論ステーション : 戦争は遠いけれど 野樹かずみさん/柴崎友香さん
今朝、毎日新聞をぱらぱらめくってたら、いきなり、「野樹かずみさん」という見出しと野樹さんの写真が飛び込んできたので、びっくり。知ってる人が何気なく新聞の中にいると驚く。

論ステーション:戦争は遠いけれど 野樹かずみさん/柴崎友香さん
毎日新聞 2013年08月09日 大阪朝刊



テーマは戦争体験の継承に関すること。作歌の柴崎友香さんと共に写真入り一面を占めている。

学生時代に在日韓国人被爆者の聞き書きに携わったことを中心に被爆体験の継承について。

「被爆体験の継承と言っても、「私」のことでないと普遍的にならないと思います。スローガンになるだけで、人が変わったり、物事を動かしたりしていくことにはならない。短歌が面白いのは、個人的なことが普遍的であるという点。歌人の竹山広さんは長崎で被爆し、歌を残しています。

 人に語ることならねども混葬(こんそう)の火中(ほなか)にひらきゆきしてのひら(竹山広)

 この歌は被爆状況をそのまま伝えて、被爆経験のない人にまで見たような気にさせる。しかし、私に竹山さんのような短歌を詠めと言われても無理ですし、嫌です。私は私の場所を生きていく。」

と、この広島で自分の子供にも、そして短歌ででも、できる限り被爆体験を継承していくんだ、という願いを語る。

一方、作歌の柴崎友香さんは歌人とは全く違う視点だ。

「最近考えているのは、文学とは何か間接的なものではないかということです。直接自分の思いを語るというのではなく、小説の作者が媒介者となって、死者の思いや自分ではない誰かの体験を伝えていくということではないか。
 個人の体験が小説という形で普遍化し、いろんな人に共有化されていく。小説を読んでいる間は、その小説の中の世界と、小説の中を生きている人と自分も一緒に生きることができます。絶対に会うことがない、何の接点もない、話すことが不可能な人の言葉を聞き、自分の記憶のように共有することができます。それが小説の一つの意味ではないでしょうか。戦後30年たってから生まれた世代として、何か伝えられることがあるのではないかと今も模索しています。何らかの形で、また戦争のことを書きたいと思っています。」

私性にこだわるしかない短歌と、私性にこだわる必要のない小説との対比が鮮やかで興味深い。

そして柴崎友香さんは最後に

「常に戦後であり、戦前であって、いつ何が起こるか誰にも分かりません。過去を考えることは、同じだけ現在や未来のことを考えるということではないでしょうか。」

と締めくくる。確かにだからこそ、同じことを繰り返さないように、戦争体験をどんな形ででも継承していかないといけないのだろう。

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