なかにし礼「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう」
集団的自衛権の行使容認に抗議 なかにし礼さんが詩「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう」

集団的自衛権の行使容認に抗議の声を上げようと、作詞家のなかにし礼氏が詩を朗読した。これが大変な反響らしく、ぼくも読んで感動したけど、本来こういう問題は感動するとかしないとかではなく、冷静に論理的に話し合うべきことだと思う。

なのに、人間の最も弱い情緒に訴えてくることで、結果、反対意見を全く拒絶してしまっている。改憲も含めてこの問題にはっきりとした答えをぼくは用意できていない。にもかかわらず、一方的な意見だけが正義であるかのような単なるヒステリックな情緒に与するわけにはいかない。

戦争をしないのが一番だと、ぼくも当然思っている。だがそれで済まない時はどうすればよいのか、答えが出ないのだ。一方的に外国から攻めてこられることを覚悟で反対しているとはとても思えない。こちらが戦争しなければ相手が起こす戦争でこちらは殺されるだけかもしれないわけで。

原発の問題もそうだが、ヒステリックに情緒を振り回すだけの反対運動にはうんざりである。代替エネルギーのめどが立たないまま単純に反対はできないだろう。原発が無いのが一番いいのは僕ももちろん思っている。だが、原発を全部廃炉にして日本の国家財政が破綻した場合の覚悟はできているのだろうか。だからこの問題に対しても僕は答えを用意できていない。

それに対して従軍慰安婦の問題は歴史の問題なのだから、答えは一つである。強制があったのかなかったのか。じつは議論の余地はない。過去何があったのかがすべてなのだから。これから何が起こるのかではなく。なのにこれは議論しようとするわけだ。全くばかばかしい。史実は一つだというのに。史実を逃げずに検証すればいいだけだろう。

戦争も原発もない方向で、じゃ、どうすればよいのかという冷静な議論ができる空気ではないのはどうも間違いないようだ。全てが情緒的に流されていくのをじっと見ているしかないのだろうか。
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