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罵倒語について少し
前から罵倒語に関しては少し気にはなっていたのだが、あのジダンの頭突き以来、大いに気になるようになった。ジダンが一体何を言われてカッとなったのかはかなり微妙なとこで、イタリア語がわからない以上詮索しても仕方ないのだが、どうも聞いた話、ラテン系の民族はわりと性的な罵倒語を日常的に使うらしい。それもかなりきついのを。そこが日本人とは感覚がずいぶんと違うだろう。
日本語で罵倒語といえば、「クソッ」「畜生!」「バカ野郎」「ふざけんな」「なめんなよ」「殺すぞこの野郎」とかで、性的なものもあるだろうがあまり聞かない。それが英語になると「motherfucker」なので、日本人としてはこれだけで引いてしまう。いちいち相手を罵倒する時に「てめえおふくろさんとやっただろう」と普通言うかあ?という気持ちに誰もがなるに違いない。だが罵倒語というのは実際その意味をきちんと把握して言ってない場合が多いはずだ。はずだがここら辺が実に微妙なところではある。

「クソッ」「畜生!」を字義通りに捉えて怒る人はいるまい。字義通りに捉えたらこれはもう大変な侮辱であり、名誉毀損に発展するかもしれない。
たとえばこれは罵倒語というよりじゃれあい語だろうが、中高校生の時など男子は級友と冗談を言いながら、きつい冗談を言われたときなど「殺すぞこの野郎」とかよく言ったものだ。僕もよく言った記憶があるし言われた記憶もある。この場合の「殺す」はもちろん言葉の本来の意味とはかけ離れていて、むしろ相手の冗談のきつさを褒め称えるニュアンスがあるぐらいだ。だから別れ際にはちゃんとこう挨拶して別れないといけない。「いっぺんおまえだけは殺したるからな、覚えとけよ!」とニヤニヤ笑いながら言われればこちらも「おう、やれるもんならやってみい」とやはりニヤニヤしながら、手を振って別れるのである。これがかつての男子中高校生の礼儀だ。今は知らないが。

英語で「Oh my god!」と言えば、日本語に訳すとすれば「何てことだ」ぐらいだろう。映画の吹き替えで「おお神様!」と直訳したのにはまず出会わないが、例外もある。『マトリックス・リローデッド』ではじめてスミスが自分のコピーを作る場面で、相手の腹に自分の手を入れた瞬間相手は「Oh God!」と唸る。これを吹き替えは「おお、神様!」とちゃんと訳していた。次の瞬間スミスが「いいやスミスで結構だ」と返すからである。「神様」と訳さないとこの気のきいたスミスのセリフが理解できない。だからあえて「おお、神様!」と訳したのだろうが、この場合意味としては「何てことだ」でいいと思う。だがちゃんと「神様」という意味が英語でもこの場合通っているのはいるのである。実に微妙だろうが。ここが日本語の「畜生」とは違うのかな、と思った。「畜生」は意味が完全に消滅してしまっているが、これと同じ意味の「ケダモノ」という罵倒語は意味がはっきりと今でも生きている。とまぁこんなふうに、罵倒語の意味は実に微妙である。当事者しかわからない微妙なニュアンスがあることが多いのだろう。

東浩紀的に言えば、上記の男子中高校生の場合、「殺すぞ」という言葉が仲間内で、字義通りつまりコンスタティヴに受け取られることは絶対にない。完全にじゃれあっている場合ただただ、修辞としてつまりパフォーマティヴにのみ受け取られるのである。だから安心して彼らは「殺すぞ」と言うわけだ。これは信頼関係があってはじめて通用する。
しかしこの場合は罵倒語ではなくじゃれあい語だからそうなのだが、罵倒語の場合、その中間を意図的に狙うこともあるだろう。おれはパフォーマティヴに言ってんだぜ、だからそう受け止めろよ、と。だが実は裏でコンスタティヴに受け取られることを狙ってはいるのだ。
ジダンがマテロッティに何を言われたか我々にはわからない。ましてやイタリア語だからわかろうはずがないのだが。最初に書いたとおり、ラテン系は性的な罵倒語が相当きついらしい。日本語に訳したら「おまえの母ちゃんでべそ」になっても、それは日本語にはない罵倒語だからそう訳すより他にないわけで、言われた本人はそうは受け取れないこともあるだろう。ましてジダンはフランス人である。イタリアのセリエAに在籍していてイタリア語がいくら堪能でも、罵倒語の持つ微妙なニュアンスまで理解できたかどうかはかなり怪しいと思う。マテロッティはそこまでわかってておそらく狙ったのかもしれない。俺はパフォーマティヴに言ってんだから、そう受け取れよなぁ、と、だが実際はコンスタティヴな意味も最初から通すつもりだったのではないか。

つい最近、二十代の兄弟で殺人事件があったが、日頃何もしない兄に対して片付けるようにと弟が忠告したら、兄は「殺したろうか」と言ったという事だ。兄はおそらくコンスタティヴとパフォーマティヴの中間を狙ったのではないだろうか。それを弟はコンスタティヴにのみ受け取って兄を殺したというのだ。弟はそう言っているが、兄弟なのだから、弟の方もパフォーマティヴにも受け取っていたに違いない。だがいい加減兄に我慢ならなかったのだろう。兄の言う「殺したろうか」の中に、コンスタティヴなニュアンスを微妙に嗅ぎ取っただけでもう切れてしまったのかもしれない。

世の中がすさんでくればくるほど、言葉がパフォーマティヴに通じることはなかなか難しくなるのかもしれない。実際今、男子中高校生は「殺すぞ」という言い方をするのだろうか。使ってはいるとは思うのだが、今度高校の先生に会ったら忘れずに聞いてみようと思う。
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