反語表現について少し
ひょっとしたらSugarcubes(シュガーキューブス)がすべての始まりだったのかもしれない。少なくとも僕にとっては。

1988年、Björk(ビョーク)(参照)(参照)率いるアイスランド出身の6人組ロックバンドSugarcubesがその先鋭的で退廃的な音楽でイギリス中を席巻した。シングル「Birthday」(参照)がイギリスのチャートで1位。アルバム『Life's Too Good』も1位。アメリカや日本では余り売れなかったが、さすが当時ロックミュージックの最先端に居たイギリスである。この逸材を見逃さなかった。
Björkは12歳のときからアイスランドで歌手としてデビューし、国民的スターになっていたとのこと。14歳から20歳の間、次々とバンドを結成しては解散させ、21歳のとき当時のアイスランドの新進の詩人を招聘してこのSugarcubesを結成した。たぶんその詩人が歌詞を書いたのだろう、ある曲に当時ぼくは完全に嵌まっていた。それはアルバム『Life's Too Good』に収められた「Delicious demon」(参照)という曲である。

以下にその原文と、英語が苦手な僕が訳詩(訳:Kuni Takeuti)を参考にして僕なりに改めて訳した対訳を載せる。対訳は意味を解釈する上での参考程度で、肝心なのは原文である。
Björk(女性)とEinar(男性)の掛け合いのラップのような音楽である。
He how!はおそらく掛け声とか合いの手のようなものだと思い、訳していない。

Sugarcubes
Life's Too Good (1988)
Delicious demon

原文                  対訳
Björk
Heeeeeeee how!             ヒィーーーーーィハウ!
He how! He how!             ヒィハウ!ヒィハウ!

Einar
One person calls someone         一人が誰かを呼んで
To pour the water,             水を注ぐ
Because it takes two to pour the water, 水を注ぐには二人の人間が必要だから

Björk
To plough takes two as well,        土を耕すのにも二人必要だわ
But only one to hold up the sky.     でも空を持ち上げるには一人で充分

Einar
To plough takes two as well,        土を耕すのにも二人必要さ
But only one to hold up the sky.     でも空を持ち上げるには一人で充分

Einar
One plays the harp,           一人がハープを弾き
beats a rock with a stick,        スティックでロックのビートを刻む

Björk
One plays the harp,           一人がハープを弾き
beats a rock with a stick,        スティックでロックのビートを刻む
Becomes a priest at least,        そして少なくとも司祭か
a delicious demon.           ステキな悪魔になるのよ
Hee how!, hee how!, hee how!      ヒィハウ!、ヒィハウ!、ヒィハウ!

Einar
Least, a delicious demon.        そうさ少なくともステキな悪魔に

Björk
Delicious demon, delicious demon,    ステキな悪魔に、ステキな悪魔に
Delicious demon, delicious demon    ステキな悪魔に、ステキな悪魔に

Björk
Two men need one money        二人の男が一つのお金を必要としても
But one money needs no man,     一つのお金は誰も必要としないわ
One is on ones knees,          一人はひざまずいて
loses ones head,            首を斬られるのよ
Except maybe a delicious demon,    たぶんステキな悪魔のほかはね
hee how!                ヒィハウ!

Einar
Two men need one money        二人の男が一つのお金を必要としても
But one money needs no man,     一つのお金は誰も必要としない

Einar
Two men need no money        二人の男が一つのお金を必要としても
But one money needs no man      一つのお金は誰も必要としないわ
One is on ones knees           一人はひざまずいて
Looses one head             首を斬られるのよ
Except maybe a Delicious demon     たぶんステキな悪魔のほかはね

Björk
Then one is no longer           もう一人はどこにもいないわ
Then one is no longer           影も形もないわ
Then one is no longer           消えてなくなったわ
No longer!               もう!

Björk & Einar
Delicious demon             ステキな悪魔は
Delicious demon             ステキなあいつは
Delicious, oh here he comes again waouh! また戻ってくるくる
Delicious demon             ステキな悪魔
Delicious demon!             ああ、ステキな悪魔!
So Delicious!               なんてステキなの!


〈Delicious demon〉を〈ステキな悪魔〉と訳したが、ほかに訳しようがないのでそうしたまでで、この場合〈Delicious〉という音がとても大事でここはもう〈Delicious demon〉とそのまま原文どおり把握してもらうより他にない。つまり〈Deliciousな悪魔〉なのだと。
読んでわかるとおり、この曲はお金が中心で動くこの世界そのものへの痛烈な批判である。それが〈Delicious demon〉という強烈な反語でもって表現されている。この場合の〈Delicious demon〉がなんなのかというのは我々日本人には実は難しい。アイスランド人の宗教はアニミズムのようなところがあるらしく、別の曲「Deus」(参照)にもそれがうかがえるが、具体的に誰かを指すのではなく、超常的な存在として扱われているような気がする。つまり巷に遍在するのである。だからここの歌詞に匂わせてあるような音楽家のことではないだろう。
水を注ぐのにも土を耕すのにも、二人要るが、お金は誰も必要としないか、せいぜい必要とするのは一人である。そして他の一人は首を斬られる。
近代から現代の社会の縮図を神話的に表現し、〈Delicious demon〉を決して罪悪としてではなく、遍在する真理として強烈な反語で締め上げた。〈Delicious demon〉という言葉でもって、この世界の不条理から逃げずに正面切って対峙することに成功している。おそらく反語表現が表現として成功する必須条件は不条理から逃げないことだろう。安易な平和主義や左翼思想に流れずに、不条理と如何にメンチを切れるか、にかかっていると思う。そしてそのためには言葉だけではなくて、音楽がそしてBjörkの声が必要だったのだ。

