ステロタイプ
先日のsora歌会で枡野浩一のCMについてちょこっと話題になった。
賃貸住宅のCMで「いい部屋みつかっ短歌」というのだ。(参照)(参照)

短歌を大衆が思いたいステロタイプに押し込めてていやだなー、と思ってたので、そのことをちょこっと僕が言った。あんな変なお経のような抑揚をつけて「わけもなく~家出したくてたまらない~一人暮らしの部屋にいるのに~」と枡野が詠んだり、相手の女の子がこれは着るもんだと言わんばかりに着物着てたりとか、短冊に書いたりとか、なんかいやだったのだ。それらのこと全部、僕ら歌人は絶対にしないもん。
そしたらかつてCMプランナーをしていた川田一路さんが「プロデューサーの言うことには絶対逆らえんよ」と言ってた。なんだよね。枡野もきっと嫌だったに違いない。でも彼は短歌で食ってんだから逆らいようがないわけだ。川田さんの言うことを聞いて納得した。

でも一番嫌だったのは枡野が「短歌は絶対に57577」とか言ってたことだ。ぼくは短歌がこうあるべきだとは何も思わずに短歌を作っている。唯一思うのは短歌に何が出来るかだ。この一点にのみ興味がある。そういった意味で短歌という詩形を使うことに喜びを感じる。57577に閉じ込められたら喜びは全く感じない。
時代と共に短歌の様式は変わっていくだろうし、変わらないことには単なる過去の遺物になるより他にない。短歌は時代と共に、言葉の変遷と共にあるはずだ。
短歌にあるのは、決して57577だけではなく、短歌という韻律があるだけである。短歌という韻律の中に57577という韻律も含まれているにすぎない。まだ確信はないが、そう思って短歌を作っている。

でも枡野浩一を見ていると、彼の言うのこそが短歌なら、ぼくがやっていることは、短歌からはおよそ遠く離れたものなのだろう、と思わずにはいられない。実際にそうかもしれないわけだけど。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック