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少年法と殺人
 今年2月大阪の寝屋川で起こった、17歳の少年による教職員殺傷事件の初公判が今日あった。この公判で少年自身が「僕の目的は殺すことではなく、あくまで刺すことだった。殺害目的があったと言えるかどうか分からない」と述べている。
 僕は人を刺したことがもちろんないし、刺そうと思ったことすらないので、刺す人の気持ちというのはわからないが、刺すことそのことに殺意が当然あってのことなのではないかと思ってしまう。それなら拳銃で相手を撃ち殺しても「殺すつもりはなかった、相手に拳銃の弾丸を撃ち込みたかっただけだ」ということと全く等価だからだ。これは通用しないだろう。
 それと今回少年は「広汎性発達障害」という病気ということで、これは「自閉症とアスペルガー症候群など自閉症に近い特徴をもつ発達障害の総称で、対人関係の障害やことばなどのコミュニケーションの障害、こだわりあるいは想像力の障害などの特徴がみられる」とあり、こういう人たちは思い込みが激しく、相手の気持ちがわからなかったり、人にだまされやすかったりする、らしい。いわゆる一般に自閉症と呼ばれる障害だと思えばいいのだろうか。(でもこの自閉症という言葉は誤解を招くので改めないとだめらしいが。そしてこういう障害がニュースになるたびに彼ら普通の障害者が差別されたりするのだ、世の中単純な人が多いからね)
 そして被告は少年法の定めるところの「少年」である。

 「殺すためではなく刺すため」「広汎性発達障害」「少年」と弁護側は立て続けに3つも持ってきた。判決がどうなるのか素人の僕にはわからないが、僕なりの意見を言わしてもらう、こういった事件での一般論としてだが。
 まず僕は人を殺せばもうその人は人間ではないと思う。なぜなら殺人者を受け入れるだけの器が我々人間社会の側にないからだ。我々人間はそこまで大きな器ではないし、またそんな大きな器を持つ必要もないだろう。どんな理由であれ人を殺すということは多くの普通の人間にとって考えられない行為だし耐えられない行為だ。想像できないわけであるし想像する必要もない。だからそれをやってしまった人を受け入れることはできない。他のどんなことを受け入れることができてもこれだけはできない。つまり殺人者を人間として扱えないし扱う必要もないわけである。だから僕は殺人に限り少年法は適用する必要はないと思う。どんなに凶悪でも傷害で終っているのなら、少年法を適用するべきだが。逆にどんな心身喪失状態であれどんな障害であれ、またたとえ男女の痴情のもつれでも、どんなに積年の恨みがあろうが、その他どんなに同情を誘う状況であろうが殺してしまったら終わりである。それはもう人間ではないし人間として扱えないのである。たとえその殺人者が10歳であれ5歳であれである。つまりあらゆる人権を剥奪していいのである。だからどんどん名前や顔をオープンにしてかまわないと思うのだ。それは決して犯罪抑止という理由からではない。さらし者にするべきだ、という低次元の理由からでもない。もう人間として扱えないからである。人間として扱う必要のない者に人間の法律を適用するのはナンセンスだろう。このけじめをつけることこそ、犯罪抑止につながるのではないだろうか。人を殺せばもう人間ではない、と教えることこそ。

