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右の眼に左翼左の眼に右翼
一応8月2日の話の続きになります。

右の眼に左翼左の眼に右翼   鈴木六林男

この俳句をもう一度。
〈右の眼に〉つまり右翼気味の人には普通のことが〈左翼〉的に映る。逆に〈左の眼〉つまり左翼気味の人には普通のことが〈右翼〉的に映る。こういう意味のようだ。当たり前のことのようだが炯眼だと思った。

例を挙げてみる。

最近の産経新聞は8月ということで、あの戦争は正当な戦争であって、東京裁判は間違いだったと、しきりに同じことばかり繰り返し書いている。少しでもこれに反対する意見、たとえば近隣諸国に迷惑をかけたんだから、とかA級戦犯を出さないと示しがつかないでしょう、という当たり前の普通の意見はことごとく「自虐史観」となる。国旗国歌法制化、拉致問題、自己責任、靖国、反日、と盛り上がってきたナショナリズムをさらに盛り上げんと躍起だ。これが〈右の眼に左翼〉。たとえば今中国のことを少しでも褒めれば、こういった人たちからは左翼扱いである。

次、〈左の眼に右翼〉。
僕からすればナショナリズムには2種類ある。自分の生まれた国を誇りに思うあるいは好きだと言える「健全なナショナリズム」。それと自分の国がこの世界で一番で、ほかはみんな自分より下だと思う「ウルトラナショナリズム」。確かにこの二つの差は微妙だ。ただどこの民族にも健全なナショナリズムはあるだろうし、またあるべきだ。たとえば僕自身、満々と水を湛えたこの美しい地球という星の太平洋と呼ばれる広大な海洋の西方の温帯地域に数珠繋ぎに散りばめられた奇跡の美しい島国、これを何より誇りに思う。地図を見るといつも溜息がでる。この日本と呼ばれる島国が大好きだし、この国の人々の文化、歴史も大好きだ。特に言葉にかかわっているせいか、中国を中心とした東アジア漢字文化圏自体一つの奇跡のように思えてならない。僕は日本だけでなく、中国、朝鮮半島も含めた同じモンゴロイドで同じ漢字文化圏のこの東アジアが大好きなのだ。だから昨今の反日運動は大変悲しい。今まで生きていて一番悲しいかもしれない。さすがにここまで言えば右翼扱いはされないだろうが、ただ「ええ僕はこの日本が大好きですよ」と言えば、左翼がかった人からは右翼扱いされかねない。

俳人鈴木六林男はニュートラルな視点をできる限り保とうとしたのだろう。だがこれは大変難しいことなのかもしれない。結局ニュートラルな地点がとても不安定なところかもしれないからだ。ここ1年ぐらいだろうか、特に中国の反日感情が露呈してからはさすがの僕も中国が少し嫌いになった。だがそれに対するマスコミなどの反応や人々の中国嫌いの反応を見ているとそっちの方が嫌で、逆に僕自身が少し左に寄ったかな、と今冷静に考えている。中央少し左寄り、ここが取り合えず今の僕の少しでも居やすいところらしい。ただ居心地は良くないので立ったままである。本当はもちろんど真ん中にどっかりと座っていたいのだ。
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