アイスランドはノルマン系の民族なのだが、時に人類学的に謎とされている現象が起きるらしい。それはなぜか稀に東洋系が生まれるということだ。その一人がBjörkらしい。ライヴ映像を見てもらえばわかるが、大きなノルマン系の男共を従えて、小柄な東洋系の少女が暴れながら歌っているのがわかる。少女といってもそう見えるだけでこの時おそらく25歳ぐらいである。すでに子供もいた。そのBjörkの声は実に独特で、甘ったるい少女のような声の中に、日本の演歌、たとえば都はるみあるいは元ちとせのような、こぶし、とでも言えばいいのだろうか、そんな節回しをするときがある。喉が絶妙に鳴るのだ。それが音楽全体にある迫力を持たせ、〈Delicious demon〉をくりかえし絶叫する姿態はまるでさながら巫女のようだ。この音楽のもつ反語世界は激しく盛り上がり最後の〈So Delicious!〉というBjörkの絶叫と共に頂点に達し、そして終わる。ここらへんのニュアンスはライヴ映像ではあまりわからないかもしれない。やはりCDで聴くしかないのだが、要はやはり〈Delicious〉という言葉と音である。これは日本語には全くない。日本語でも「おいしい生活」とかいうのがあったが、確かにそれは「ステキな生活」のことで、同じニュアンスではある。しかし〈おいしい〉と〈Delicious〉では音が全く違う。これは決定的だ。〈Delicious〉といういかにもおいしそうな音がこの〈Delicious demon〉の持つ反語性を相当高めているのは間違いない。それにBjörkの声質が大きく寄与しているだろう。おそらく彼らが思った以上に効果をあげたに違いない。これは僕にとっては奇跡だった。この曲でぼくはこれほどの反語表現ができるのだ、ということを思い知らされたのである。
このあと5年ほどして俳句に行き、その後短歌に行ったが、その間ずっと無意識にこの曲のことが頭にあったのかもしれない。

しかし短歌に行って、いきなり思い知らされたのは次の作品である。

紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき      大辻隆弘『デプス』

一般の人には多少の説明が要るだろう。〈紐育〉はニューヨークと読む。最初からルビは振っていない。もうこれでわかるかもしれないが、〈紐育空爆の図〉はだから2001年9月11日のあのニューヨーク同時多発テロの映像のことだ。あの高層ビルにジェット機が突っ込んだ衝撃的な映像、それが壮快だというのだ。そしてそれを我らは長くながく待っていたのだと。さすがに最初これを読んだときは少し引いてしまった。が、すぐにこれが反語だとわかった。そして溜息とともに深く感動せざるを得なかった。これこそ現代社会の持つ不条理と、正面切って対峙した結果なのだ。作者に正面切って対峙するだけの勇気と度量と、そして最終的に歌人としての才量があってはじめてこういう形になれるのだろう。まるで世界中でこの作者だけがこの事件と正面切ってメンチ切っているような、そんな感じにさせられる謂わば孤高の短歌である。目を逸らしてはだめなのだ。この作品はそれを読む者に強烈に強いるだろう。長い間搾取してきた我々資本主義の勝ち組がこうむる単なるこれが起点に過ぎない、これが世界なのだ、これが自然なのだ、と。
この大辻さんの歌集『デプス』が発表された当時、ぼくはまだ短歌に行ってなかったので、詳しいことはわからないが、どうもこの作品に対しては批判的な人が多かったようだ。ネットをさまよってみると、全く通じていない人が結構いて、もうこんな冷血漢とは会っても絶対に挨拶すらしない、とか言ってる人もいた。少し考えれば反語だとわかるだろうに。このときニューヨークで亡くなった人よりもはるかに多くの人々がすでに我々資本主義側のせいで犠牲になっているのである。経済格差は時にじわじわと大量殺戮を生む。この事件に言及するにはそれを避けて通ることは絶対にできないし、そしてそれを何かの形で表現するとすれば、ここまで追い詰められた反語でしか表現できないのである。それを理解できずにこの短歌を批判するということは、救いようのない偽善者でしかない。

Björkの「So Delicious!」という絶叫と大辻隆弘の「われらかく長くながく待ちゐき」という絶唱は、結局のところ我々にこの世界はもう出口がないんだ、ということを教えるに過ぎない。だが出口がないのだ、ということをまず了解しないと、何も前には進めないだろう。
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