると思いますが。↓
http://www.geocities.jp/mb1527/index.htm
学者も頑張っているみたいですよ。
2009/06/04(木) 02:57:09 | URL | トリトン見つけた #NiXSsRc2[ 編集]
神話の利用の仕方
別に驚きませんが。

神話というのは大きく分けて、史実に基づいた伝承を参考にしたものと、史実に基づかない伝承を参考にしたものと、全くのでっち上げ、との3種類あります。ですから神話をベースにした古代史は全くのナンセンスです。神話はあくまで古代史を考える上での参考程度にしておかないと。
逆になぜそんなでっちあげをする必要があったのか、神話の裏からの検証は必要でしょうけど。
2009/06/04(木) 17:50:47 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
お気に触ったらすいません
まあ、一研究者の一主張に過ぎませんので。
でも、ここまで熱心に考察されていることに(真偽はともかく)私は驚きました。
世に意見を述べる方達は、この方ほどまでとは言いませんが、一応ちゃんとした下調べを基に発表して頂けると安心なのですが..
想像や専門家でない方の受け売りは怖いものです。
2009/06/05(金) 01:24:24 | URL | トリトン見つけた #NiXSsRc2[ 編集]
こちらこそ、お気に触ったらすいません
松本清張はプロの歴史家ですよ。素人ではありません。学会に相当影響を与えています。

清張の言い分は東洋史と日本の古代史を一緒にしてつなげて考えろ、ということです。当時は大陸と密接な関係にあったわけで日本だけで閉じた歴史を考えてみても意味ないでしょう。

右傾化した今の日本人は、日本の古代史が朝鮮や中国とつながっているのを鬼のように忌み嫌いますから。日本だけで自足した古代史が欲しいのでしょう。そんなものいくら熱心に研究しても何の価値も無い、ただ自身を慰めるだけのものに過ぎません。歴史というのは客観的に考えて初めて歴史と言えるのです。日本の神話をここまで熱心に研究されるのなら、なぜ当時密接に関係のあった朝鮮の神話の研究はされないのでしょうか。もしそれがあれば文献としての価値が出てくるとは思いますよ。

もう神武天皇、と聞いただけで読む気なくします。神武はもちろん架空の人物ですから。
2009/06/05(金) 23:00:54 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
松本清張は論外です
神話の裏からの検証(あくまでも個人の意見ですが..)や大陸との文献の一致にこだわった方の面白いアプローチなのでご紹介致しましたが、その事に対するご批判を頂いたという事は、全くご覧にならなかったと言う事ですね。
個人の自由なので全然構いませんが、偏った考察しかできなくなりますので、それに対するご意見をされるというのは、いかがなものでしょうか?
反論を検証するのが研究者の常ですので、いささか驚きました。
清張も専門外の方です。
学会では認められていませんが、ご存知ありませんか?
神話の定義も無茶苦茶だと思います。
魏志倭人伝まで神話になってしまいますから。
少しじっくり研究してみて下さい。
半年後にまた戻ってきます。
hosomi さんが管理者だと分かったのはショックです。
(自作自演は卑怯です。 PS:当たり前ですが、私は右翼系の人間ではありません。)
2009/06/06(土) 21:54:51 | URL | トリトン見つけた #NiXSsRc2[ 編集]
二度と来ないで
歴史の研究を今はする気はないので、二度と来ないでください。右翼的な偏った人とあまり話したくありませんし。

清張の研究成果は相当影響与えています。

魏志倭人伝に関しては解釈の仕方が東アジア全般から見ているだけですよ。日本中心で見ていないだけです。
2009/06/06(土) 22:15:09 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
了解しました
今後は閲覧も含めて二度と来ないと思います。(間違わない限り)
さようなら。
2009/06/06(土) 22:50:31 | URL | トリトン見つけた #NiXSsRc2[ 編集]
途中でコメントを書き換えないでほしいですが
「松本清張は論外です」でのコメントの内容が、ぼくがコメントバックする前のあとで変わっています。

う~ん、どうも失礼なことを言ったようで申し訳なかったですが。僕を知っている人らしいのですが、誰だろう?あの人かな?

「自作自演は卑怯です。」の意味が全然わからないのです。ぼくはmixiでもブログでも正直に思ったことを書いているつもりなのですが。

最後に一つ。日本の神話というのは、人類学的に見て、世界中に特に南太平洋の島国の神話と共通性が高いと聞いています。つまりどこの国にも似たような神話があるわけです。その神話を中心に日本独自であるはずの古代史を研究するということはナンセンスでしょう。そう思ったので、全くリンク先のサイトは読んでいません。そういう理由です。

もし僕を知っている人ならまた来てもらっていいですよ。
2009/06/06(土) 23:15:03 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
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2009/06/03(水) 02:00:18 | あれは,あれで良いのかなPART2
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