 我々は多くの事象を許容しなければいけない。これからも我々はこの方面でも進歩するだろうし進歩しないといけない。だが殺人者だけは許容できないし許容する必要もないはずだ。これからもずっと。
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コメント
この記事へのコメント
TBありがとうございます。
 私も、書かれている事はごもっともと考えます。特に殺人に対しては強力な抑止力が必要と考えます。少年に於いても、殺人に関しては全く別に扱うべきだと思います。
 ただ、当たり前ですが殺人は少年の専売特許ではなく、大人も当然する。しかし、大人に於いても抑止力不足だと思います。私のブログに良く書いてる事ですが、「死刑・無期」が形骸化され、抑止力の働きをしていませんし、仮釈などで、再度殺人をする例が多い。こんな「死刑・無期」なら廃止すべきと考えてます。その代わり、終身刑を設定し、その求刑と判決を今の「死刑・無期」以上に普及させる。つまり、殺人者の殆どを死ぬ迄閉じ込めると言う事です。
 「死刑」では、適用が、事実上殆ど無いし、「無期」は事実上、14~15年の刑に過ぎません。
2005/09/30(金) 01:20:38 | URL | unclemac #-[ 編集]
コメントありがとうございます。
確かに難しい問題です。簡単に答えが出るものではないのでしょう。
僕としては、考え方を提示しただけで、じゃ、実際どのような法律にしたらいいか、となると悩みますね。
たとえば死刑とか。死刑に関しては、人間が人間を処刑していいのかという倫理上の問題が横たわっています。
確かに死刑ができないのなら、言われるとおり終身刑をしっかりと確立するべきでしょうね。西欧のように懲役200年とか。
あいまいに無期懲役とするからいけないのかもしれません。麻原なんかは懲役1億年でしょうか。
2005/09/30(金) 20:24:15 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
はじめまして
トラックバックありがとうございます。
市民感情または市民感覚的には理解できるのですが、実際に何人かの殺人犯と接した経験から言えば、
彼らも人間です。
しかも、どちらかというと弱い人間である場合があります。
それに、殺人と傷害致死の限界はそれほど明確なものではありません。
私は、殺人犯を人間として認めた上で、死刑存置論者です。
2005/10/03(月) 19:30:13 | URL | モトケン #CKyOUH4I[ 編集]
Re:はじめまして
モトケンさん、コメントありがとうございます。
弁護士の方からコメントとは大変ありがたいです。光栄です。僕は法律のほうはかなり疎いですので。
ただぼくはここで、法律のことを言っているわけではありません。考え方を提示しているだけです。
書いたと思いますが、もう少し詳しく書きますと、どんなにその犯人が善人であれ人間的であれ、その犯行がどんなに一般の同情を誘おうとも、そして犯人が何歳であれたとえ5歳でも、殺意があって殺ってしまったら終わりだと、こちらは人間扱いできません、と書いたはずです。
もちろん殺人と傷害致死の境界が微妙であることは法律に疎い僕でもわかっています。そんなことを議論しているわけでありません。考え方を提示しているだけです。倫理や道徳を言っているわけでもありません。人間社会の限界を言っているのです。
もちろん現実的にどう対処すればいいかはモトケンがおっしゃるとおり重要なのはわかっているのですが。
しかしそれはそのあとの問題として捉えたいのです。でもやはり無理でしょうか。
2005/10/03(月) 20:58:05 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
私も
法律論を書いたわけではなく、考え方を提示したつもりです。
というか、考え方を考えるにあたっての基礎的事実を指摘したと言うべきでしょうか。
「殺人と傷害致死の限界はそれほど明確なものではありません。」と書いたのも、「殺意をもって人を殺す」という行為そのものの限界が必ずしも明確でないことを言いたかったのです。
ところで、
正当防衛で人を殺した人も人間扱いできませんか?
2005/10/04(火) 15:42:04 | URL | モトケン #CKyOUH4I[ 編集]
話を単純化したいのですが
正当防衛のことは忘れていましたが、もちろん一般的な正当防衛(つまり瞬時に判断して相手を攻撃しなければこちらが殺られる場合)をここで殺人扱いするつもりはありません。なぜならその人にたとえその瞬間殺意があったとしても、それを殺意とはみなせないないでしょうから。自分の身を守るために仕方なかった殺意なわけですから。
僕がここで言っているのは明確な殺意を持って人を殺した場合です。誰がどう見ても殺意があったとしか考えられない場合です。それはたとえいかに殺される側に原因があろうともです。(←きっとこういう言い方が問題なのでしょうね)
傷害致死との境界付近も正当防衛との境界付近も無視しています。
無視することによって話を単純化しようとしているのですが、やはり無理なのでしょうか。
〈考え方を考えるにあたっての基礎的事実〉がクリアできていないわけでしょうか。
単純化すれば見えないことが見えてくるんじゃないかと考えることはやはり安易なのでしょうか。
実際に殺人犯と接することのある弁護士さんのご意見だけに重みは感じますが、はっきりと殺意を持って相手を殺害した少年を、少年法で保護することには我慢ならないのです。
非常に理不尽なものを感じます。だから殺したら人間扱いしないよ、人間じゃないものに人間の法律である少年法は適用しないよ、ということを言いたいわけです。
何度も言いますが傷害致死までは少年法の適用は大賛成です。やはり少年は我々大人が見守らないといけませんし。しかし殺してしまったら見守ることはできません。これが人間社会の限界だと思います。
2005/10/04(火) 21:01:51 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
はじめまして
専門家でも何でもないんですが、ちょっと気になってもので、書きこみます。

人を殺せば人ではない、という考え、基本的には同感です。
ただ気になったのは、その人ではないものを殺した場合、それは殺人になるのかということです。
そして、人を殺しさえしなければ、どんなに非人間的なことをしたとしても、それは人と呼べるのかと言うことです。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/totigi.htm
たとえば、この父親は人でしょうか?僕はこんな奴を人だとは認めません。

