多様性そのものが世界
世界は多様性に満ちている、とよく言うけれど、多様性そのものが世界なのではないか、と思うのだ。その多様性こそが世界そのものなのである。だからその多様性を受け入れていない、ということはこの世界を受け入れていないことになる。

しかしこれは大変難しいことで、この世界にはそれこそ無限に多様性があるからだ。様々な民族、文化、宗教、モノ、生物、それら無限の多様性を認識して受け入れることは、まず不可能なわけで。しかしこの世界には、自分には到底理解できない無限に多様な物事があるのだ、という認識ぐらいなら誰にでも出来る。そう認識するだけで、ずいぶんこの世界への向かい方が変わってくるだろう。まだまだ自分の知らないことがいくらでもこの世の中にはあるのだ、という謙虚な認識だ。これは簡単なようで、年齢が高くなると、頭が固くなり、自分の知らないこと認識したくないことはもうこの世界のことではないように思いがちだ。これはこんなことを言っている僕自身自戒せねばならないわけで。

でも最も難しい多様性は、自分と相反する多様性に対面した場合だろう。人は自分と利害を反する多様性に直面した場合、たいていの場合、うろたえ、絶望する。そして相手を拒絶してしまう。相手の存在を認めなくなる。それはたとえばパレスチナ問題だ。でもそれを解決不可能、と簡単に断じてはいけない。大変難しいことだ、とまず思うべきで。多様性そのものが世界なのだから、自分も世界の一部、相手も世界の一部なのだし。不可能だと思って拒絶するのではなく、この相反する多様性を受け入れることは大変難しいことなのだ、と認識するだけで、もう相手を半分受け入れているのである。相手も同じ思いなら、もう半分以上解決しているではないか。

多様性そのものが世界なのだから、その多様性がいくらでもあるのだと、いうこと、だっていくらでも多様性があることそのことが世界なのだから、このことを認識するだけで、ずいぶんと世界が違って見える。しかしそれは大変難しいことなのだということ、その難しさを認識することが一番大事なことのような気がするのだ。多様性そのものが世界なのだと認識し、その難しさを認識して初めて、一歩前に踏み出せるのである。世界が自身に開かれてくるのである。
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