Stand Alone Complex
前エントリーの続きである。
映画版『攻殻機動隊』に飽き足らず、TV版『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』まで見た。26話全部見た。要するに嵌まったのである。
もちろん映画版に比べてアニメの質はかなり落ちる。これは仕方ない。また映画版がその作品世界を描くことに心骨砕いていたが、TV版はキャラクターの内面を描くことを割合とやっている。これも仕方ない。お茶の間で流れるのだから、口当たりのよいキャラクターが望まれる。しかし全部見終わって、その作品世界は映画版に匹敵するかあるいは凌駕しているかも知れない、と気がついた。異色のキャラ「笑い男」の存在が全篇を覆っていることにもよるだろうが、ここではそれについては言わない。ここでは副題にもなっている〈Stand Alone Complex〉という言葉について考えてみたい。かなりの多義性を感じさせてくれるからだ。その前にこの物語の概略を、参考までにあるサイトからそのまま引用する。

西暦2030年――あらゆるネットが眼根を巡らせ、光や電子となった意思をある一方向に向かわせたとしても“孤人”が複合体としての“個”になるほどには情報化されていない時代……。
情報ネットワーク化が加速度的に進展し、犯罪が複雑化の一途を遂げる社会的混乱の中、事前に犯罪の芽を探し出し、これを除去する攻性の組織が設立された。内務省直属の独立部隊公安9課、通称「攻殻機動隊」である。
公安9課の役割は、深刻な電脳犯罪への対処、国内における要人の援護、政治家の汚職摘発、凶悪殺人の捜査から極秘裏の暗殺まで、多岐に渡っている。彼らは電脳戦を最も得意としつつ、高性能義体を生かした物理的な戦闘においても特筆すべき能力を発揮する、精鋭部隊である。


ようするに手に汗にぎる、近未来ポリスアクションである。彼ら攻殻機動隊の隊員はほとんどが完全サイボーグ化、電脳化されてはいるが、なかには生身の人間もいて、サイボーグとは何なのか人間とは何なのかネットとは何なのか、と常に問いつつ、真の人間性とは何なのかということを逆照射してくる仕掛けだ。これは映画版からの統一した思想だろう。だがTV版ではもう一つ、組織とは、社会とは何なのか、ということも問うてくる。それが〈Stand Alone Complex〉という副題に集約されているのでは、と思うのだ。

〈Stand Alone Complex〉には様々なとり方があるようだ。僕は英語はあまり得意ではないが、英語というのはどんな場合も単純に上から読み下せばいい。まず〈Complex〉は複合体という意味で、劣等感という意味は本来無い。あれは日本語の〈コンプレックス〉だろう。〈inferiority complex〉ではじめて劣等感になる。だから〈Stand Alone Complex〉は〈Stand Alone〉つまり〈独立して機能している個〉の〈複合体〉になるだろう。つまりこの社会そのものを最も簡潔に説明しているに過ぎない。意味そのものは単純である。

意味は〈独立した個の複合体〉だが、とり方はいろいろある。
まずこのアニメに即して見ていく。
第何話だったか忘れたが、公安9課の荒巻課長が部下である攻殻機動隊の隊員に訓示みたいな形でこう言う場面があった。

「我々の間にチームプレイなどという都合の良い言い訳は存在せん。あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ」

最も活性化した理想の組織がこうなのだろうか。組織に依存しない完全に独立した〈個〉の集合体である組織。このセリフ自体が〈Stand Alone Complex〉をよく説明していると思う。

また最終話では、笑い男と草薙素子の会話で、一連の「笑い男事件」のことを草薙は〈Stand Alone Complex〉だと説明する。つまりそれぞれの事件は全く別人が個別に起こしていたにもかかわらず、全体が連なった一つに事件のようになっていた、ということだ。(このことはこのアニメを見た人にしかわからないだろうけど。)

次にこのアニメから離れて見てみる。
〈Stand Alone〉というのはその〈個〉だけで完全に独立して機能している、という意味合いだろう。それが複合体となって、別に機能するわけだ。そういったことは世の中たくさんある。多義性というよりは普遍性が高いと言うべきか。

