スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
時事性と同時代性
 時事性と同時代性の違いについて、僕は結局、9日の懇親会でもこのブログでも答えていないらしいので、一度少しでも言おうと思う。おそらくこの二つを一緒くたにしている人が多いのだろうな、と客観的に想えばそんな気がするので。わかっている人にとっては当たり前のことで、何を今さら、と思われるだろうが。

 まず時事性というのは、その時代の世相や事件に関連して、あるいは寄り添って、といった意味合いだろう。それに対して同時代性というのは、そんな世相や事件とは関係ないところで、その時代独特の雰囲気のようなものを纏っている、とでも言おうか。これではおそらくわかってもらえそうにないので、具体的に例を挙げねばならない。

 写真という表現手段で考えればよくわかるのだが、たとえば時事性とはずばり報道写真のことになるだろう。それに対して同時代性とは事件や世相に関係なく撮られたシリアスフォト、たとえばリー・フリードランダーやダイアン・アーバスなどの都市スナップが代表的だが、ここで披露するわけにはいかない。ただそれらは、当時(1970年代)の都市や人々のなんでもないモノクロスナップだが、その時代の同時代性が色濃く出ていてそれが現代にも伝わっていると思う。

 やはり時事性と同時代性を比べるのであれば、短歌がもっとも適しているのだろう。だが僕はそれを論じるほどなかなか短歌を勉強していない。だが何とかひねり出そうと思う。

 いろいろな歌人の作品を考えたが、意外に一人の作品だけで考えるほうがよりテーマにかなっていそうだ(というか手っ取り早い)。というわけで、加藤治郎、一本に絞った。それも1冊の歌集から。1998年刊行の『昏睡のパラダイス』。90年代の時事性と同時代性がぎっしりつまっている。

押収のドラム缶にはあるらーん至福の砂糖こそあるらーめ
ねばねばのバンドエイドをはがしたらいわしわのゆび じょうゆうさあん
ああ朝のひかりのなかにひらかれたバイブルは翼 あそべぽあぽあ


 90年代を代表する事件である地下鉄サリン事件を含む、一連のオーム真理教の騒動に取材している。短歌ではこれを時事詠と呼ぶのだろう。当時東京に住んでいた作者は地下鉄で通勤していたということでこの事件にはひどい衝撃を受けたとのことだ。全く他人事ではないはずだが、一見冷静に見ているように思えなくはない。だが言葉に込められたこの事件に対する批判性が痛切なほど伝わってこないだろうか、この押し殺したような憎しみが。作品は今でも全く風化していないし、あの事件自体これからもずっと考えなければならない問題だろうと思う。

 これも不勉強から思うせいかもしれないが、時事詠というのは普通こんなふうに成功したりしないと思う。これは極めてまれな例かもしれない。普通はいやになるほど散文的で、ただ事件を解説するだけか、せいぜいそれにありきたりの誰もが思うような感想なり感情なりを少し付与するだけで終ってしまっているからだろう。時事詠とは普通はそんなふうに退屈極まりないもので、新聞を読んでいるほうがよっぽど刺激的だったりする。
 この3首が時事詠としては珍しく普遍性を獲得したのは、作者が持つ憎しみをストレートには表現せず、短歌という韻文にその憎しみを封じ込めることに成功したせいだろうか。だがもちろんそれだけではなく、90年代の言語表現におけるトップアスリートだったこの歌人が以下の短歌作品に見られるように、この時代の同時代性を峻烈に獲得していたせいだろうと思われるのだ。
同じ歌集から。

いかなる生も敗北ならば、薬包紙たたいて寄せる白色(はくしょく)の粉
まりあまりあ明日(あす)あめがふるどんなあめでも 窓に額をあてていようよ
海にふる雨より覚めぬレコードの溝の終りに針は跳ねつつ
未来への意味不明なる遺跡ともテトラポッドの塊ならぶ
黒いシートに包まれたのは何だろうミナミアオヤマ戦場ニナレ
フライパンたたいてよせる卵かな新しい宗教のはじめに/おわりに
人は或るカテゴリーにて殺される 校庭をまわり続ける鼓笛隊
れれ ろろろ れれ ろろろ 魂なんか鳩にくれちゃえ れれ ろろろ
髪にふる雪をさらさらふりはらうきみは記憶を拒んでいるな
冬くさのひそやかにして文鳥の顔が氷に貼りついて居り


 これらは時事性とはほとんど関係ない。だが90年代が纏っていた雰囲気が確実に漂っている。そしてこんなふうに同時代性を勝ち得て初めて普遍性をも勝ち得るのだろう。先にあげた時事詠3首も時事性を通じて同時代性を獲得できたからこそ普遍性も獲得できたわけである。キイは同時代性にある。同時代性を獲得するために時事的な事象を利用するというのも一つの方便だが、それは方便でしかない。僕自身の経験としては、時事的なことを表現したもののうち、ごくわずかしか同時代性を獲得していないからだ。

