日本の難点⑤モンスターペアレントやクレーマー対策とは
最近、モンスターペアレントやクレーマーがにょきにょきと自分の周りにも出てきているみたいで、漱石が昔「とかくに人の世は住みにくい」と嘆いた「すみにくさ」とは別次元の「すみにくさ」が今差し迫っているように思える。

宮台真司が言うには、いじめの問題と似たような背景があるとのこと。
「社会の包摂性」が失われてきた、つまり〈生活世界〉が空洞化してきた昨今、何か悩みを抱える人を社会が直接受け止めなければならない状況が否応なしに作られていて、「全体を顧みない理不尽さ」や「社会的期待に対する鈍感さ」が突然ぼこっと出現してしまい、常識はずれな行動や言動を起こしてしまうとのことだ。
だから社会がこうである以上、こういった行動や言動を少しも制約されない人たちが増えるのは仕方ないことで、問題はクレーマーごときに振り回される社会の側にあるそうだ。つまりモンスターペアレントやクレーマーの言うことを真に受けて聞くメカニズムがあるから彼らが生き残ってしまう、ということらしい。

クレーマーの言い分を聞いてあげることと、言い分を真に受けることとは、別の問題です。門前払いはマズイですが、クレーマーが主張する「部分的最適化」を上回る全体に合理性があるならばそれを一通り説明し、「なので、クレームはお受けできません」と言うしかありません。
ここからは応用編の話になりますが、テレビやラジオのディレクターには、電話などでのクレームや匿名掲示板での「実況」や「批判」を過剰に気にする人が、実にたくさんいます。彼らに対して僕は「クレームや批判は、いわゆる世論とは何の関係もないことを肝に銘じよ」と言ってきています。
 クレーマーにせよ匿名掲示板のディープユーザーにせよ、いわゆる世論=サイレント・マジョリティではなく、キーキー声が目立つだけの少数者=ラウド・マイノリティが大半だからです。ラウド・マイノリティの言うことを直ちに真に受けることは、マスメディアの自殺行為になります。


なるほど明快だが、言うは易し、行うは難し、である。宮台の言うような、相手の意見は一応聞いて、お断りするなんていうそんな器用なこはなかなかできないだろうが、こういうことを一応頭にとめておくことは有効だろう。

それと僕が以前から書いていることとつながってくるけど、クレーマーなどの原因は〈生活世界〉の空洞化だけでなく、皆に平等に権利がある、という近代的民主主義のはき違え、にもあるように思える。皆に権利があるなら、自分もその皆の一人なんだから当然権利がある、と受け止め、それがエスカレートし「全体を顧みない理不尽さ」を発揮してしまう。平等な権利とは、皆にうすーく権利があるだけで、誰か一人に突出した権利があるわけではない。それを近代は提示してこなかったのだ。
近代がどんどん行き詰まっていき、何もかもが取り留めのないカオス的な様相となっていきそうで、そのカオスを統御できるのが、国民を統一させる何か尊い概念、たとえば天皇制、なのだとすれば、それは宮台の言う「馬鹿保守」でしかないわけで。しかし宮台の言うように、アメリカを排除することも、ほとんどこの「馬鹿保守」と変わりがないような気がする。排除できないものを排除することは、リスペクトできない対象を無理やりリスペクトすることと同じぐらい、せつないことで、排除もリスペクトも、結局は裏返しにしか過ぎないだろう。そんなことで社会の包摂性が取り返せるとはとても思えないのだ。

皆にうすーく権利がある、ということをちゃんと提示することのほうが、社会の包摂性の回復につながるのでは、と思うのだがどうだろう。もちろん決して極端な全体主義に陥ってはならないが。
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