終戦記念日に
終戦記念日というのはあの戦争がやっと終わって、日本にあんな酷い被害が二度と無いように祈る日だと思っていたけど、外国に視点を移せば、やっと日本がアジア侵略を諦めてくれた日で、もう二度とあんな酷い加害を日本がしなくなった日、として重要な日なのだ。けど、たとえば普通、新聞にそんな記事は全く無い。

新聞は、あの戦争で一般の日本人がいかに酷い被害があったかをひたすら書く。日本人にとってあの戦争はいまだに自らが被害者なのだ。加害者であってはならないわけで。日清日露と負け知らずで不敗神話が世論として出来上がっていたところに軍部が乗っかっただけなのに。真の加害者は我々一般日本人のはずだろう。

自らが加害者なのだ、と認識することではじめて、真の不戦への誓いへと結びつくはずだ。被害者意識だけではいつまでたっても他人のせいにしているばかりで、「平和」もいつまでたっても他人頼りで、他人に頼っている以上、その他人はいくらでもその「平和」を様々な認識で解釈しようとする。「平和」が他人任せである以上、その他人はその様々な解釈をいくらでも押しつけてくるだろう。

しかし日本人だけでなく、人間というものは加害者意識を絶対に持とうとはしない。自分が悪いとは思いたくないのだ、自嘲以外には。せめて昔の日本人がやったことなのだから、昔の日本人全体があの戦争の加害者だったのだという歴史認識ぐらいは持ちましょうよ。そう歴史を教えましょうよ。それぐらいはできるはずだ。今の日本人がやったわけではない、という但し書きで。

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コメント
この記事へのコメント
その逆の方向へしか行かないね。実際には。
何でなのかと思うほど、徹底的に加害者ではありたがらない、執拗に情熱的に加害を否定する方向へ行く。
連戦連勝で意気揚々と進軍して行った頃を誇らしくさえ思っている。
壊滅的に敗戦を続けていた頃も、
根本に思考停止に陥っていたから、
真実の姿も見えなかった。見ても見ず聞いても聞こえず、それが今に続いている。自尊病?(本来の意味ではないけど)他者が見えていない。上にへつらって下を苛めて陰湿な社会を作っていく。その「下」によその国まで巻き込む。
加害認識は全然無いままで行くんだろうね。
2014/08/17(日) 07:31:04 | URL | 祥 #-[ 編集]
祥さん、とにかく日本の首相や天皇が海外の現地人の戦争被害者の慰霊碑に参拝したのをあまり聞いたことがないです。このあいだ、パプア・ニューギニアに安倍首相が参拝したのは日本兵の慰霊碑でしたし。なんだと思いましたよ。日本兵かよ、って。まずは現地人の慰霊碑に参ってから日本兵の慰霊碑、という順番だろうって思いましたけど。無いのかな、現地人の慰霊碑が。
2014/08/17(日) 23:30:43 | URL | 細見晴一 #-[ 編集]
ないのかもしれないけど、
なかったら、
海にむかってでも野に向かってでも
現地の戦争被害者に向かって祈ってほしい。

いつも思うんだけど、
戦争中に日本のしたことを思ったら、
よく、これで許されているな、と思う。
もっと莫大な、日本の国力では払いきれないほどの賠償金を請求
されたって仕方のないところ。

蒋介石は賠償金を放棄してくれたし、韓国とはある程度のお金を払って、
話をつけたことになっている。
反日とか何とか言っても寛大だなぁ、と思う。
もちろんお金では償いきれないのだけれど、
お金の面だけでも、第一次大戦後のドイツのように、
めくるめくほどの賠償金を払わなくて済んで感謝すべきだと思う。
もし生命や人間の尊厳、国家の尊厳を傷つけたことを含む請求をされていたら、賠償額も莫大で、日本の戦後の復興もかなり遅れていたかもしれない。
2014/08/18(月) 09:10:51 | URL | 祥 #-[ 編集]
そうですね、現地人の慰霊碑が無いとしても、「海にむかってでも野に向かってでも現地の戦争被害者に向かって祈ってほしい。」ですね。
それからですよ日本兵に対する慰霊は。
2014/09/18(木) 22:46:32 | URL | 細見晴一 #-[ 編集]
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