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被害者と加害者
今頃、去年の『未来』を読んでいる。

ちぎられた羽根が散乱する部屋で僕たちはみな被害者である    北原亜紗未
ここに血が流れなくとも残虐な僕たちはみな加害者である         〃
(『未来』2011年10月号彗星集より)


人間なんてのは誰でも被害者意識を持ちたがるが、加害者意識は絶対に持ちたがらない、と事あるごとにあちこちで僕は言っているが(で嫌われているが)、やっぱりみんな、被害者であり加害者なのだ、とこの二首を読んで納得した。

フクシマにおいては、日本人はみんな被害者面するんだけど、僕からすれば、深刻な被害を受けた福島人のみが被害者であり、それ以外の日本人はみんな電気を使う側にしか過ぎないのだから、れっきとした加害者である、とこれもあちこちで僕は言ったが(その度に嫌われたが)この2首を読んで考えが変わった。

言いなおすと、福島人はやはり被害者でしかない。これは当たり前だ。しかしそれ以外の日本人は皆、被害者でもあり加害者でもあるのだ。これが感情的ではない、そしてイデオロギー的でもない正確な言い方だろう。少しは僕も丸くなったか。これで嫌われなくなるか。いや、やっぱり福島人以外の日本人は皆、自分は被害者でしかない、とやはり思っているのなら、これっぽっちも加害者と思っていないのなら、やっぱり僕はこれを言うと嫌われるだろう。

でもどんなに嫌われてもやっぱり言うしかない。一人一人が加害者意識も持たないと、社会が円滑にまとまることは絶対にないのだから。何が起こっても全部お上ばかりのせいにするのはもううんざりである。政府や東電ばかりに責任があるのではない。電気を垂れ流し的に使い続けた我々一人一人の方にこそ責任があるのだから。政府や東電のせいにしたいのは責任を自身から転嫁したいだけなのだろう。

上の2首は別にフクシマのことを言ったわけではなくて、もっと素朴な感情だろうと思う。それだけに純化されていると思った。女性なのに〈僕たち〉と言うところがまたいいのかも。これが男性の作品ならどう感じただろうか。おそらく、男性が〈僕たち〉と言うと男性のことのみ言ってるようなニュアンスがどこか残るのだけど、女性が〈僕たち〉と言うと男女を越えて完全な一人称複数として作用するのではないだろうか。短歌実作者としては女性の方が得してるような気もするけど、おっと、これが被害者意識か。あぶない、あぶない。
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