アジアの大きな国
今日、妻が妻の妹に電話した時、たまたまその御主人が出て、長女の話になった。以下、妻から聞いた話。

長女は今は外国に行っているとのこと。
「え、そうなの、どこの国?」「アジアの国」「アジアってどこ?」「アジアの大きな国」「ああ、あの子中国語専攻してやったから、やっぱり中国やね」「・・・・・」「え? 韓国、それともインド?」

こんな感じの会話。結局相手は中国であることを否定しなかったとのこと。諸事情から考えるに「アジアの大きな国」は中国で間違いない。要するに自分の娘が今、中国に行っている、ということが人に(その伯母に対してさえ)言えないのである。それは自分自身が中国に対して偏見を持っているからなのか、相手が(日本人ならまず)中国に対して激しい偏見を持っているからと考えて間違いないからなのか。まあ、いずれにしろ、不愉快な話だ。それに失礼な話でもある。こっちが偏見を持っているかもしれないと一応思われているんだから。ちなみに妻はこういったことに対しては無邪気なので全く偏見を持たない。だから今日の会話もそんなに変なものだとは思ってないようだった。

これに似た話で、詩人のTさんの話を思い出した。Tさんは在日朝鮮人の問題に深くコミットしている人でおおよそこういった方向で偏見を持つ人では絶対にない。

Tさんの息子さんが部落出身の娘さんと結婚することになり、その娘さんのお兄さんが会いに来た時のこと。そのお兄さんは「これでいいんですか」とTさんに迫った。「本当にこれでいいんですか」としつこく迫ったとのこと。

「こんな失礼な話はないやろう」ともう終わった話なので笑みを浮かべながらも、憤懣やるかたない、という表情で今度は僕に迫った。僕が答えないでいると、さらに強い語気で「こんな失礼な話はないやろう」とまた僕に迫る。「ええ、そりゃあ失礼ですよね。(汗)こっちが差別していると向こうは思いこんでいるんですから。」「やろう」「でも長い間差別されてきたんだからそういう偏見をもつのも仕方ないんとちゃいますか」と一応たしなめた。

Tさんによると部落差別はフィクション、だという。ああそうだ、実際には今はもうそんなものは存在しないんだから。最初からなかったものを徳川幕府が勝手にでっちあげたフィクションだ。じゃあ、民族差別もフィクションでしょう?日本人と朝鮮人とではDNA的にはほとんど一緒でしょうし、と僕が聞くと、民族としての遺伝子が一緒でも国籍の違いはどうしようもない、だからフィクションではない、とはっきりと答えられた。たしかにそうだ。国籍の違いはそれが作用する時は決定的な違いとなる。

話を元に戻す。
民族にしろ部落にしろ一般には、差別する、ということが、いまだに一般的な日本人の常識的感覚になっているのだ。差別するのが当たり前だから、その問題にからむ可能性があるときは、何とかして回避しなければならない。例えば嘘をついてでも。だから様々な仕事の上でもサラリーマン社会でも、この「差別」が一応基本だと思うべきなんだろう。

もちろんわかってはいるのだが、これは馴染めない話だ。不愉快な話である。
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