「愛国」という大きな物語
その昔、「近代」という「大きな物語」が崩壊し、人々はそれぞれの居心地のいい「小さな物語」に籠ってしまい、その小さな物語同士は考えがバラバラで社会全体が不安定な状況だ、ということを社会学者がさんざん言ってたが、それはもうずいぶんと昔のことで、今はその不安定な状況を総べようとする新たな大きな物語が誕生しつつあるらしい。それが「愛国」という大きな物語だ。

アナトール・フランスがかつて「大衆に対しては、いかにしてとか、どんな具合にとか言ってはならない。ただ、<そうだ>、あるいは<そうではない>と言わなければならない」「大衆は断言を求めるので、証拠は求めない。証拠は大衆を動揺させ、当惑させる」と言って大衆を完全に見下したが、その100年前の大衆から今の少なくとも日本の大衆はちっとも進歩していない。

「日本人は最も優秀な民族である。」
「太平洋戦争は侵略戦争ではなかった。」
「従軍慰安婦に強制連行はなかった。それらはすべて朝鮮のねつ造である。」

このような大衆にとって都合のよい断言を大衆は鵜呑みにする。何の根拠もないのだが、反論の根拠を並べたところで、反日とか自虐史観だとか言われるのがおちだろう。確かに大衆は証拠を嫌う。ぐだぐだと証拠を並べるより、何の根拠もなくても気持ちのよい断言を素直に受け入れるのだ。

小泉、橋下、安倍、と何の根拠もない断言を得意とする政治家が人気なのも、こういった何の進歩もない大衆の期待にちゃんと答えているからだろう。そして彼ら大衆が「愛国」という大きな物語を醸成している。政治家はそれを後押ししているにすぎない。大衆は政治家など著名人に後押しされたいわけで、後押しされると安心して堂々と「そうだそうだ、朝鮮人なんか出ていけー!ここは日本だー!」と叫ぶ。叫ぶことにより、拠りどころを確認でき、気持ちよく「愛国」という大きな物語に回収されていく。そして「愛国」という大きな物語はどんどんと膨れ上がり、いずれ日本の上に君臨するのだろう。

しかしドイツなど欧州の大衆は100年前に比べると進歩してるんじゃないか。それが真の先進国である証しなんだと思うのだ。日本はまだ倫理面は後進国と言っていい。経済ばかりが先行した後進国。中国もそうだが、いわゆるよくある後進国より性質が悪いのかもしれない。

自分の生まれ育った国が後進国だったのだ、という事実にただただ溜息をつくしかない。そして大きな物語に回収されないようせいぜい抗っていくしかないのだろう。
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