卑近なところではW杯サッカー。欧州や南米の強豪国を見ていると。まず〈Stand Alone〉の能力が極めて高いことが誰にでも見てとれる。それでいて監督コーチを含めて、どれだけ質の高い〈Complex〉を作り上げることができるか。その両方にかかっている。日本はまず〈Stand Alone〉の能力が低い。これは仕方がない。欧州や南米はもうおそらく100年ぐらいはサッカーばかりやってきたのである。一方、日本の子供たちの遊びの定番が野球からサッカーに変わったのはここ最近10年ぐらいだろうか。全く歴史が違う。何か日本人は勘違いしてたのではないか。日韓W杯で決勝トーナメントに進出したがあれはもちろん地の利である。メジャーリーグでイチローなどが大活躍するのは、もちろん日本における野球の伝統がなせる業だ。もう野球は本場アメリカのベースボールにまったく引けをとらない時間と労力を充分にかけ、日本のほとんど国技とすら言えるまでになっている。サッカーと一緒にはならない。あらゆるスポーツで日本が世界のトップレベルに今すぐなれるわけではない。ほとんどアウェーと言っていい状況で欧州の準強豪国クロアチアと引き分けたのは快挙と呼ぶべきだ。サッカー後進国の日本からすればこれはもう画期的なことなのである。
W杯サッカーこそ〈スタンドプレーから生じるチームワーク〉つまり〈Stand Alone Complex〉の最高の結実かもしれない。他のスポーツよりもそれを感じる。だからこそ多くの人を魅了するのだろう。だからこそ高いレベルの〈Stand Alone〉と質の高い〈Complex〉が何よりも要求される。日本はまだそれに取り掛かったばかりだ。

あと、これは個人的なことだが、俳句、短歌の、句会や歌会も、どこにも依存しない〈Stand Alone〉の集合体が最も盛り上がるかもしれない。確かにそうだ。だがあんまり〈Stand Alone〉が深いとバラバラになり会が成立しないだろう。ある程度似た方向の人が集まってた方がいいし、何らかの方向性は示されるべきだろうとは思う。しかしやっぱりある程度はバラバラな方がいいのだ。何事もバランスである。句会や歌会もまたべつの意味合いで〈Stand Alone Complex〉なのだろう。

見方を変えて、日常にもこの〈Stand Alone Complex〉はあるだろう。
たとえば家族。家族もまた一つの〈Stand Alone Complex〉である。だが近代、たとえば昭和30年代の家族と今の家族を比べた場合、その〈Stand Alone〉の質が変化しているのがわかる。それは情報が溢れかえったこの現代においては、一人一人はそれぞれの小さな物語に閉じこもり充足してしまい、その充足した〈Stand Alone〉が寄り添って〈Complex〉を形成できるだろうか。家族内で郵便的不安があまり激しく起これば、家族はもう成立しないのではないか、という危惧に襲われる。
またこの社会も一つの〈Stand Alone Complex〉である。その社会にも同じことが言える。一人一人が自分の小さな物語に閉じこもり、充足してしまうと、それを覆うべき大きな物語(たとえば政治)に興味を持てなくなるのではないか。だから今の政治家はやりたい放題なのかもしれないし。またこの社会という大きな物語に参加する(つまり働く)ということ、にすら興味を持てなくなるのではないか、とか、働く意味が見出せなくなるのではないか、とかいろいろある。今のニートや引きこもりに様々な要因があるだろうが、ひとつは真面目過ぎて、働く意味が見出せないまま、家にこもっている人もいるだろう、おそらく。
たとえば夫婦もまた一つの〈Stand Alone Complex〉である。海老坂武の著書に「恋愛は自由である。しかし、結婚は一時的な錯乱である。」とあるらしい。確かに返す言葉も無い。この人はシングルライフを強く押しすすめるが、その〈Stand Alone〉の果てにあるのはなんだろう。このアニメで笑い男が最後に言ったようにそれは絶望ではないかと思えてならない。個人がばらばらではたして夫婦が家族が社会が成立するだろうか。だが情報が溢れれば溢れるほど、〈Stand Alone〉はより深くなる。より〈個〉が自立することになる。〈Stand Alone Complex〉はより複雑な様相を呈してくる。
〈complex〉にはもう一つ、心理学用語で〈抑圧によって潜在化した複雑な感情〉という意味がある。たとえば〈mother complex〉は母親に対するねじれた複雑な感情である。〈inferiority complex〉もこの意味から略して〈劣等感〉という意味になる。〈Stand Alone Complex〉についてここまで考えてくると、その意味で考えることもできなくはない。つまり〈独立した個に対する潜在化した複雑な感情〉、とでも訳せようか。これはまさに東浩紀の言う〈郵便的不安〉のことではないだろうか。東浩紀は、個人の〈孤〉がより深まれば深まるほど意思の伝達が難しくなることを言っていたが、そういった焦燥感のようなものを〈Stand Alone Complex〉と言えなくもない。