単に殺す殺さないだけで、人であるかどうかを判断するのは、少し危険な感じがするんです。
極端な話、殺しさえしなければ、何をしてもいいというというか。
でも、何をもって人とすべきかというのは、そんなに単純な話じゃないと思います。
2005/10/20(木) 16:04:15 | URL | kamiyuki #dBvXkgl6[ 編集]
人でなしを殺しても殺人者でしょう
まぁなんともひどい父親がいたものです。これは正当防衛でしょう。殺意があったとしても正当防衛は成立しますから。正当防衛はすぐ上の僕のコメントで殺人扱いをしない、と一応言ってます。まぁ瞬時の殺意ではないですがこの場合は正当防衛とみなしたいですね、僕としては。

kamiyukiさん、反論されるなら、とりあえず上のエントリーとコメントの応酬をちゃんと読んでからにしていただきたい。

>人を殺しさえしなければ、どんなに非人間的なことをしたとしても、それは人と呼べるのかと言うことです。

僕は殺人者についてのみ言っているだけで、人を殺していない人間については全く何も言っていません。世の中、こいつは人間じゃねぇ、と言える奴はいくらでもいるわけで、そんな奴こそ抜け目ないから、人を殺すなどという自分が損をすることは絶対にしないでしょう。そんな人たちのことについてここでは全く何も書いていないつもりです。もっとわかりやすく言うと、人を殺したら「人でなし」だと言っているだけで、人を殺さなくても「人でなし」はいくらでもいるでしょう。人を殺しさえしなかったら何をしてもいい、なんてばかげたこと、いつ言いました?数学の集合論がそんなに難しいですか?

確かに僕はことを単純化しすぎているでしょう。でも単純化することによって、逆に何か見えてこないか、と試しているだけなのです。

>ただ気になったのは、その人ではないものを殺した場合、それは殺人になるのかということです。

正当防衛が認められない場合は、殺人になるでしょう。つまりどんなにひどい奴でも「人でなし」でも殺してしまえば、その人は殺人者です。人を殺すという行為は何があっても基本的にはやってはいけないことでしょう。殺さずとも逃げればいいわけですから。ただ上の例の場合娘さんは逃げても逃げても父親が追いかけてきてひどい仕打ちをするわけですから、これは正当防衛だと個人的には思いますね。判決では微妙でしたが。
2005/10/20(木) 23:33:29 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
失礼しました
誤読をしてしまったようで、すいません。
反射的にコメントしてしまいました。もう少しちゃんと読まないといけませんね。

殺意があっても正当防衛が成立すると走りませんでした。
でもそうだとすると、やっぱり人を殺したという結果よりも、そこに至る過程が大事だと思うんですよね。ですが、仰る通り、あえてそれを無視して考えてみることも必要かもしれません。
2005/10/21(金) 06:50:49 | URL | kamiyuki #dBvXkgl6[ 編集]
ある本の読書感想です。
こんにちわ、ちょっと気になったので、本の紹介です。
ここの議論の論旨と合わないかもしれませんが、・・。

福岡弁護士会の読書 霧山昴・評「ぼくは13歳。職業、兵士」著者:鬼丸昌也、出版社:合同出版
http://www.fben.jp/bookcolumn/archives/2006/02/post_988.html

結構ヘビーそうな本で、また僕のブログでも、いずれ取り上げたいと思います・・。では、また。
2006/02/10(金) 22:20:12 | URL | 建つ三介 #-[ 編集]
不条理
結局は人口問題なのです。アフリカは人口爆発をしていて、19世紀のヨーロッパの人口爆発のように新大陸への逃げ場があったときと違って、逃げ場がありません。だから同族で戦争をするわけです。お互いが殺し合いをして食い扶持を減らさないと食べるものがなくなるからです。だから何が正しいとか何が間違っているとか正義感めいたことを言っても全く意味のないことになるわけです。我々はまず不条理を不条理として受け止めれるのか、という次元に立たなければならないのです。だから僕は自分が正義だと信じて疑わない人の著作は絶対読みません、得るところは何もないからです。
結局人間が多すぎるわけです。今世紀にはいってからのすべての問題はここから来ているのではないでしょうか。そしてこういった問題を考える時、必ず我々一人一人もその多すぎる人間の一人であることから逃げることは出来ないわけです、絶対に。
2006/02/10(金) 23:27:51 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
「人口爆発」問題についても、
「人口爆発」問題についても、

http://blogs.dion.ne.jp/ivanat/tb.cgi/2832199

TB
って、どうやるんですか?
よく分かりません。
2006/02/11(土) 15:23:20 | URL | 建つ三介 #-[ 編集]
何度もすみません
2006/02/11(土) 18:25:58 | URL | 建つ三介 #-[ 編集]
はじめまして
こんにちは。建つ三介さん経由でこちらを知り、時々お邪魔しています。

