不易流行
 1月9日(祝)、東京での『未来』新年会はかなり盛り上がったらしい。
 こちら大阪でも同じ日、sora新年歌会があった。いつも盛り上げるメンバーが、これまた同じ日に行われた、K池さんの連句会にごっそり持っていかれたわりには結構盛り上がったように思う。大変楽しく有意義でした。自分の下手な司会のわりには。

 で、いきなり懇親会である。
 焼酎をボトルで注文した人がいて、なぜかそのお湯割セットを僕の目の前に置いた人がいて、で、周りに一通り行き渡ってから、仕方がないので残りを僕一人でいくらでも飲みだして、結局一本の半分ぐらいも一人で飲んだだろうか、これがいけなかった。いつもより酔いの回りが激しい。俳人の小澤實のことを言う歌人がいたので、食ってかかって、(よくも知らないのに)あいつの俳句なんか全くつまらない、とか吼えて、そしたらその歌人の人が小澤に弟子入りしたということ、でそういうことは先に言ってよ、もう。短歌結社に入っているのに俳句結社まで入るとは思わなかった。で、うだうだやっているうちに、なんでそんな話になったのか全く覚えていないのだが、まわりは時事性と同時代性の違いという硬派な話になっていた。で、また僕が吠え出した。時事性と同時代性が違うのは当たり前じゃないか。どのあたりが? どのあたりがって、だから(酔っているので話が少しずれていく)同時代性を勝ち得てはじめて普遍性を勝ち得るわけだから、と吼えていると、横に座っていた詩人のT岡さんが、それって不易流行のことでしょ、と突っ込む。はぁ?フエキリューコー?なにそれ?だから同時代性を勝ち得ずして普遍性を勝ち得ることは絶対無いわけで・・・だからそれって不易流行のことでしょ、とまたT岡さんが突っ込む。不易流行って何?(2回目でやっと漢字が思い浮かんだ)だから不易流行ってそういうことなんですよ、とT岡さんが説明してくれるのだが、周りの人もうんうんとうなずくのだが、一向に僕にはわからなかった。

 ようするに「不易流行」という言葉を聞いたことはもちろんあったが、その意味するところを全く知らなかったのである。何という無教養!
それで調べた。まず「不易」がわからないので調べた。

ふ‐えき【不易】[名・形動]
1 いつまでも変わらないこと。また、そのさま。不変。
2 蕉風俳諧で、新古を超越して変わることのない俳諧の本質。


なんだ、だから不易流行とは、普遍なものとはやり廃れの激しいものとの対比じゃないか、と思ったが違った。

ふえき‐りゅうこう【不易流行】
蕉風俳諧の理念の一。新しみを求めて変化していく流行性が実は俳諧の不易の本質であり、不易と流行とは根元において結合すべきであるとするもの。


あれ?なに?わからないのでネットで検索。なぜか日本数学会のページである。タイトルは「無用の用」と「不易流行」

「不易流行」:松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得した概念です。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」即ち「両者の根本は一つ」であるというものです。「不易」は変わらないこと、即ちどんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対に変わらないもの、変えてはいけないものということで、「不変の真理」を意味します。逆に、「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従ってどんどん変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもののことです。「不易流行」は俳諧に対して説かれた概念ですが、学問や文化や人間形成にもそのまま当てはめることができます。
 人類は誕生以来「知」を獲得し続けてきました。「万物は流転する」(ヘラクレイトス)、「諸行無常」(仏教)、「逝く者はかくの如きか、昼夜を舎かず」(論語)、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明)など先哲の名言が示すように、森羅万象は時々刻々変化即ち「流行」しますから「知」は絶えず更新されていきますが、先人達はその中から「不易」即ち「不変の真理」を抽出してきました。その「不易」を基礎として、刻々と「流行」する森羅万象を捉えることにより新たな「知」が獲得され、更にその中から「不易」が抽出されていきます。「不易」は「流行」の中にあり「流行」が「不易」を生み出す、この「不易流行」システムによって学問や文化が発展してきました。一人ひとりの人間も「不易」と「流行」の狭間で成長していきます。


 う~ん、なるほど、僕が言っていたことと一緒かな、いやなんか違う、微妙に。だいたい僕は昔の偉人が言ったことをそのまま反芻することがあまり好きじゃない。やっぱり自分の頭で考えてはじめて納得できるのである。
 まず「不易」と「流行」をはっきり分けることがどうも胡散臭い。そんなものごった煮のはずだろう。だいたい最初から「不易」があるという前提が気に食わない。「不易」という言葉を使った途端僕の中で何かが萎えてしまう。まるで答えのわかっている数学の問題を解くようなつまらなさだ。思考がストップする。「不易」即ち「不変の真理」を抽出するために何かをやるわけではない。そんなものくそ食らえ、と思いながら何かをやるのだ。永遠不滅の真理がこの世にあってそれを目指して少しでも近づくために努力する、つまりロゴス中心主義というのだろうか、そんなものはもうなんだか通用しないんじゃないか、という時代だ。そんなものより今は「現象論」的アプローチのほうがピンと来る。それぞれの意識に映る「現象」こそが世界であって、その「現象」があらゆるところに遍在しているのがこの世界だろう。世界の中心などとっくにありはしない。

 今度T岡さんに会ったらきっとこう言われるに違いない。だからそれも不易流行の現れなわけで、そうやって「不易」と「流行」が常に影響しあって、それで哲学も変化していくのですよ、と。

 ええ、そうでしょうとも。
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コメント
この記事へのコメント
具体にして、普遍
楽しい飲み会(歌会はどうも僕にはつらそうです)ですね。情景がこれまた目に浮かんできます。部外者の僕が行けそうもありませんが・・。
そうそう、僕も鴎外や芭蕉を読んでて、扱っているテーマは特殊具体的なのに、何かこう普遍的なものを感じざるを得ないと思った次第です。柄谷行人さんの『内省と遡行』というわけの分からない本を読んで、フッサールの『現象学』なるものを再認して、『デカルト的省察』っていうのも買ってみたのですが、余計わかんなくなってしまいました。哲学も難しいですね。
ちなみに藤田省三ですが、青土社で追悼特集が出ていたのが、結構まとまっていてよかったかもしれません。追記しておきます。楽しいレポートと真剣な省察、毎度楽しみにしています。ではまた。
2006/01/14(土) 17:02:16 | URL | 建つ三介 #-[ 編集]
いつもありがとうございます。
哲学は僕も全然知らないのですが、えらそうに書いています。

青土社の追悼特集、探してみようと思います。ありがとうございました。
2006/01/15(日) 12:03:01 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
ブログを開設
思ったより早く、ブログを開設することにしました。よろしくお願いします。変なTBがいっぱい来るのですが、どうしたらいいのですか??
助けてくれー・・です。
2006/01/17(火) 22:50:28 | URL | 建つ三介 #-[ 編集]
祝開設
ブログ開設おめでとうございます。
やっぱり書くしかないでしょう。
楽しみにしております。
2006/01/17(火) 23:49:15 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
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