別のあるサイトにこのアニメに対してのこんな説明があった。前掲と少しダブるのはどっちかが引用をしているのだろう。

■作品世界
西暦2030年、日本。情報ネットワーク化が進み、大戦が終局を迎えた政治的混乱の中、犯罪の芽を探し出し、これを除去する攻性の組織…内務省直属の独立部隊、公安9課、通称「攻殻機動隊」が設立された。
 公安9課の役割は、深刻な電脳犯罪への対処、要人警護、暗殺、政治家の汚職摘発から、凶悪殺人の捜査にまで、多岐に渡っている。
 世界規模で縦横無尽に情報網が張り巡らされた結果、情報操作、ゴーストハック、不正アクセスが加速度的に進展し、そうした状況に対する素朴な反動として、スタンドアローン状態=ネットワークから意図的に離脱している人々が出現。
 その反面、電脳化された人々は、外界の情報から隔離されスタンドアローン状態でいつづけることに焦燥感を持ち、そうした心理状態を“Stand Alone Complex”と名づけた。
 電脳によるハッキングでもなければ、宗教でもなく、ましてや洗脳でもない。ゆるやかに一つの複合体“Complex”を構成するようになった彼らは、皮肉なことに、不在であるが故に求心力を発揮する、電脳世界におけるある種のネットカリスマになっていった。
 やがて、そのネットカリスマを取り巻く事件はやがて思わぬ方向へと発展を見せることになり、一連の事件はもはや事件ではなく、現象へと変換されていくことになる…。そうした現象を目の当たりにした際に、公安9課はどう対応するのだろうか?

〈外界の情報から隔離されスタンドアローン状態でいつづけることに焦燥感を持ち、そうした心理状態を“Stand Alone Complex”と名づけた。〉ここだけとると〈郵便的不安〉という概念に近い。それ以下に書いてあることは一連の〈笑い男事件〉のことだろう。だがその彼らが〈ゆるやかに一つの複合体〉を形成することになるのはもう確かにこの現代でも何らかの兆候があるのかもしれない。それぐらいこのネット社会は表の現実の社会とは別に独立して機能するべく、この今も増殖しているだろう。

ここまで考えてみて、〈Stand Alone Complex〉には二つの意味があるのがわかる。〈独立した個の複合体〉と〈独立した個としての焦燥感〉と。

いずれにせよ、人間社会がスタンドアロンの複合体である限り、スタンドアロンであることの焦燥感がなくなることはない。
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コメント
この記事へのコメント
S.A.C.とリゾーム
他のサイトでcomplexを劣等感とのみ解釈しているのにずっと違和感を感じていました。
私も複合体としての意味を第一義に捉え、その上で劣等、焦燥としての意味を解釈する細見さんの見解に共感します。

ところで続編、攻殻2ndGIGS.S.S.では、リゾームという概念が出ます。
これは攻殻に限らず一般的な用語だと思いますが、複合体を捉えるもうひとつの重要な概念ではないかと感じています。
S.A.C.を、独立した個の複合体とするならば、リゾームは似て非なる、独立できない(依存しあった)個の複合体ではないかと。
そしてスタンドアロン力の弱い日本のサッカーチームや社会組織は、ひいては大衆は、S.A.C.よりもリゾームの状態に近いのではないか?
持ちつ持たれつ、自己判断はせず隣に追従、というやつです。

そして僕には、その、判断できず追従するだけのリゾームを、
自分に追従させているスタンドアローンタイプの支配者が、幾人も潜んでいるように見えます。
リゾームの中に。自分もリゾームの並列な一員であるふりをして。

話はそれましたが。
2008/07/11(金) 12:44:05 | URL | eiryo #xWc5w/R2[ 編集]
ありがとうございます
eiryoさん、はじめまして。
いろいろとご意見ありがとうございます。書いた甲斐がありますね。

2ndGIGも大変面白く、全部見たのですが、リゾームという概念には気がつきませんでした。哲学には疎いのでまた勉強しておきます。
2008/07/11(金) 21:56:39 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
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2010/10/01(金) 22:37:53 | | #[ 編集]
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