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高校国語から文学が消える?
今日の毎日新聞から阿部公彦さんと田中和生さんの対談。

大原 「国語教育やテストから文学が消える」という議論がありますね。紅野氏の新書で問題が指摘されています。

阿部 「国語」を形式的な論理を学ぶ科目ととらえる考え方が跋扈しているんです。

田中 言語を一種の情報ツールとみなす考え方ですね。

阿部 そうなんです。かつて科学が発達しつつあったイギリスでも同じことがあった。「物と言葉は一対一の対応が可能」という考えです。文学者は反発した。言葉と物が完全に重なるという理念に依存するのは危険です。人間には思惑があるから、言葉はつねに表面的な字義と含意がずれる。それを先鋭に表現するのが文学。それに、誤解や意味のずれからこそ、新しい認識や文化が生まれる。文章の根本にはそういう把握困難な「他者性」があるということを、さまざまな出合いを通して生徒に実感させるのが国語の本務だと私は思います。

田中 一対一で対応させるのは、それぞれの人間にある言語のデータベースが一致しない以上、不可能な夢という気がしますね。教育現場にその考え方がやってくるのは危険で、そこでは文学を読むことが不可能です。でも、メール一本打つのでも文学的な言葉の使い方をするし、情報だけでは返事ももらえない。


物と言葉が一対一に対応していないからこそ、そのずれから様々な豊かさが生まれてくる。
そして言葉は常に変わろうとしている。辞書に載っている意味はほんの参考程度に過ぎないのだから。
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