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自分の言葉で
テレビとか見てて、ぺらぺらぺらーとよどみなく喋る人がいてて聞き終わったら、なんだこいつ当たり前のことばっかり言ってるだけじゃないか、と思うことが時々ある。つまりそれは注意深く聞いているとわかるが、自分の言葉で喋らないのである。そういう人は自分の言葉がおそらくないのだろう。自分の言葉がない人に自分の論はない。だから自分の論がない人はおそらく自分の言葉もないのではと勘繰る。
たとえば先日、長島一茂というプロ野球関係の人が、これからのプロ野球について自説を披露していたのだが、とにかくよく喋る。ボキャブラリーも豊富だ。横文字を多用して、一人でまくしたてていたが、こちとら野球の専門家でもなんでもないのに、全部知ってることばかりだった。とにかく怖ろしいほど自分の言葉がない。あれだけ早口で英語を交ぜて器用に雄弁に話しているにもかかわらず、その口から発せられる言葉は全部借り物の他人の言葉なのである。この人のお父さんは突拍子もない言い方を時々する人だったが、息子に比べたらずっと自分の言葉だったように覚えている。

これは句会や歌会でもたまにあることだが、切れ者という感じで、極めて論理的にわかりやすく目から鼻へ抜けるように滑らかに話す人がいて、最初はほぉーっと感心しながら聞いているのだが、しばらくして、自分の理論ではなく他人の論の引用が多かったり、そうではなくても別に当たり前の意見だったりするのだ。なんだかなー、である。こういう人はおそらくあまり自分の言葉がないのだろう。もちろんそれは長島一茂とはまた違う次元だが。
一方、句会や歌会でなかなか批評が出来ない人がいて、批評したとしてもたどたどしくて、ギクシャクとしか喋れない人がいるが、こういった人はおそらく自分の言葉を出そうと、うんうんと苦労されてるのではと思うのだ。ぺらぺらとよく喋る人よりこういった人の方が信用できたりする。もちろんこれは僕もよく経験があるのだが、あてられて緊張で頭の中が真っ白になり、自分の言葉も他人の言葉も何も浮かんでこない状態になって、いわばフリーズ状態になるわけだけど。そういうこともあるが、一生懸命自分の言葉を出そうと苦労されてる人も結構いる。

で、今話題の原稿棒読み総理大臣である。
この安倍首相は1年ぐらい前からだったか、よくテレビに顔を出すようになって、よどみなく喋るんだけど、まあなんと自分の言葉で喋んない人だなぁ、と感心しきりだったことを覚えている。言ってる内容はそれなりのいいことを言ったりもするのだが、なぜかこっちは感づくのだ。おそらくその時から優秀なブレインがたくさんいて、いろいろとこの人の頭に詰め込んでいたのだろう。考えて理解はしているのだが、自分の言葉に翻訳できてないのである。それでこっちにはわかってしまうのだ。優秀なブレインがたくさんいるから、政策面においては結構やるだろうとじつは期待している。でも外交などで、相手国の首脳と会談するときはどうなんだろうなぁ。なんだかとっても心配である。大丈夫なんだろうか、こんな人を日本の首相にして。もうすぐ日中首脳会談である。
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コメント
この記事へのコメント
自分の言葉?
 はじめまして。私も俳句を作っていて自分のHPの「ティーブレーク」というコーナーに載せています。
 今回のエントリーについては失礼ながらステレオタイプな意見と感じました。持論を流暢に話す人も、持論もなにもなくかつ話下手という人は珍しくありません。しきりに「自分の言葉」と言われますが、人が考え、感じ、話すことには大差があるとは私は思いません。あとはその論理・感覚がどれだけその人に根付いているかです。初発が他者の言葉であっても、真にそれを理解し賛同するならそれは「自分の言葉」になります。
 大事なことの多くは言葉としてはごく平凡なことが多く(実践は難しく)、だからこそそれは多くの人から繰り返し語られねばなりません。作品の場合はまた違うでしょうが、自分の思惟感覚に表面的な他者との差異(オリジナリティ?)を競うのは、なんだか本末転倒に思います。
2006/10/09(月) 09:39:40 | URL | 大江進 #UScZxltY[ 編集]
そういった心がけですか
大江進様、コメントをありがとうございます。
貴殿のHP、見事ですね。それとなんとすばらしい環境ですばらしいお仕事をされていることでしょう。うらやましい限りです。一度鳥海山のふもと、旅行ででも行ってみたいです。

結局僕は、そういった自分の言葉で話そう、自分の言葉を使おう、というベクトルをどんな場合も常に持てれば、すばらしいな、ということを言いたかっただけなのです。言葉が足らず通じませんでした。
言葉は日々変化します。ですから極論すれば人は常に新しい言葉を使わざるを得ないし、そのためには常に自分の言葉を心がけないといけないと、と僕は思っています。それはどんな平凡なことでも同じだと思うのです。平凡なことを自分の言葉で言い直すという作業こそ、この世で最も重要なことかもしれません。政治家にはまずこれが必要なのではないでしょか。対象とする事象は普遍でもそれを表現する言葉は変わるわけです。
ですから僕が言いたいのは、常に「自分の言葉で」という心がけを持つ、ということで、何もかも自分の言葉でいうことは誰でもどんな天才でも不可能ですよ。当たり前ですが。
自分の言葉で言えて、はじめて自分で理解でき、そして相手にも伝わるのではないでしょうか。それも感銘を持って。

それとこれは絶対に言いたくなかったのですが、

>持論を流暢に話す人も、持論もなにもなくかつ話下手という人は珍しくありません。

これはもちろんわかって書いてます。それを言っちゃあおしめえよ、という世界でしょう。でも僕の周りの特に短歌仲間は、一所懸命自分の言葉を出そうとしている人は結構います。歌人というのは自分の中で言葉が煮詰まってきて、初めて何らかの文脈になるのかもしれません。それは紛れもなく自分の言葉なのです。
2006/10/09(月) 21:36:37 | URL | hosomi #4DppGirI[ 編集]
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