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反知性主義からの脱却へ向けて
危機の20年 :北田暁大が聞く 第8回 ゲスト・小森陽一さん 文壇、論壇と言説

社会学者・北田暁大と文芸評論家・小森陽一がトランプ現象を読み解き、今後の課題を探りだす。以下、抜粋。

小森陽一 英国の欧州連合離脱、今回の米大統領選と、「やってびっくり直接民主主義」というのが連続しました。近代的な価値観が嫌なので離脱します、という感覚と言説ばかりが目立つ傾向が広がっています。

北田暁大 白人の中流・ブルーカラーで相対的に見れば所得にも恵まれているのに、何かを奪われたという思いの強い人たちが、米大統領選でトランプ氏を支持したという分析もあります。彼らは、移民や貧困層に「自分たちの享受できたはずの日常」が奪われたという「理由」で、トランプ的な近代的価値の蹂躙を、スルーしたり乗ったりしている。近代・多文化うざい、の剥奪感が蔓延している。最悪の「ポストモダン」です。

小森 この20年で、近代が創り出した言説の公共空間が急速に崩れていきました。日本でもかつての文壇と論壇のあり方が維持できなくなり、崩壊しています。

小森 漱石は、ヨーロッパが400年かけて進めた近代化を、日本は40年で実現したと認識しています。

北田 急ぎすぎた近代、短縮された近代のゆがみが明治の後期にも噴出し、大正を経て昭和においても噴出しました。

北田 今も30代後半から40代の団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニア世代は、「父母より裕福になれない」というだけの話を、自分たちは被害者であるかのように捉えています。剥奪感はあくまで相対的なもので、貧困層の苦しみや非正規雇用のシングルマザーの苦しみとは水準の違う話ですが、逆に発想する人たちがいる。原因は他にあるのに、生活保護を受けている人などが自分たちのパイを奪っているという発想になってしまっています。

小森 今復元すべき、公共空間に通用する言説をどう作っていくのか。ネット時代の今、身体的存在としての人間と、生身の身体から発話される言葉によるコミュニケーションが重要です。実際、そこから改めて自分にとって必要な文学を議論する動きも出ています。

北田 対面し信頼を前提とした人間関係と、電子空間とのバランスをどう取るのかが、個々人の幸福と公正性の実現のために、本格的に考えられないといけません。その均衡点を見つけていく仕掛けが必要です。そのためには論壇、文壇といった「壇」の外に出る、あるいは壇を元に戻す。論壇と文壇と講壇などが一緒だった、つまり一つの「壇」だったところまで戻っていく仕掛けを作り出すことが課題かもしれません。


以上、僕が以前から思っていたことそして新たなことがいろいろとあり興味深い。

日本だけの問題で言うと、欧米が苦労して作り上げた近代を日本はたった40年でコピペしてしまった。だから近代が行き詰まった時に試行錯誤の過程を経ていないので、問題解決ができない。それが例えば近代の行き詰まりの最大現象であったあの戦争の責任問題。日本人は完全に逃げてしまっている。しかし、例えばドイツは何とか対処している。試行錯誤できるからだ。

世界全体で言えば、直接民主主義の限界がはっきり見えてしまったこの一年だったが、実際に起こっているのは内側へ向かった攻撃。外側へ、つまり国外への攻撃姿勢が現れるのが戦争なら、今はそれは無駄なのであきらめて内側へ向けられているのではないか。それがたとえば、国内での少数民族差別であり、性的少数者への差別。そして今年になって起こってきたのが、長谷川豊や小泉進次郎による医療費をめぐる人の選別。しずれにしろ、少ないパイを出来る限り自分たち以外へは渡すまいという陰湿な執念が見える。そしてそのためにまっとうな日本人、という幻想を作りだす。これは欧米も同じ。

そして二人が強調するのは、これらの問題意識を一般に届けるための言説の復活。たとえば文壇と論壇の活力ある結びつきをもう一度復活できないか、とうこと。つまり反知性主義からの脱却だ。
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