 この歌集のあとがきにもあるように〈現実と妄想、生と死、善と悪の境界が疑われ喪われた世界〉で〈日常を成立させている意識が消失した領域に〉生じた〈奇妙な楽園〉、つまりこの歌集のタイトル〈昏睡のパラダイス〉こそ90年代だったと、今になって思い知らされる。この歌集が発表された当時、各方面から驚愕を持って迎えられたのも肯けるわけである。

 だが、現代短歌は何が時事性で何が同時代性かをあまり区別しないだろう。それらをひっくるめて機会詩(occasional poem)とか言っているようだ。でも僕はそれらを分けたい欲求にいつも駆られている。それはおそらく最初、写真で認識した同時代性というものへの憧れのようなものかもしれない。写真に接して以来、同時代性を表現せずしていったいその表現されたものにいったいどんな意味があるのか、といつも疑念を持って見てきた。別にそれが普遍性につながらなくったってかまわないのだ。あの花火のように、今だけを峻烈に表現できればそれでいいだろう。その場限りで消失してしまってもかまわない。その意味において最初から普遍性のみを狙っているとしか思えない俳句表現はむしろ表現としては卑しい、とさえ思えるくらいだ。

 さて〈昏睡のパラダイス〉以降のこの現代とはどんな時代か。もちろんもう〈パラダイス〉でないことは間違いない。しかしそれがどんな時代であれ、時代と真向かっていこうと思う。きっとそれは時代と真向かうことでしか、このグロテスクな事象を消化して時代と深くかかわることでしか、普遍的なものは絶対に見えてこないと信じるからだ。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
時事性と同時代性の違いはよく知りませんが、
時事性と同時代性の違いについて、僕はよく知りませんでした(そもそも考えたことさえ)が、少し分かったような気がしました。
同時代性の方が普遍的なんですね。
通時性と共時性なら、読んだことはあるのですが、共時性はたしか多様な発展段階というか、古臭いもんから新しいもの迄、混在している世界観だった理解していますが、本当にそれが正しいのかどうかは実は自信がありません。通時の方は人間なり生命なりがまあ少し停滞するときはあるにせよ発展していくと勝手に理解しているのですが、これももしかしたら大きな勘違いかもしれません。(今ちょっと調べたら、「日本の昔話研究には、一つの昔話の伝播の範囲を鳥瞰する「共時性」を捉えていくものと、同じ話が歴史的にどこまで遡れるかを見る「通時性」を捉えていく、という二つの手法がある。」
www.kodomo.go.jp/event/evt/ bnum/020708/symposium020708-01.html
ってあるから、大体いいのかな。)

>どんな時代であれ、時代と真向かっていこう
賛成です。でも、ほんとに大変な時代ですね。何もかも目まぐるしくて。単純に成長するって考えられた時代(70年代)が懐かしいですよ。
2006/01/21(土) 01:22:57 | URL | 建つ三介 #-[ 編集]
共時性と通時性
三介さん、コメントありがとうございます。
僕は本当に勉強不足で自分の知っていることばかりを言っているだけなのですが、僕の知識によれば、環境倫理学の本を読んだだけですが、共時性とは今の時代のことだけを考えること、で通時性とは、将来自分たちの子々孫々のことまで考えることでした。つまり環境倫理では今の都合だけを考えてエネルギーを浪費していて、通時性的な考えでは浪費できないだろう、ということです。つまり将来的に環境悪化が避けられないからです。でも共時性が横行する世界ではそのことがわかっていてもなかなか手がつけられないわけです。通時性の世であった江戸時代は結構そこらへんがうまく回転していて、リサイクルが日常的に行われていて、封建社会も悪いことばかりではないよ、という、戦後民主主義に対する環境倫理学者からのアンチテーゼだったわけです。
2006/01/22(日) 23:23:14 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
江戸時代リサイクル
僕も少しだけ、今テーマ、槌田敦さんの「エントロピーとエコロジー」で読んだことがあります。当時最大の都市だった江戸が見事な循環サイクルを行っていたのは、ペストに悩まされた不衛生だった欧州に対して、誇れる「愛すべき」日本の実例ですよね。

>共時性とは今の時代のことだけを考えること、で通時性とは、将来自分たちの子々孫々のことまで考え
ですか、結構色んな捉え方というか、使い方があるのですね。多分僕がひっぱてきたのは、あれ、フッサールだったかな、ソシュールだったかな、の用法だったか、ああ曖昧だー。また勉強しときます。
2006/01/24(火) 00:57:51 | URL | 建つ三介 #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。