鈴木博太「ハッピーアイランド」
今年の短歌研究新人賞受賞作、鈴木博太さんの「ハッピーアイランド」30首を読んだ。

以前からタイトルは知っていたので期待はしていたけど、全く予想以上だった。
30首があっという間で、読み終わった時、まだあると思ってもう1ページ捲り、別の人だったので、ああもう終わりなのか、もうこれ以上はないのかと、なんと残念だったことか。あと100首ぐらいはこの調子で読みたいと切に思った。今まで20首、30首の連作は何度も読んだことがあるけど、ここまで思ったのは初めてだ。どんなに優れた一連でもここまでは思わない。

選考委員5人のうち、一位が3人、二位が一人、3位が一人、とぶっちぎりである。今回受賞を狙っていた人は相手が悪かったと思って観念するしかない。

以下、30首から8首のみ抜いた。

鳥籠の後ろの正面惨後憂き上は大水下は大火事
ゆでたまごをれんじにかけるとおくからおもしろそうなハイぼくのこえ
歳ガ素の人がオトずれ「フッキュウにヒト尽き」「ここハマッタンでして」
とりあえず窓を閉め切り出来るだけ出ないおもてに奔と卯のそら
Dieコンノへ んナカタちがテント ウニナラびはじメタハチがツショじゅん
フクスィマにいきたくない使徒フクスィマでいきたく死と うえのえきなう
ふりかえるトきがあるナラみなでまたやヨイとおカヲやろうじゃないか
ふるさとはハッピーアイランドよどみなくイエルダろうか アカイナ マリデ
「短歌研究9月号より」


鈴木博太さんは福島県いわき市在住。それも福島第一原発から40キロの距離。避難しなくていいのだが、避難しなくていいだけに最も過酷なところだったのかもしれない。

表記が特殊だ。選考委員の一人、加藤治郎氏の批評が非常にわかりやすかった。
つまり、平仮名、片仮名、漢字交じりの表記でまるで誤変換のように文節をズタズタに破壊してゆく。その破壊された文節が日常の比喩になってて、だからこれは表記的な喩、というわけ。それは福島の人にとって体に直接的な痛みがあるわけでなく、でも放射能は危険だと言われて現実が歪んでいるようにしか見えない。その歪みがこの表記に表れているという。

なるほど見事な表記的な喩です。ため息が出るぐらい。

ということで、あえて上の8首をここでは解読しない。なぜなら、読み解く楽しみを奪いたくないからだ。読み解けた一瞬、読み解けたという快感に襲われ、その次の一瞬、福島の人の苦悩がせり上がってきてそれと同化してしまう。快感と重い傷みがほとんど一緒に胸にズンと来る。この不思議な感覚は他では絶対に味わえない。他人に解読してもらったところで、感動は半減する。だからネタばれ厳禁なのだ。

そして同化することで、フクシマを悼むことになるだろう。我々はまだフクシマを悼んではいない。それどころか責任の所在の追求ばかりに熱心で、フクシマそのものからは逃げてしまっていないだろうか。我々一人一人がフクシマを悼むことから始めないと、フクシマをのりこえてゆくことはできないだろう。フクシマをのりこえずに未来はない。

もちろん表記的な喩を駆使した歌ばかりではなく、普通の表記の歌の方が多く、全体にバランスが取れてて、一連として読んで初めて感動できるのかもしれない。ぜひ30首全部読んでいただきたい。

ふりかえるトきがあるナラみなでまたやヨイとおカヲやろうじゃないか


何度読んでも泣きそうになる歌だ。我々はフクシマについて一度泣くべきなのだと思う。怒るばかりではなくて。博太さんはそれを教えてくれた。ありがとう、博太さん。本当に大変だったんですね。そのことがこの30首を読んでよくわかりました。

この震災や原発事故を扱った文学作品は多々あるのだけど、これがその白眉ではないかと思うのだが、どうなんだろう。
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