みんな友達
精神障害者の幻聴や妄想を理解してもらうため、「幻聴妄想かるた」というのが作られ評判になっているらしい。抜粋を読んでみたらなかなか面白かったし、これは統合失調症などで苦しんでいる人を理解する上でいい試みだと僕は思うのですが。批判もあるようだけど。差別を助長するだけだとか。でもやっぱり善意の人の理解を深めることがまず第一だと思うのです。
Yahoo!ニュース

あ…「ありがとう幻聴さん ありがとう大野さん イライラする」
お…「弟を犬にしてしまった」
か…「過去から現在をながめる予言者となった」
こ…「コンビニに入るとみんな友達だった」
ち…「ちょっとだけ将来を考える 後頭部に違和感を感じる」
て…「テレパシーがやってきて 自分の望みがすべてかなった」
な…「なにかやっていないと聴こえてくる」
に…「にわとりになった弟と親父」
の…「脳のなかに機械がうめこまれ しっちゃかめっちゃかだ」
ほ…「星が人々だと思って叫んでいた」
ま…「毎日 金縛り状態」
ら…「ラジオから 自分のことがいわれている」
り…「理由もなくやってくる金属音キーン」


抜粋を読んだだけだけど、結構なんていうか面白い。もちろん幻聴や妄想がどういうことなのか理解するのに役立つんだけど、僕のように俳句や短歌をそれも自由律でやってきたものにとっては、無意識にそういう作品として読んでしまったりするわけで。中でも秀逸だと思ったのは

「コンビニに入るとみんな友達だった」

これは一読笑える。作成者サイドはユーモアを交えて作っていると言っているので、これは笑っていいと僕は思うのだ。強いプラスの妄想を持つとこう思うのは、なんとなくわかるし。ところが「幻聴妄想かるた」から切り離して一般の人が作ったとすれば、それは本当にコンビニに入ったら、偶然友人ばかりいた、ということになる。お互い、へー、偶然だねぇ、ということだ。これは全くありえないことではない。だがちっとも作品としては面白くない。
一方、もしトリッキーで難解な現代川柳の作品一覧の中にこの作品を入れれば、がらっとニュアンスが変わる。それはまるで現代の若者の孤独を逆説的に言っているような、たとえば、「みんな友達に見えるぐらい孤独なのだ」、とか、「だから友達なんかいないんだって」、とか、悪意をこめて「だからみんな友達なんだよ」と言っているとか、つい深読みしてしまう。形式も577で、現代川柳としては特別破調でもなく、かなり考えさせるシリアスな一句に仕上がっているような気がするのだ。コンビニという狭くて閉じた空間にいる見ず知らずの人たちがみんな友達だという虚構は、現代人の孤独の在り処がぱっと見えた気にさせる。

あと
「脳のなかに機械がうめこまれ しっちゃかめっちゃかだ」
「星が人々だと思って叫んでいた」
も現代川柳として深読みできそうである。いや、どれもそんな読みが可能な気がしてくる。

俳句や川柳というのは短いだけに様々な解釈を誘発してくるけど、この「幻聴妄想かるた」はやはりちゃんと作成者側の意図を酌んで読むべきなんだと思う。そしてちゃんと意図を酌んで読んでもわかるし、短詩形文学としても面白く読めた。このかるたがなんだかほしくなりました。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
心療内科カウンセラーとお薬 安倍内閣のウツ病は 完治した
テレパシー 統合失調症で 検索中です。
テレパシーの存在は あると思います
悪い超能力者も います。
どうしたら いいのだろうか?
宗教で 住職とかに 正義の超能力者とか いるかなぁ?
超能力研究会(名前検討中
2013/06/22(土) 19:58:48 | URL | 村石太ダー&パピル2世 #xs8oL2N6[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック