郵便的不安な〈私〉
たまには歌論を。といってもおよそ歌論らしくない評論文を、僕が所属する短歌結社誌『未来』の7月号に掲載させていただいた。

歌人は、短歌がどうあるべきか、に非常にこだわる傾向がある。だが僕はそんなことにほとんど興味が持てない。興味があるのは、短歌に何ができるか、である。この古来より伝わる詩形にどんな可能性が残されているのか、その一点のみだ。『未来』はそういったことをある程度自覚して活動する、数少ない短歌結社だろう。いいところに入ったとつくづく思っている。だからこんなハッタリ評論文でも受け入れてくれたのだと思う。他の結社ならたぶん突っ返されたに違いない。
田中槐氏はじめ『未来』編集部にはただただ感謝をしております。

『未来』では評論12章、というのが年間通じてあり、一ヶ月に一人づつ共通のテーマで評論文を競い合う。今年のテーマは「短歌とインターネット」である。7月号が僕の当番だった。

以下にその全文をそのまま抜粋します。
何かコメントくだされば大変ありがたいです。


郵便的不安な〈私〉                細見晴一

人間とは情報を処理して生きていく動物である。太古より黙々と人間は情報を処理してきた。昔の人間と現代に生きる人間とで、それが同じ進化の途上だとすれば、おそらく処理できる情報の総量は変わらないはずだ。変わったのは情報の質の方である。昔ほど情報の数は少なかったはずで、現代ほど情報の数が膨れ上がっている。これは何を意味するだろうか。人一人が処理できる情報の総量が昔と今で同じだとすれば、一つ一つの情報の重みが違うはずである。昔ほど情報の数が少なかった分、一つ一つの情報に重みがあったのに違いない。たとえばある人が死んだ、という情報の重みが昔と今とで違うのは、現代に生きる人間なら誰しもがなんとはなく感じていることだろう。

一方で、情報の質の変化を考える場合、「音声言語による伝達」→「文字の普及」→「印刷技術の普及」→「電気、電子メディアの発達」→「インターネットの普及による情報化社会」、とお決まりのメディアの歴史というのを振り返らなければならないが、ここではまず、それらを睨みつつ、近代短歌との比較、ということで、たとえば大正から戦前における時代の、情報の質について少し考えてみたい。

この時代、印刷技術の普及などにより、ある程度情報の数が出回っていて、一つ一つの情報にある程度の重みはあるが、軽くも重くもない状態で、程々に処理しやすい形にあったと思われる。そしてそれらの情報は処理できるのに困らない数であっただろう。つまり多すぎて処理するのに難儀するというほどではなかったはずだ。そういった社会では皆が処理できる共通の大きな物語が存在できる。もちろん各々が属する小さな物語はあっただろうが、それらを包括する大きな物語が存在していたはずだ。そしてあらゆる小さな物語は大きな物語の支配下にあっただろう。それが近代である。そういった共通の大きな物語での〈私〉が同じ大きな物語の中の住人に認知されるのは容易なはずだ。極論すれば物語は一つしかないわけで、あらゆる人が同じ物語の中にいるとみなすことができるからだ。だからこそ近代短歌においては、より突っ込んだ深く掘り下げられた内面の〈私〉でさえ他の人に通じたし、受け入れられるのに抵抗がなかったのではないか。それがまず近代短歌における〈私〉の前提だっただろうと思うのだ。

翻ってこの現代においては、メディアの発達からインターネットの普及に伴って、流通する情報量全体が一人の人間で処理できる量を遥かに上回ってしまった。情報が蛇口をひねればいくらでも出てくる状況で、人はどんなふうに情報を処理するだろうか。おそらく誰もがいくらでもある情報の中から、自分の好きな情報を真っ先に摂取するだろう。そしてその好きな情報がいくらでもあれば、まだまだその摂取を続けるだろう。そして同好の士同士で小さな物語を作り、その中だけで閉じこもることになる。いわゆるオタク化である。以前誰もがわかることのできた共通の大きな物語は次第に影が薄くなり影響力を失っていく。なぜなら自分の好きな小さな物語の方が居心地がいいからで、それでよければ人間というのはそれ以上のことを欲したりはしないし、まして共通の大きな物語というのが、自分の好きな小さな物語に比べて興味を引かなければなおさらである。そうしてかつての大きな物語は、小さな物語にかつてほど影響を与えなくなり、大きな物語としての価値を次第に失い、無数にある小さな物語の一つに過ぎなくなろうとしているのではないか。
本来小さな物語同士の鎹(かすがい)となるべき、共通の大きな物語が消失しかねないことになり、人はそれぞれの小さな物語の中に閉じこもるしかなく、その中だけで情報交換をして満足することになる。そうして各々の小さな物語はより深化し、断片化し、孤立化して、それぞれの小さな物語同士は情報が伝達されにくい状況が形成される。この状況を哲学者の東浩紀はデリダの隠喩を借りて〈郵便的不安〉と名づけた。つまり自分の居る小さな物語からもう一つの小さな物語へ手紙が届かないのではないかという不安。あるいはこちらに届いた手紙がどこからどういう経路で届いたのかわからない不安。これを〈郵便的不安〉と名づけたのだ。

この〈郵便的不安〉な状況の中で、短歌における〈私〉というものはどうなるだろう。その小さな物語における〈私〉がもう一つの小さな物語の人々に通じないのではないか、という不安、無意識にそういった不安に駆られる中、歌人はまたこれも無意識にその不安を解消しようとしないだろうか。もちろん小さな物語の中だけで通じる〈私〉に満足する歌人もいるだろう。そういった短歌もいま実際に流通しているに違いない。だが歌人に限らず表現者というものには〈郵便的不安〉を解消しようとする方向に常にバイアスがかかるものだと僕は信じたい。

七十年~八十年代におけるメデイアの急速な発達で、情報の質が軽くなり、それとともに言葉そのものも軽くなった。そして人々の価値観及び嗜好が多様化してきて、少し郵便的不安が生じてきた中、歌壇に登場してきたのが俵万智である。俵はその軽くならざるを得なかった言葉を口語に置き換えることにより、その多様化する価値観、嗜好の中の最大公約数的な数値をうまく掬い上げた。それは近代短歌における、より突っ込んだ深い〈私〉ではなく、浅い最大公約数的な〈私〉であったが、だからこそ万人の指示を得たのだ。

「 嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
俵万智『サラダ記念日』

自身の経験に寄り添いながらも、誰もが入り込める〈私〉を無意識に歌った。自分だけのいわゆる近代短歌的〈私〉の外側に誰も傷つかない緩衝壁のような最大公約数的な〈私〉を新たに作ったのだ。それは誰も傷つかないし、彼女自身も、傷つくことはない。自分を剥き出しにしない。これは一方で、この世代特有の弱さだったのかもしれないが。
そしてこの世代を中心に口語短歌が大流行となったが、彼らは様々な姿態を示しながらも、〈私〉を微妙にずらしてきた。この時代、ストレートな〈私〉が短歌であれなんであれもう通じないのではないか、という無意識の不安が彼らの世代にあったのか。短歌というのは相手に通じなければどうしようもないわけで、いかにして〈私〉を相手に伝えることができるのか、ここにかかっている。だから歌人はいつでもその時代の空気と馴れ合いながらも、如何にその中で〈私〉を伝えることができるのか、と無意識に工夫を凝らすのだろう。

そして九十年代に入り、情報化社会が本格的に到来し、〈郵便的不安〉が人々をさらに広く覆い、社会はさらに小さな物語へと断片化し、よりパーソナルな世界へ潜り込もうとしていた。歌人はその中で〈私〉を表現し伝達するのに苦悩したはずだ。大きな物語が消失しようとする今、その歌人だけの〈私〉はもはや通じない。ネット短歌が何故だめなのか。その大半はおそらくその歌人が属する小さな物語の中だけでしか通じない〈私〉ばかりを書くからだろう。それはこちらには伝わってくるはずがない。また逆にこの現代に近代短歌的〈私〉を書くことも、それも結局一つの小さな物語でしかもうなく、それ自体もう立派な「オタク」なのである。
そんな時代だから歌人は〈私〉を揺さぶり、ずらし、変形させ、あるいは不完全にさせ、時には分裂すらさせて、何とか伝達可能な〈私〉を創出しようとしたのではないか。八十年代もそうだが彼らは決して、時代の先端的モードを気取ったわけではない。最先端にしがみつかなければ自らを表現することができなかったからだ。それぐらい〈私〉はもう追い詰められていたのかもしれない。