「人を殺してしまったものは人として認められない」
というのは、人はいかなる場面でも人として扱われるべきである、という理念(人権主義と言えばいいのかな?)へのアンチテーゼとして発言されたのではないかと思いました。
細見さんは少年法ではなく、この理念自体への疑問提起をなさりたかったのではないでしょうか。疑問提起をしたい、というより、疑問提起できることが重要だ、と仰りたいのではないかと・・・。

そのように解釈した上でのコメントですが、私も同感です。
この場合、どういうケースは人として扱うべきか云々、の議論は意味がない。人には、人を人間扱いできないと感じる場合なり場面なりケースがある。それを認めたうえで、そういう人間の集大成として社会があるのだ、ということを軽視すべきではないと思います。
このシビアな現状認識を置き去りに、理念だけから法律や社会規範が作られ、運用されても、人々はそれに納得できません。納得できなければさまざまな別の不都合や不合理(たとえば少年法を悪用する少年の犯罪や、マスメディアの違反など)が起こるでしょう。
2006/02/11(土) 18:47:33 | URL | 水無月 #/ROMVCUA[ 編集]
TBについて
建つ三介さん、いろいろとありがとうございます。なんだかきつい調子になってしまって申し訳なく思っています。

トラックバックのやり方ですが、たとえばこの記事にTBを貼りたければ、この記事の下のほうにある

この記事のトラックバックURL
http://finwhale.blog17.fc2.com/tb.php/21-00816bdd

からアドレスのみコピーして、ご自分のブログの管理ページで過去のエントリーの当該記事にTBを貼るところがありますから、そこに貼ってください。僕ので練習してくださって結構ですから。
2006/02/12(日) 21:10:05 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
緩やかな全体主義
水無月さん、どうもコメントありがとうございます。僕も時々水無月さんのブログ読ませてもらってます。その鋭い洞察眼と的確でわかりやすい文章には敬服しております。

はじめてですね、ブログを始めて。僕の言いたいことにここまで見事にシンクロしてくださった人は。感動しました。

>人はいかなる場面でも人として扱われるべきである、という理念(人権主義と言えばいいのかな?)へのアンチテーゼとして発言されたのではないかと思いました。

まさにその通りでした。自分でもあまり気がついていなかったのですが、うすうすは思っていました。人間社会がこれではもたない、と感じだからでしょう。

>この場合、どういうケースは人として扱うべきか云々、の議論は意味がない。人には、人を人間扱いできないと感じる場合なり場面なりケースがある。それを認めたうえで、そういう人間の集大成として社会があるのだ、ということを軽視すべきではないと思います。
このシビアな現状認識を置き去りに、理念だけから法律や社会規範が作られ、運用されても、人々はそれに納得できません。納得できなければさまざまな別の不都合や不合理(たとえば少年法を悪用する少年の犯罪や、マスメディアの違反など)が起こるでしょう。

確かに「そういう人間の集大成として社会がある」わけで一人一人の人権や自由より社会全体の秩序を優先する、という考え方なのでしょう。しかしこれは一歩間違えばかつての全体主義へとまっすぐに傾斜してしまうのでしょうね。ですから僕は、個人を尊重した、つまり個人主義を前提とした緩やかな全体主義、が理想なのですが。つまり今は自由すぎると思うのです。水無月さんの想いとはちょっとずれましたでしょうか。
2006/02/12(日) 21:29:25 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
お返事ありがとうございます
こんにちは。的外れでなかったようで、安心しました。

>ですから僕は、個人を尊重した、つまり個人主義を前提とした緩やかな全体主義、が理想なのですが。つまり今は自由すぎると思うのです。水無月さんの想いとはちょっとずれましたでしょうか。

大きくずれてはいないと思いますが、全体主義・・・というのは仰る通り歴史のある語ですから、私には少々きつく感じられました(汗
社会の秩序はその社会を維持するために必要とされるのでなく、そこで暮らす人々の幸福や生活や安全を保障するために必要とされるのだ、という社会観を、私個人は抱いていますので・・・。

ところで、拙BLOGをご覧になってくださっているとのこと、ありがとうございます。「わかりやすい文章」のところが、とても嬉しかったです。
2006/02/13(月) 08:24:48 | URL | 水無月 #/ROMVCUA[ 編集]
ご指摘ありがとうございます
そうですね、「全体主義」という言葉は使わないほうがいいですね。使うと逆に挑発的で面白いと思ってわざと使ったりするのですが、誤解の元になるだけですね。ご指摘ありがとうございます。

もちろん僕が言っているのは、個人の幸福のための社会秩序です。秩序を維持するということが最終的に個人の幸福に繋がるわけで、そのためには少々の自由や人権を犠牲にしなければならないことが出てきても仕方がないのでは、と言っているだけです。今は「人権、人権」と叫びすぎますし、自由すぎますから、その是正ですね。
2006/02/13(月) 22:16:03 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
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