天動説と地動説
天動説とは大地は静止していて、空の星々が動いているとみなすこと。地動説は逆に大地のほうが動いているとみなすこと。今やもう地動説が当たり前だが、これには続きがある。この地球が動いて回っている太陽系も、じつは銀河系の中の渦の中で動いて回っているし、その銀河系も大宇宙の中で動いている。一切が静止していないのだ。何かが静止していないことには誰もが落ち着かないわけで、その意味で人は誰もが多かれ少なかれ天動説者だと言えないだろうか。どこかが静止していると無意識に思い込んでいるのだ。

経済のグローバリズムについてもこれは言えて経済も地動説だと重々わかりながら、政治家は国内経済のどこかが静止していると思い込む。あるいは思いたいのだろう。そう思わないことには何を基準に考えればいいのか途方にくれるだろうから。だからどの政治家も経済を見誤るのかもしれない。今の民主党政権もそうなのだと思う。

俳句や短歌においても、動かないものがあると、我々は思い込んでいるだけなのかもしれない。周りが動いているだけで、自分たちは永遠だと。永遠にこの詩形が続くのだと。本当は一切が静止していないはずなのに。

ベツレヘムに導かれても東方で妻らは餓える天動説者
Staring at the star of Bethlehem,she`s a starving stargazar!

中島裕介歌集『Starving Stargazer』


日本語は英語短歌のルビだということだ、翻訳ではなくて。ルビもまた一つの短歌になっていて、本文とお互い響きあう構成になっている。
人は誰もが「餓える天動説者」だと、どんなすばらしい思想に導かれても。こう読めないこともない。そして同時に短歌の旧態依然とした在り様を、この歌集巻頭の一首で暗に批判しているのだろうか。

短歌の大地は動いているか。短歌にはまだコペルニクスは現れていない。
12月5日東京で、この歌集の批評会が行われる。
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