だがここで、九十年代に入る前、まだコンピューターが一般に普及する前に、まるで予言者のように、加藤治郎は自身と社会状況とを結び付けるインターフェースとして、〈ハルオ〉というもう一人の〈私〉を創造していた。

むらさきの光をひらき仕様では象の頭を消すプログラム
パケットに刻まれてゆく藍いろの一行 はてしなくもどせない
言葉ではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン!
1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0
磁気テープ額にこすりつけられて俺はなにかをしゃべりたくなる
加藤治郎『マイ・ロマンサー』

コンピュータエンジニアだった作者は来るべき時代をもう肌で感じていて、「人間の質が変わる」ということを痛切に感じていたのかもしれない。その「ヤバイぞ」という気持ちを自身の分身である〈ハルオ〉に託したのではないか。そうやって〈私〉を分裂させなければ〈私〉が通じない状況を作者は予感していたとも言える。それはひょっとしたら他の物語に入っていくための切実なる手段だったのかもしれない。自身を覆う、言葉にはできない閉塞感の打破。表現者である以上、壊さないわけにはいかない障壁があったのだろう。もう一人の〈私〉は決して演技でもシミュレーションでもなく、歌人の切実な内なる要求であり、リアルであったはずだ。
本格的にインターネットが普及し情報化社会となるのは、この十年以上はあとだった。そのとき郵便的不安がなおも深まり、小さな物語の個別化が進み、社会がいよいよ断片化していって、最大公約数的なものすら通じなくなっていたのだ。〈ハルオ〉は明らかに時代に先行して現れたのだった。

そして九十年代後半、情報化社会がいよいよ本格化し、そこから忽然と顕れたのが中澤系だった。

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
生体解剖(ヴィヴィセクション)されるだれもが手の中に小さなメスをもつ雑踏で
キャンディーのいくつか平行世界(パラレル)ではたぶんつまみ上げられなかったほうの
駅前でティッシュを配る人にまた御辞儀をしたよそのシステムに
ぼくたちが無償であるというのならタグのうしろを見てくれないか
中澤系『uta 0001.txt』

黒瀬珂瀾はこの歌集評「遍在化への誘惑」(未来・2004年七月号)で、〈私の遍在化〉という言い方を持ち出している。特に一首目の発話者が〈世界に遍在した意識存在〉ではないかと鋭く指摘している。なるほどそうだ。若い人に特有の閉塞感、そういった日常からの打破、それが中澤の場合、〈私〉の拡散、あるいは〈私〉のこの世界中への遍在化という形で現れていることは、たしかにこの歌集全体に窺える。それはおそらく八十年代以降の〈私〉の遍歴を見るにつけ、当然の帰結と言えなくもない。〈私〉を拡散し〈私〉を遍在化させることで、なんとかこの断片化した社会で、他の小さな物語への通路を見出そうとしたのかもしれない。それは大きな物語が失われようとしている今日、遍在化された視点、すなわち言い換えれば、それぞれの小さな物語に潜り込める視点こそが、この世界をパースペクティブに見渡せる唯一の視点なのかもしれないからだ。

短歌は常に時代に曝される文芸である。曝されていないとその存在価値を失う文芸である。
この郵便的不安な〈私〉が蔓延する、このそれぞれが孤立したパーソナルな社会で、短歌は〈私〉をどう表現すればその〈私〉が通じるのか。つまり郵便的不安を感じなくて済むのか。社会が今まで以上に断片化し、混沌としてくる中、これからも歌人は様々な試みを無意識に行なうだろうし、きっとその工程はまだ始まったばかりなのかもしれない。しかし一方でもうこれ以上はないのかもしれないが。
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コメント
この記事へのコメント
こんにちは。
実は私は自分のブログに自分でコメントできない環境にいるので(^^;、こちらにおじゃまいたします。

不安はなくならないと思うなあと。

短歌に何が出来るのか、今後の作品楽しみにしています。
2006/07/20(木) 22:21:35 | URL | シキ #Gu5.ItHg[ 編集]
増幅する不安
シキさん、長い文章を読んで頂いてありがとうございます。

不安はもちろんなくならないでしょうね。ますます増幅すると思います。しかし最も厄介なのはその不安を不安と認識しないことです。こうなれば世の中はもう完全にバラバラでしょうね。
2006/07/21(金) 00:02:16 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
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